授業/雨/マフラー
窓に打ち付ける粒が雫となり、つるつると滑り落ちるのをぼんやり眺める。本日の体育はマラソンの予定であったが、この雨で取りやめとなった。空気は湿気を多く含んではいるが、梅雨のようにジメジメとした不快さではなく、むしろ肌寒さを先に感じる当たり、季節が廻っているのだと感じる。
怒涛のような夏が過ぎ、あっという間の秋大会も終わり、もうしばらくすればこの雨粒も雪へと変わるのだろう。時の流れをぼんやりと考えながら、十文字はちらと隣の席へ目線だけを動かす。
授業が流れて自習になったことを良い事に、隣席の女――は一心不乱に毛糸と格闘をしていた。机の上には教本らしきものが堂々と広げられており、むしろあっぱれなまでに勉強する気がない。
まあ、勉学に励むつもりがないのは男も同じなので、あえてそれには触れない。なにしろこの教室内の9割方は思い思いに漫画本だの、四方山話だのに励んでいる為、何か作業をしているだけでもましな方なのかもしれない。
「おい、」
「んー?」
作業に集中しつつも、ある程度は周囲にもアンテナを張っていたのだろう。がやがやとした喧騒の中、目線は手元の編み針に落としたまま生返事が返ってくる。
「一応聞いとくがよ」
「なに?」
「……それ、何だ?」
ビシッ、と十文字が指をさすその先には、毛糸で作られた”何か”があった。色は斑、目も不揃いであれば、そこかしこから何故かほつれが飛び出ている。うねうねと謎の凹凸があり、幅も広くなったり狭くなったりと一貫性がない。
訝しげな、むしろ困惑すら含んだ男の声に、ようやく少女は面を上げる。己が作成した物体を見、次に質問者たる十文字の目をひたと見つめて言い切った。
「何って……マフラー」
「……俺はキクラゲか何かを編んでいるのかと思った」
「ああ、うん。否定はできない」
「しろよ」
率直な感想をつぶやけば、サラリと肯定され思わず十文字の口からツッコミの言葉が漏れる。さすがのも、名状しがたき何かをマフラーだとかたくなに言い張ることには引け目があるらしい。
「一応マフラーを目指してはいるんだけど、難しいわー」
「変な所で不器用だよな、は」
「そういう十文字くんは器用貧乏タイプよね」
「ほっとけ。
――それ、誰かにやるのか?」
「欲しいの?」
「キクラゲはいらねぇ」
「だよねー。まあもうちょっとマシになったら、誰かにあげるのもいいかも」
そう言っては笑う。とてもではないがこの腕前では、マシになるには相当掛かりそうである。
しかし、万が一にでも何かしらかの奇跡が起こって、人にやれる程度のものができたとして、は誰にそれを贈るのだろうか。
家族や女友達ならまあいいとして、誰か別の男とか――そんなことをふと思ってしまい、十文字は己の思考にあきれ果てた。なんだこの女々しい思考。自分には関係無いだろう。
しかし一度考えてしまうと、なかなかそこから意識が外れてくれない。表面上はぼんやりと彼女がキクラゲもどきを生産する様を興味なさ気に見ているように見えるだろうが、その内心では様々な感情が渦巻いていた。
2秒、あるいは10分。どれだけそうしていたか十文字自身わからなくなってきた頃、ようやく自分の心に折り合いを付けれたのか、男は視線を斜めにすっ飛ばしながらぼやくように言葉をこぼした。
「……誰も貰い手がいねぇんだったら、もらってやってもいいぞ」
「ありがと。考えとく」
男の葛藤を知るよしもない少女の返答は、実に素っ気のないものだった。あまりの適当さに、思い悩んでいた自分が馬鹿らしくなってきた程だった。そうだ、こういう女だった。という人物は。
なんだかひどく疲れた気分になってしまい、身体ごと向きを変えて反対隣の窓に額をぶつけるようにくっつけ、肩を落とす。冷えたガラスが火照った肌にしみた。
溜息を気付かれないように吐いていると、ふと鏡越しにの姿が目に入る。結露で曇った窓に映る彼女は少しぼやけてはいたが、俯いた状態でもわかるほどに、両耳が赤く染まっていた。
END
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