074:合法ドラッグ
「イキモノってのはワリと都合よく出来ていてな。
自分の身体だけで、そこそこ何でも作っちまうんだ」
「そうね、言われてみればそうかも」
アメフト部の部室、部員が去ったその中にいまだ残る二つの影。
一人は帳簿と睨めっこ、一人はノートパソコンと対峙している。
男はキーボードを軽く叩きながら、誰に聞かせるでもなく言葉を続ける。女は半ば聞き流しながらも、適当にそれに相槌を打っていた。
「その中でも最たるものが、エンドルフィン」
「それって何なの?」
「ある一定の状況下に陥った場合、脳内から多量に分泌されて、動悸や血流異常等を引き起こす。
過剰分泌されれば、頭がボーっとしたりするような症状すら出る。勿論思考回路もマトモに機能しなくなっちまう。
手っ取り早くいってしまえば、脳内麻薬――法に触れない、自家生産された合法ドラックだな」
「へぇー! 麻薬成分まで作っちゃうんだ」
つらつらと述べられる説明に初めて女――が感情を込めた返答をした。
その反応に合わせるように、男の方――ヒル魔もディスプレイから目線を外し彼女に向ける。
「ちなみにこの成分は、いわゆる”恋”だとかの状態に最も分泌される。
ま、要は自分の頭の中で出た麻薬成分で、勝手にラリってる状態ってのが”恋愛”状態って奴だ。
どーだ、今のテメーの状況がどれだけ馬鹿馬鹿しいことかわかるだろ?」
「…よーするに、その事が言いたかっただけとか?」
「ほぉ、鈍いテメーにしちゃよく判ったじゃねぇか糞後輩」
ニヤリと笑いそう言うヒル魔に、は深く深く皺を眉間に刻むと己に言い聞かせるような口調で宣言する。
「例えそうだとしても、今のあたしの気持ちは変わりませんから」
「ならこのオレ様直々にあの寡黙ヤローに伝えてやろう」
「尚更結構ッ!
…それに、伝えたところで叶うわけもないのは――あたしが一番知ってるわ」
ヒル魔の茶々に飛び出さんばかりの勢いで否定した。しかし一瞬間を置き、自重するようには呟く。
「不毛だな」
「ええ、不毛ですとも。でもイイの」
「――ほォう」
開き直りとは違うの言葉に、ヒル魔は揶揄するような響きの声を漏らす。
「あたしは彼のプレイを見られるだけで満足してるから。
あの人が…フィールドを駆ける姿を見られれば、それでイイ」
「欲深いのがニンゲンだ。その内、それだけじゃ満足できなくなるぜ」
「ふんっ、そんなのアンタみたいな悪魔に言われなくったって判りきってるわよ」
「ますます持って不毛な堂々巡りだな」
「ほっといて頂戴」
図星を指され、憮然とした表情を隠すことも無く、は再び帳簿に目を落とす。
ヒル魔も同じようにパソコンに向かい、作業を再開し始めた。
部室に紙の擦れる音と微かな打撃音だけが響き、ともすれば互いの呼気すら聞こえそうな静寂に包まれる。
その状態が暫し続いたが、ヒル魔の漏らした声がそれを僅かに砕いた。
「…ま、オレも人の事言えた義理じゃねぇがな」
「何か言った?」
「いーや。テメーの耳が可笑しいんじゃねぇのか?」
「…………そーね。そーかもね」
彼の呟きは、はっきりとの耳には届かなかったようだ。
訊き返したその言葉に、いつものように憎まれ口で返答する。
頬を引きつらせてそれに答え、不機嫌に三度視線を下の帳簿にやるを見、ヒル魔は小さく口の端を持ち上げた。
END
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