台所/夜/ラズベリー


 サーヴァントを使役するものであれば、魔術修行はやっておくに越したことはない――そう提言したのは凛だった。
 ひょんな出会いからの魔術の指南も務め始めた凛であったが、生来の生真面目さ、あるいは面倒見の良さを発揮して、今もなおそのレッスンは継続していた。
 少女の過ごす教会にも魔術師カテゴリーに区分されるものはいるが、いかんせん神話時代の英雄だったり、あるいは本分は魔術を否定する立場の神父であったりと、本格的な現代魔術修行にはあまり向かない環境であることは否めない。
 今日は泊まりこみで魔術の勉強をするという触れ込みで、は着替えと勉強道具を持って遠坂邸を訪れていた。普段の生活が丘の上の教会とその周辺で済まされてしまう少女にとって、人様の家で一晩を過ごすということは一大イベントだ。前日は楽しみで少々寝付けなかったのもご愛嬌である。
 基礎であるカバラ・占星術・天文学などの基礎講習を終え、脳の普段使わない部分を酷使した影響からか、はたまた寝不足からかの表情にはやや影が差している。凛は案外、否、予想通りにスパルタであった。

「じゃあ一旦ここまでにして、少し休憩しましょうか」
「はい、凛師匠」

 ふらふらしているを見かねてか、凛が休息の提案を入れると、少女はほっとしたように頷いた。やはり少々疲れていたらしい。
 手早く机に散らばった魔術書や道具類を片付け、凛の私室を出る。
 他愛のない話を口にしながら、一息入れようと凛とがリビングに出てくると、ふわりと香気が鼻をくすぐった。テーブルを見やれば、チャイナボーンのティーセットとキューカンバーサンドイッチやスコーン、ケーキ類がとりどりに飾られたティースタンドが鎮座している。

「ああ、来たか。そろそろ呼びに行こうかと思っていたよ」
「……なんというか、今日気合入ってない?」
「客人がいるからな。もてなしをするのであれば当然だろう?」

 台所から顔をのぞかせたのはアーチャーだった。遠坂凛のサーヴァントにして弓使いのクラスを持つ英霊だが、聖杯戦争終了後はもっぱら執事のクラスじゃないのかと揶揄される程に家事全般に明るい。どうやら彼がこのアフタヌーン・ティーを演出したらしい。となれば、妙に拘る男だからティースタンドに並ぶ食べ物たちも彼のお手製なのだろう。
 従者の力作に思わず肩をすくめる凛。ふと横を見ると、とりどりに並ぶケーキ類の内、はある一つをじっと熱い眼差しで見つめていた。視線をの先をたどれば、上段に飾られている赤いタルトに行き着く。

「――まあいっか。アーチャーお茶入れてちょうだい。それと、にそのタルトとってあげて」
「了解した、マスター」
「い、いいの?」
「もちろん。貴女はお客様なんだから、欲しい物を一番に選ぶ権利があるのよ」

 凛の言葉には先程までの疲れ切った気だるい雰囲気など吹き飛ばし、ぱぁっとその表情を明るく染めた。
 ぽすん、と腰を下ろした勢いで身体を少々弾ませながら少女がソファに腰を下ろした所で、音もなくスッとティーカップが差し出される。給仕係のアーチャーは流れるような動作でポットから琥珀色の液体を白磁の器へ注いでいく。まるで魔法のような手つきに感嘆のため息をつくの眼前に、なみなみと注がれたかぐわしい芳香を放つ紅茶と、つい先程まで目を奪われていた茶菓子とがセッティングされた。
 キラキラと輝くベリータルトはまるで宝石のようだった。それにフォークを刺すことに一瞬は躊躇い、意を決してその手に力を込める。さっくりと心地よい感覚と共にタルトにフォークが刺さり、数度それを繰り返して一口大に切り分けた。
 そっと口に運ぶと、とたんに口内で甘味と酸味が素晴らしいハーモニーを奏でる。輝きと仄かな甘みを演出するナパージュ、新鮮なラズベリーの酸味とプチプチの食感、とろりと口溶けの良いカスタード、ホロホロと崩れるアーモンド生地とそれらを支えるさくさくのタルト。飲み込むことが惜しい。そう思うほどの至福の味。

「……美味しいか、なんて聞かなくても判るくらいいい顔してるわねぇ」
「ああ、作り手冥利につきるな」

 無言で黙々と食べ続けるに、赤の主従は揃ってそれを暖かさを含んだ眼差しで見守っている。の養い親は曲がりながりにも聖職者であり、ついでに言えば味覚が常人とはかけ離れているがため、普段はあまり甘味の類が食卓にのぼることがないと彼女の同居人から聞き出していたので、この喜び方にも納得であった。
 欠片も残らぬほど綺麗に完食した後、飲み頃になった紅茶を口にしながらは喜色満面の面持ちで楽しげに足をぶらつかせている。美味しい物は人を幸せにする。それを絵に起こすしたら、きっと今の少女ほど相応しいモデルはいるまい。
 そんな弛緩した空気を引き締めるように、パンパンと凛が高らかに手を打ち鳴らす。

「さぁ、。美味しいお茶とお菓子でたっぷり休んだら、授業再開だからね」
「えぇー」
「魔術師の本領はからよ。覚悟しておくことね」
「……まあ、頑張り給え」

 ぱちん、とウインクしながら恐ろしい宣言をする凛と、諦めるんだなと如実に語る眼差しでアーチャーがを見つめる。
 様々なことを知ることが出来る勉強は好きだけれど、もう少しゆっくりのほうがいいなあと思いながらも、更に気炎を上げる凛に水を指すのも気が引けて、口に含んだ紅茶と一緒に言葉を飲み込むだった。

END


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