仲良し/偽り/苦笑


 不安気に路地を歩く少女がいた。うつむき気味に顔を伏せ、手元と周囲を時折交互に見比べている。その手元には小さな紙を持っていた。そこには何やら絵図が書きこまれており、どうやら手作成の地図らしい。ただし、かなり大雑把に書かれているらしく、目印となるべき建造物が曖昧であったり、あるいはそもそもの縮尺が適当であったりと地図としての役割はあまり果たせていない代物のようだ。地図を作った者の性格なのだろうか。
 そんなこんなで、少女はその頼りない標を手にしたまま、あっちへ来たりこっちへ来たりを繰り返していた。要するに迷子である。
 少女の目的地はとある喫茶店。その名前をアーネンエルベ――その筋の方々でないと入店することはおろか、見つけることすらできないと囁かれる幻の店だ。少女の同居人がこの喫茶店に勤務をしているのだが、何しろどこにも繋がっていてどこにも繋がっていない喫茶店である。店舗を見つけることこそが毎度毎度苦労するところだった。
 以前こっそりと彼のバイトの様子を見に行こうとしたときは、偶然に同居人の一人である神父に出会ったために、苦労せず辿りつけた。だが、単独スニークがここまで高難易度ミッションであるとは彼女にとっても予想外であった。
 地図の製作者たるランサーは性格こそ多少大雑把な所があるが、偽りを言うような人物ではない。だからこの地図もちゃんとしたものなのだろうが……と、路地の端っこで首をかしげる。そんな困り顔のに、そっと声をかける男がいた。長身で、やや長めの頭髪を後ろに流した、整った顔立ちの美丈夫だ。

「何かお探しで、お嬢さん」
「――あ、ディル!」

 名を呼ばれ、振り向いた少女はその声の持ち主にぱっと表情を明るくした。
 長身の男の名はディルムッド・オディナ。彼の眦の下にある特徴的な黒子は、半ば呪いのごとく女性の心をディルムッドに惹かれさせるという能力があり、それをさして”魔貌の”などと冠がつくこともある。ケルトの英雄史に名を連ねる二振りの魔槍を携える存在ではあるが、紆余曲折あり、今は丘の上の教会に住まう居候の一人だ。男は同じ屋根の下で過ごす顔なじみの少女へ向け、物腰柔らかく言葉を続ける。

はこれからどこに?」
「ランサーのバイト先に遊びに行こうと思ったんだけど……地図がうまく読めなくて、迷っていたの」
「――ふむ」

 少女――が手にした手描きの地図にさっと目を通す。一見すればその描画は雑に感じられるが、微かに魔力の残滓を感じる。その起点を注視すれば、紙面の片隅にラグズのルーンが逆位置で描かれていた。車輪を表し、旅や移動を意味するラグズ。その逆位置が示すものは、混乱や障害だ。どうやらこの文字の影響で、地図を読む者の判断力に微量のノイズをかけているらしい。
 なぜそんなものが地図に書かれているのかはわからないが、しかしそこは英雄の一端を担う者。多少の魔力であれば己の耐魔力性能で弾いてしまう。今のでは少々レベル的に荷が重いものであったとしても、ディルムッドにとってみればないも同然な枷だ。

「良ければ一緒に行こうか。俺もバイトへ行く途中だ」
「お願いします!」

 ディルムッドの言葉に、は即座に首肯した。見上げてくる瞳は、恋のそれではなく純粋な感謝の色に染まっている。女性とあればディルムッドの意志に反して半ば自動的に《魅了》を仕掛ける黒子の威力も、にはどうやら効き目がないらしい。それが歳のせいか、あるいは単純に彼女自身の能力かは定かではないが、女性関係で散々苦労したディルムッドとしてはそちらのほうがよほど気が楽だった。

「それではエスコートをさせてもらおうか、リトルレディ?」
「えへへ、ありがとう」

 微笑ましい少女へ騎士は微笑みをひとつ浮かべ、その手をすっと差し出した。

 ※ ※ ※

 アーネンエルベの店内に、カランとドアベルの音が響く。偶然の出会いからしばしの後、とディルムッドの二人は無事にアーネンエルベに辿り着いた。
 ディルムッドがさっと店内に目を走らせるが、ジャズが耳に触らぬ程度に流れる以外、その他の客は見当たらない。カウンターはウェイターであろう青年が何がしかの作業を行なっているくらいだ。
 来客の気配に気づいたのか、グラスを磨いていたウェイターが顔を上げ、その表情を僅かに曇らせる。

「いらっしゃい――って、なんでお前ら一緒に来てんだ」
「こんにちは、ランサー! 迷子になってたからすごく助かったんだ」
「偶然途中で会って、目的地が同じだから一緒に来たんですよ」

 ニコニコと笑うはランサーの微妙な表情は気にしていないらしい。いつもであれば彼女の表情に合わせて気持ちの良い態度を返すはずなのだが、どうにもチグハグだ。その違和感にディルムッドが内心訝しんでいると、パチリと彼と視線が交差した。

「……おい、ディルムッド。ちょい面貸せ」
「? はい、なんでしょう?」

 チョイチョイと指でこっちへ来いと招いてくるランサーに対し、ディルムッドはとりあえず窓辺のテーブル席へを座らせてから、その呼びかけに応じる。
 カウンター越しのランサーは声のトーンを抑え、ディルムッドには聞こえるが離れた場所にいるに聞こえぬように静かに言葉を発した。

「お前、あの地図見れたか」
「ええ。惑わしのルーンが刻まれていましたが……あ、そういうことか」
「おうよ。理解が早くて何よりだ」

 言葉の途中ではたと気づいたように、ディルムッドはある答えに行き着いた。勘の良い後輩に肩をすくめるランサーの表情は、もうちょっと早く気づいて欲しかったと言わんばかりだ。

「それは……申し訳ない。悪いことを」
がルーンを読みといて、ここに一人で来れるくらいになれば一端なんだがねェ」

 最近はルーン魔術をランサーに師事している。おそらくこれは抜き打ちテストのつもりだったのだろう。地図を書いたのがランサーであるとすれば、迷いのラグズをそこに描いたのも彼だ。がそれに気づくか否かを試すはずが、ディルムッドが解き明かしてしまえば、意図せずしてカンニングしたようなものである。
 だが、そう言って苦笑するランサーの言葉には、本人も気づいていないのだろうが僅かに嬉しさのようなものが滲んでいた。弟子の独り立ちには複雑な感情があるらしい。の一人立ちを望んではいるものの、なんだかんだで教える立場というものが楽しいのは事実のようだ。

「まっ、困ってる時に誰かから助けてもらえるってのも才能の一つか」
「ああそれは……全くそのとおりですね」

 不覚にもその言葉にしみじみと肯定する。ランサーもディルムッドもそういった才能――いわゆる幸運の類には恵まれていないだけに、のようにツキのある存在の有り様が時に眩く感じられるのだ。思わず顔を見合わせ、眉を下げて笑いあう。

「まあいいや。テストは次に持ち越しってことで。
 シフトの交換時間だし、後は頼むわ」
「心得た。では支度をしてきましょう――」

 そう言って、ディルムッドはカウンターから身を離し、スタッフルームの扉を開けてその中に入る。ようやくお勤めが終わるとばかりに、ランサーはぐるりと肩を回した。客が少ないとはいえ、やはりそれなりに疲労が溜まっているらしい。
 体を軽く解し終えると、ランサーは慣れた手つきでロックアイスを磨いたばかりのグラスへ放り込む。続けて冷蔵庫からオレンジジュースのパックを取り出し注ぐ。最後にスライスしたオレンジを飾り付け、準備完了。カウンターから出て、客人の待つテーブルへと配膳する。

「ほい、ディルムッドと交代するまでコレでも飲んで待っててくれ」
「はーい。ふたりとも仲良しだね」
「まあ……ある意味似たもの同士とは言えるか」

 先ほどの会話のやり取りが、内緒話でもしているように思ったのだろう。不意にそんなことを告げてきたに、ランサーは曖昧に笑ってごまかす。

「出身地も獲物も同じだしな。時代的にオレが先輩、アイツが後輩ってところか」

 ランサーの真名はクー・フーリン。ケルト神話に名を残す英雄の一人だ。ディルムッドも同じくケルト神話上の人物だが、出自的にフェニアンサイクルであるため、ランサーの活躍舞台となるアルスターサイクルの方が時代が古い。そのため、ランサーが例えた先輩後輩というそれは正しいといえるだろう。

「なんだかさっきお話ししている時、ふたりとも楽しそうだったよ」
「そうか? まぁ、アイツにとってもここは前の職場に比べれば楽しかろうさ」
「――黒子の効果が殆ど無いだけでも、かなり気が楽です」
「おう、早いな。確かに前のトコは昼ドラ職場だったもんな。胃に穴が開いても可笑しくないレベル」
「働くって大変なんだ……」

 とランサーの会話に、早々に支度を済ませたディルムッドがその輪に入ってくる。彼が以前どのような所で働いていたのかはには知る由もないのだが、なんだかやけに影を背負って語るディルムッドの姿に感じるものがあったのか、ゴクリと息を飲んで相槌を打った。
 そんな他愛もない話を交わしながら、穏やかな時間は過ぎてゆく。窓から溢れる柔らかな陽光を受けながら、三人はそのささやかなで贅沢な時間を共有する幸運を享受するのであった。

END


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