お願い/指先/鏡



 もはや恒例、あるいは日常と化している衛宮邸の賑やかしさは、客人の多さに由来する。来るもの拒まずといえば近いだろうか。家の雰囲気そのものが開放的で、ともすれば家人よりも客人のほうが多い。休日ともなればその傾向は更に強まり、人が集まりすぎたときには客人が食事の支度をすることもあった。むしろ材料持込で集まることもあり、咎めるものがいないどころか逆に歓迎される状態なのでもはや勝手知ったるなんとやらである。
 衛宮家の台所で腕をふるうアーチャーもそんなうちの一人で、持ち込んだ食材をてきぱきと冷蔵庫や保存棚にしまった後、必要な分だけを確保すると手早く昼食の準備を始めている。在庫を確認し、本日の昼食は五目炒飯に具だくさんの中華スープ、唐揚げのチリソースがけに春雨サラダと言ったラインナップだ。
 一口大に切った鶏肉の下処理をしながら、アーチャーは傍らで作業するもう一人の人物にちらりと視線を送る。本来の台所の主である衛宮士郎、その人だ。彼は彼でスープの準備をしており、くつくつとに音を立てる鍋の横であく取り作業に従事している。
 確かに丁寧なあく取りはスープの出来栄えを左右する。具材が多く入ったものであれば尚更だ。だが――

「――一つにかかりきりになるとはまだまだだな」
「なんだと?」
「いや、気にすることはない。独り言だ」
「だったら聞こえるように言うなよ」

 売り言葉に買い言葉とはこの事か。アーチャーのこぼした皮肉に反応し、士郎が棘のある目付きで睨み返してくる。
 それでなくともこの二人は何かにつけて反目している。大小の差はあれど、顔を合わせれば少なくとも一度は火花を散らしているといってもいい。いつもであればそれをやんわりと止めてくれるようなものや、あるいは逆におもしろがって炊きつけてくるもの――その結果馬鹿らしくなって、不毛な言い争いは止まるのだから結果オーライなのだが――がいるのだが、あいにくと今この場にはうまく事を納めてくれるクッション材のような人物は存在していない。
 剣呑な目付きで互いを睨み合う。みるみるうちに空気が凍り、すわ一触即発の気配が漂い始めたその時、おずおずと声をかけてくるものがいた。

「…士郎おにいちゃん、アーチャーさん。ケンカはダメだよ」

 ささやくように、だが不思議とはっきりとしたその制止の声の主は少女だった。居間と廊下を仕切る襖の影から、半分だけ身体を隠しながら少女――は尚も言葉を続ける。

「ご飯がおいしくなくなっちゃうよ」

 眉をハの字に下げ、困り顔では懸命に訴える。大きな瞳にはじんわりと涙が浮かんでいるようにも見えた。
 少女の訴求は至極尤もで、世の真理と言えた。争いながら作る料理には真心という重要なエッセンスが入る余地はなかろう。諭された大人げない男たちはバツが悪そうにどちらかともなく顔を見合わせると、肩を竦めあった。
 合わせのような存在だからこそ、ふとした拍子でぶつかってしまうが根幹は同じ。どこかの誰かが泣かないように、という思いが根付いている。何より子供の前で喧嘩は良くない、と思い直してこの場は休戦扱いにすることで二人はアイコンタクトする。

「……やれやれ。いつだって最強なのは小さな子供のお願いだなあ」
「ああ。それについては全面的に同意する」

 苦笑する二人に、ほっとしたように笑う。安心したように身を隠していた襖の影から士郎たちへと駆け寄ってくる。

「料理をするときは、包丁や火を使うから危ないんだよ。もう料理中にはケンカしちゃダメだからね?」

 約束! とばかりにはその両手を差し出す。小指だけを立てたそれは、連綿と続く契約のシンボルだ。最初にアーチャーが口火を切り、それに士郎とが続く。

「指きりげんまん――」
「嘘ついたら、針千本のーます」
「ゆびきった!」

 右手を士郎と、左手をアーチャーと、それぞれの指先を絡めて決まり文句を紡ぐ。
 たわいない約束。だが正義の味方を目指す者、あるいはその憧れを捨て切れぬ者、そのどちらにとっても子供との約束はある意味何よりも思い。
 アーチャーと士郎は、両者を信頼する光で煌くの眼差しをまぶしそうに目を細めて見る。この信頼を裏切らぬよう、せめて台所は休戦地帯としようとどちらともなく了承しあうのであった。

END


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