007:毀れた弓



「なあおい、あれじゃねえか?」

 ハードな練習後のくたびれた身体を引き摺りながら、コンビニ前でたむろしていた時。
 黒木の何気ない一声と指先を辿れば、確かに彼女らしき姿が見えた。

「…確かにアイツっぽいけどよ」
「だろ? でも――」
「いつもと違うな」

 戸叶の一言は彼ら三人の疑問を現していた。
 いつもの無意味なまでの自信溢れる態度とか、誰が相手でも怯みもしない姿勢とか。彼等のイメージの中にある彼女――はそういう人物だ。
 だがしかし、いま視線の先にいるは――なんだかギクシャクとした動作で、ちょっと俯き加減で、顔を上げたかと思えばすぐに引っ込めてしまう。
 会話でもしているのだろうか、時折その相手と思われる人物が小さく首を動かす。相槌でも打っているのだろう。その度になにやらが嬉しそうに笑った。

『――ありえねェ』

 思わずその様に三人同時に呟いた。

「なに、あれ! マジ信じられねェ」
「…あれだな、少女漫画とかそのあたりのリアクションだ」
「戸叶が言うとビミョーにリアルだな。ジャンル問わず読み漁ってるだけに」
「しかも一世代くらい前のな」
「目が白いヤツ?」
「そう」
「んで、十文字。お前今すげーバカ面してるぜ?」

 ぽんぽんとテンポよく交わされる二人の会話の蚊帳の外で、ぽかんとしていた十文字は、黒木からの言葉ではっとようやく我に帰る。
 今視線の先にいると自分の脳内メモリーにインプットされている彼女の情報が、どうしても相互作用を起こしてくれない。エラー音が響き渡りそうだ。

「そりゃ…アレ見りゃそうなるだろうが」
「ま、確かにな」
「会話相手が遠目でよく判らないのが残念だな」

 ぼそっと零した戸叶の台詞に、二人は頷く。白いジャージっぽいフードつき上下。フードが横顔を微妙に覆っていて、判別がつきづらい。背格好は随分と立派なようで、何か格闘技でもしていそうなくらいだ。
 が会話しているところから考えれば、恐らくは彼女の知り合いの類なのであろうと推測してみる。
 暫らく三人は無言で二人の様子を窺っていた。観察し始めて5分と立たぬうちに二人の会話は終わったのか、白い大男はたっと十文字達がいるコンビニとは逆方向に駆け出す。
 白い大男が去っていく様をジッとが見つめていた。その様に、それぞれ性質の違う無言が三名に訪れる。

「…これってさ、やっぱアレだよな」
「アレだな」
「意外っちゃ意外だけど、フツーと比べりゃ意外でもない?」
「俺には黒木の言うフツーの基準が判らんが」
「フツーって言ったら、俺等と同年代の女子のフツーだろ」
「イロイロあるんじゃねェの? フツーって言ってもよ」
「そうか? んじゃま、本人に訊いてみるか」
『は?』
「おーい、ーっ!!」
「おいおいおいっ、待て黒木! 呼んでどーするッ!!」
「呼ばなきゃ気付かれないじゃん」
「いや、そうじゃなくて、何でワザワザ――」
「十文字、黒木の考えることに深いワケなんてあったか?」
「…ないな」
「諦めろ」

 ぽむっと週刊誌片手に慰められても素直にそう思えない。
 苦々しく、唇を真一文に噛み締めていても、それを知ってかしらずか黒木は呑気に大きくに向けて手を振っていた。

「なによ、もう! ちっちゃな子供じゃあるまいし…
 それとも何? このさんと偶然逢えたのがそんなに嬉しいとか?」
「いや、そういう寝言は置いておくとして」
「放置プレイ?」
「そう。んで、さっき話してたヤツって知り合い?」
「――見事に流したわね。
 んー、まあ、知り合いというか何というか…」

 そこまで言って、はゴニョゴニョと言葉尻を濁す。
 その態度に三人揃って、明日は雨か雪か爆弾か――などと彼女に失礼な感想を抱いた。珍しすぎる事もあるもんだ。

「まあいいじゃない、そんなこと。知らなくても別に支障はないでしょ」
「…お前、なんか隠してないか?」
「戸叶君…世の中、知らない方が華って言葉もあるわよ?」
「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥ってのもな」
「…それは兎も角!!」
『誤魔化した』
「ええい、声を揃えて言うんじゃないのッ!」

 声を荒げるの顔は、なにやら少々赤く染まって見えた。
 すでに夕陽の名残も消えかけている空気だけではそうは見えないくらいに。
 軽く唇を尖らせて、不服そうに胸の前で腕を組み、はブツブツと呟く。

「まったく…乙女をからかうもんじゃないわよ。そんなんじゃモテないんだから」
「俺の目の前には乙女なんて生物、どう見たっていねぇんだけど」
「…黒木君、今思いっきり殴られたい? それとも明日の部活で死ヌ程扱かれたい?」
「うげ、何だよその二択!」
「当然の選択でしょ。 ふふん、文句ある? 無論、ないわよね??」
「――そんなこというから乙女じゃねェんだよ、は」
「…………黒木君と戸叶君。二人共明日はマトモに足腰立たなくなるまでビシバシ特訓してあげるから、覚悟してね」

 ニィッコリと、そう宣言するにぎゃぁ!と悲鳴を上げる二人。
 慌てふためくような黒木が側らの十文字を指差して叫ぶ。

「俺等二人だけじゃなく、こいつもだよな?! なんてったって兄弟だし、連帯責任っぽく!」
「はァッ?! ちょッ…何寝ぼけたこと言ってんだ、黒木ッ!」
「いっそ長男は下の全ての罪を被っても――」
「戸叶――!! 無茶苦茶言うなっ!」
「ふふふっ、いい弟を持っているわねー、お兄ちゃん?」
「こんなデカイ弟がいてたまるかっ!
 というか、何でそういう話になってるんだ? 全然ワケわからねぇよ!!」

 激昂する十文字の声に、他の皆の動きがぴたりと止まる。
 三者三様の驚きの――むしろ困惑と言った方が正しいだろう――瞳に、事体が飲み込めていない十文字は更にその混迷を深くするばかりだ。

「…話、聴いてなかった?」
「あ、ああ」
「そーいや加わってなかったな」
「んじゃ乙女の辺りも当然?」
「何だ、その…乙女ってのは」
「あたしは乙女そのものよねって話」

 ビシッと自分を指し示し、ついでにウィンクなどもつけて答える
 その仕草をマジマジと見て十文字はオウム返しに呟く。

が?」
「そう、あたしが」
「……いい病院、紹介してやろうか?」

 思いっきり眉を顰めて言う十文字の台詞に、は額に十字マークを。黒木と戸叶は同時にブフっと噴出した。

「さ、サイコー… サイコーすぎだぜ、十文字!!」
「このタイミングでその台詞―― ハマり過ぎだな」
「んだよ、当たり前の答えだろ?」

 馬鹿笑いしながら十文字の肩を力一杯叩く黒木と、笑いを堪えて肩を小刻みに振るわせる戸叶。
 二人の反応に憮然としながら十文字は答える。そこに――

「――アンタらの考えは、よぉぉーーーっく! 判った!!」

 力強い言葉にハッとそちらの方を見れば、夕陽を背負って「ズゴゴ」とかその辺の擬音がとてもとても似合いそうなくらいの雰囲気のが居た。
 その様子に三人が自分達の言葉が過ぎていたことに気付いたが、時すでに遅し。

「覚悟しときなさいよ… 死んだほうがマシだって位の目にあわせてやるんだからー!!」

 ビシッと三人を指差し一声そう吠えると、物凄い目付きでガンを飛ばして怒りも顕には背を向けて去ってゆく。足音がドスドスと響いているようにすら感じた。
 思わず勢いと雰囲気に負けて声もかけられずにいると、まるでモーゼの結界のように人込みが避けていた。そのど真ん中を怒り肩では帰ってゆく。十文字らはその背を見送るばかりである。
 姿が完全に見えなくなった後も暫らくそのままでいたが、誰からともなく小さく息が漏れるのが聞こえて――

『わはははははははははははっ!!!』

 同時の大爆笑が木霊した。

「あ、ああいうのが乙女じゃねェっての!」
らしいっちゃらしいけどよ…」
「まあ、ああいう方が変じゃねぇよな」

 ヒィヒィと涙目になりながら笑うもの。
 ボソリと苦笑するように頷くもの。
 ホッとするような響きで呟くもの。

 当の本人が聴いていたら、より油を注ぐようなことを勝手気ままに言い合う彼等だった。

END


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