063:でんせん
「ねえ、貴方セナ君でしょ?」
にこり、というよりはニヤリ、という言葉が相応しい。そんな表情では目の前の人物に尋ねた。
緑のアイシールド越しに見る彼女の瞳の中には、確信に満ちた光が灯っていた。コクリ、と咽喉を鳴らし
「――ひ、人違いです」
「…ふぅん」
一応は否定したものの、は彼の言葉にその表情を変える事も無く、無遠慮に頭の上からつま先までじろじろと観察した。ポツリポツリと独り言のように言葉を繰る。
「背、平均より小さいよね」
「…はあ」
「んで、スピードはあるけどパワーはない」
「…ええ」
「冷静に考えて、いくらなんでも濃縮還元100%な無茶ばかりするあの先輩とは言えども、他校生を部に入れさせるわけもないでしょうし?」
「無茶苦茶言いますね」
「言い足りないくらいよ。
ついでに一つ、決定的なことがあるの。あたし、セナ君の走り…見た事あるし」
ふふっ、とまるで悪戯をするのが楽しみだといわんばかりの笑みを浮かべてはそう言った。
「正確にはパシらされてるところね。あんまりにも早かったからずっと頭に引っかかっててさー。
コーナリングとか見事だったし! 一瞬ドリフトとか出来るんじゃないかって思ったくらい」
うんうんと、そのときの事でも思い出しているのか、一人頷く。
一体いつのまに、何処で見られていたのだろうか。流石に冷汗の量が増えてきた。
「あ、あの…」
「ああ、大丈夫。バラすとかそんな事しないから」
「…勝手に、納得しないでくださいよ」
「でもビンゴでしょ?」
びっと親指を立てて、得意げに言う。
その仕草に、思わず苦笑を浮かべてセナは同じように拳を彼女の前に突き出した。――状況的に認めざるをえない。否定するための材料がなにも見つからなかった。
「秘密ですからね、特に――」
「まもり先輩でしょ? 判ってるって」
ごつんと拳同士を軽くぶつけながら、は楽しげに話す。
「それに――バラしちゃったらつまんないじゃない。
アメフトはより大きなハッタリかました方が勝ちなんでしょ? だったら当分それをつき通さないと。いいライバルも出来たみたいだしさ」
「そんなっ! ライバルだなんて!
ただ僕は、あの人と――進さんと全力の勝負がしたいってだけで…」
「そーゆーのを世間様じゃライバルって言うんじゃないのー?」
いいわねー、男の子ってさーなどと、冗談半分にがからかってくる。
しかし、なにやら瞳と声が先程よりは性質の違う熱に少しばかり彩られていた。その様子で、こういうことに鈍い瀬名も何となく察せられる。彼女は、恐らく進へ少なからず好意を持っている事を。
「あたしは進さんのファンだけど、曲がりなりにも泥門のアメフト部マネージャーだからさ。
負けるんじゃないわよ、絶対! もっと強くなって、もっと本気を出させるの!」
「…なんとなーく、僕をダシにしようとしてない? さん」
「……気のせいよ」
「じゃあ何で視線そらすのさ」
色つきのプラスチックの奥からから、ちょっと恨みがましく見れば、彼女は頬に一筋の汗を流して明後日の方向に視線を投げていた。
その様子に思わず小さく吹き出してしまう。あ、と気がついたときには、それは彼女の機嫌を損ねさせていて、その代償としてヘルメットごと前後に頭を揺さぶられてしまった。
「わ、わ、わっ!」
「いーじゃないの! セナ君が強くなれば、進さんだって強くなって、もっとカッコよくなるだろうし! 応援やバックアップは泥門優先よ、多分!!」
「多分なの?!」
「そこはホラ、時と場合と気紛れと運命の悪戯っぷりが…」
「物凄く揺らぎまくってるー!」
うわーッ!と叫ぶように瀬名が言うと、何かを誤魔化すようにが更にシェイキングの度合いを強めた。
ようやっと開放されたときには、三半規管すら狂いかけていて、視界は揺らめき咽喉の奥から何か熱い物すら込み上げてくる気配がしていた。何とか根性でもって飲み込む。
「き、気持ち悪……」
「ああっ、ごめんごめん! ちょっとやりすぎた!」
「容赦しないよね、さんって…」
「いつだって全力投球が、あたしのモットーだもん。
…まあ、たまにそのせいでガス欠ってヘロヘロになる時もなるけど」
「自覚はしてるんだ」
「ま、一応。だからってそこで諦める気になんてなれないけど」
悪戯っぽくウィンクをして弾む声音で笑った。
それを目の当たりにし、カラーシールドの奥で僅かにセナの頬が染まる。女の子のそんな仕草に耐性など殆どない。
のパワフルさに少々気圧されながらも、彼女に対する素直な感想を漏らす。
「凄いね」
「…なにが?」
「うーん… 上手くいえないけど――凄いなって思って」
「そ、そうかな? でもあたしから見ればセナ君も凄いと思うけどなあ」
「へっ?」
「だって走るのメチャクチャ早いし、へこたれてそうでへこたれないし、何だかんだ言って扱きにも耐えてるし。ガッツあるじゃん」
ひーふー、と指折り数えつつが列挙していく。
内心、瀬名はこの少女が案外周囲の者や出来事について観察をしているのだなあと舌を巻いた。反面、見られていたことへの気恥ずかしさも込み上げてくる。
「自分で出来ない事を出来る人は、やっぱり凄いと思うし憧れちゃうから」
「あ、その気持ちは凄く判るな」
「んでもって、同じ目線で戦いたくなるんでしょ?」
「…うん! あ、でも――」
「どうしたの?」
「さんがうちのマネージャーやってくれているのって、進さんがきっかけなの?」
「あー、まー…そうなるといえばそうなるのかなァ…」
ふとした疑問を口に出した途端、は唐突に遠い目をして空を見上げた。
何か地雷でも踏んでしまったのだろうかと、瀬名はオロオロと彼女の具合を伺っていたが、は盛大な溜息を一つつくと気恥ずかしそうに語りだす。
「地区大会二回戦の王城戦を見に行った時に…うっかりヒル魔先輩に目をつけられまして」
「うわ、そりゃまた災難な」
思わず出た率直な言葉に、彼女は『ああ、やっぱそう思う?』と力無く笑った。
きっとこの学校の生徒であれば十中八九その感想を抱く自身がある。
「んで、『泥門のマネになればあの寡黙ヤローとの接点が増えるかもしれないぞ』と唆されて入ったんだけど…
よくよく考えてみれば、敵同士になるわけだから接点ってば逆に減らない?! …と思っても今更後の祭り。そして今に至るというわけで」
「……気の毒なことになっちゃったね」
「いやいや、結構これはこれで楽しんでるけどね! アメフトの知識が増えたのはありがたいし」
あははっ、と少々自棄気味の笑いではあったが、はそう明るくいった。
釣られたように瀬名も少し笑いながら、
「前向きなんだね。僕も見習わなきゃな」
「ふふっ、アリガト。それにほら、好きな人が好きなものって少しでも多く知っておきたいじゃない?」
「……その台詞、ちょこっと恥ずかしくない?」
「――けっこー恥ずかしいです、ハイ」
あたしってばオトメー! と叫びつつ、は自分の頬を己が掌で包むようにしている。頬が染まっているのを見られたくないらしい。しかしそれでも指の隙間から赤みを帯びている箇所が見えているので、あまり効果はなかった。
彼女の柔らかで、それでいて熱い感情が伝染したのか、瀬名の頬も妙に熱くなっている様な気がした。
「…頑張ってね、さん。応援するよ!」
「えへへ… セナ君も、ね!」
淡い恋心と憧憬――抱く感情に差異はあれど、互いに目指すフィールドは同じ対等の舞台。
高らかに二人はお互いの掌を打ち合わせ、「ガンバロー!」と気持ちのよい青空の下そう誓い合った。
END
この場合の「でんせん」は「伝染」で。
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