015:ニューロン



 先日、チームメイトが少々妙な流れで銭湯に行ってきたという話題になった。巨深の筧に、盤戸の赤羽がはたして『本物』のアイシールドなのかということを聞きに行くはずだったんだけどね――と、もう一人のアイシールドの少年が苦笑気味にそう言っていた。
 それを半分ほど聞き流しながら聴いていたが、練習は過酷を極め、汗でベタベタの重い身体を引き摺りながら帰宅するよりは、帰りに一風呂浴びて爽やかな気分で帰宅するのも良いのではないか。そういう結論にあいなった。

※ ※ ※

 ということで、モノは試しとばかりに十文字、黒木、戸叶の通称三兄弟トリオは件の銭湯に向かっている。何でもその銭湯はどこからか温泉を引いているらしく、主な効用は1に疲労回復、2に身体の汚れが落ちるとか何とか。後者は効能じゃないだろうと思いつつもまあ事実でもあるので、一概に否定するのもおかしいような気になる。

 それは兎も角として、今日の練習は特別に疲れた様な気がした。放課後の練習の最中突如として豪雨が降り注ぎ、その中で練習に明け暮れていたせいでもあるのだろう。
 幸いにしてかどうかは判らないが、帰宅する頃には雨はすっかりやんでいた。恐らくは通り雨であったのだろうが、はた迷惑な物である。
 運動量が多いために、冷たい秋雨に打たれ続けていたにもかかわらずさほど身体の心までは冷えてはいないが、ここはやはり温かな湯でまったりとしたいところである。
 雨上がりの舗装された道路に出来た水溜りで遊ぶ黒木に注意を促しつつ、目指すは温泉銭湯。疲れからか目蓋が半分ほど閉じつつも、もうすぐ風呂には入れると思い直して自身を鼓舞する。鉛のように重い身体を騙し騙し、かつ緩々と歩いていると――

「ありゃ、どうしたの? アンタ達もお風呂?」

 聞き覚えのある声が耳に入る。朧になっていた意識が僅かに覚醒した。聞こえてきた方向へ視線を向ければ、タイミングよくのれんを捲って銭湯から立ち去ろうとしている知り合いの姿が見える。

じゃん。どーしたよ、お前」
「んー、うちのお風呂壊れちゃって。それもあって今日はバタバタしちゃうから、悪いとは思ったんだけどマネの仕事早めに切り上げてお風呂入りに来たのよ」
「それであの雨の中先に引き上げていたのか、
「そゆことー」

 あはは、と声をかけてきた黒木や戸叶に軽い笑いなどを混じらせながらは答える。
 概ね和やかな雰囲気ではあるのだが、それにイマイチ溶け込めていない男が約一名。十文字だ。先ほどまで眠気と戦っていた脳内は今やすっかりクリアとなり、その鮮明な意識は一つの事象に引寄せられる。
 湯上り独特の上気した頬。しっとりとしたすべらかな肌。半乾きの髪は黒さを増し、朱色の唇が映えている。心なしか瞳も潤んでいるように見えた。
 普段とは違うの姿に、グラリと一瞬だけ頭の奥が揺らぐ。それを何とか押さえつけながら、新たに形成されつつある精神機能を排除しようと別のニューロンに切り替えようと努力しだす。

 ――これはあれだ。そう、三割増。スキー場の法則と同じだ。
 通常よく見ているもののイメージとのギャップに翻弄されているだけ。そう、ちょっと驚いているだけだ。

 そう自分に十文字は言い聞かせる。
 しかし、そんな青少年の心内を知ってか知らずか。時に事態とは僅かな迷いや葛藤が、あっさりと事態を思いがけない方向へと動かすものである。
 じーっとを観察していた黒木が、殆ど脊椎反射なのではないのかと勘ぐりたくなるような素直さで感想を口にする。

「――なぁ、
「ん、なに?」
「お前、なんかちょっと色っぽくねぇ?」

 直球ド真ん中のコメントをあっさりと口に出した彼に対し、僅かには目を丸くしたが――

「ふふん、トーゼンでしょ」

 言葉と同時に小さく胸を張る。一見すれば余裕のある流し方だったが、どうやら満更でもないらしく、その頬の赤味が微増したように見えた。
 一言も言えないうちにごろりと在らぬ方向へと転がった状況に対し、内心複雑な気持ちでそのやり取りを十文字は見守るのみであった。その間にも黒木とは馬鹿馬鹿しいやり取りを続けている。
 と出会って後、終始無言の友人の胸中を察したのか、戸叶はぽんとその肩を叩く。それに十文字が首を半分だけ振り向かせると、その先にいる彼はにやりと笑った。

「ま、言わなきゃわからねぇよな。ひみつ道具だの超能力でもない限りはな」

 全くその通りだと思いつつも、一体どう言ったものやら――だ。
 黒木のように思ったままをストレートに言える性質でもないし、戸叶のように捻りの効いた言い方や察しを入れることも出来ず。目で訴える、というのもこの場合妙な気がする。
 変なところで口ベタな自分を半ば呪いつつ、もう半分で落ち着かない左胸と脈動の速さに対して途方にくれる十文字なのだった。

END


ブラウザバックで戻って下さい