022:MD
教会の朝は早い。何しろ色々と後ろ暗いことのある場所なものだから、基本的に人が少ない。故に神父たる言峰の仕事は多岐にわたる。
教会に居を構えるものは現在四人だが、早く起きるのは表向きの仕事の多い神父のみである。他の三名は大抵のんびりと起き出してくるのが常だ。
とはいえ、朝の八時頃ともなれば四名中二人は寝床から起き出して、台所兼食堂へと集結する。言峰神父は既に先に食事を済ませているので――余談ではあるが、くれぐれも朝食を作っておくなどという気の回し方をするな、と釘を差されている――これから準備されるのは三人分である。
作り手は交代制で、ランサーとの二人が担当していた。傾向としてはランサーが和食、が洋食スタイルの朝食をよく作っている。何故ランサーが和を好むのかといえば、『日本の朝飯は焼き魚がお約束なんだろ?』と、どこで仕入れたのかは知らぬが、情報を微妙に自分へ都合よく解釈した結果らしい。
そしてこれまでに話題に上っていない教会に住まう四人の内最後の一人だが、彼――ギルガメッシュは料理などしない。曰く『王が厨房などに立ってどうする』との事らしい。時折、本当に時折、気紛れに手を貸したりするくらいで、基本的にギルガメッシュは食べ専門のスタイルに徹している。
さて、そんな教会の内情などを含めたある朝の事――その日の当番であるランサーをメインシェフに据え、朝食の準備が着々と進んでいた。鯵の開きに甘い卵焼き、味噌汁と炊き立ての真っ白いご飯が本日のメニューである。手際よく調理を進めるその横で、がちょこちょこと動き回りながらアシスタントをしている。
大抵の準備も整い、ふうと一つ息をこぼしてランサーはその手を止めた。配膳は少女が万全の状態に整えている。残るは重役出勤の同居人だけだ。
「さって、じゃあ金ピカ野郎を起こしに行くか」
「うん。今日は早く起きてくれるとイイね」
「あー……」
さらり、と少女の口から零れた何気ない台詞に、思わずランサーは視線を泳がせた。
何しろあの王様は大変に寝起きが悪い。そりゃもうぐずるぐずる。そのくせ起こすのを諦めて先に食事をしたり、あまつさえうっかり片付けてしまおうものならぷんすか怒って不貞腐れてしまうので扱いづらいことこの上ないのだ。『王を差し置くなど無礼者め!』といいながら、《王の財宝》から数々の宝具を開放したことも一度や二度ではない。
はたして今日はどれほどで起き出すのか、ああいっそ槍で射抜いてやろうか…等と、少々陰鬱な気分に陥りかけていた時――
「おはようございます、二人とも。手伝えなくってすみません」
よく通る声が場に響いた。ボーイソプラノのその音は台所の出入り口の方向から聞こえてきている。はそちらをランサーと同じく『誰だ?』という表情で同時に振り返ってみると、そこには一人の見覚えの無い少年が人懐っこさそうな笑みを浮かべて立っていた。
少年は軽い足取りで二人に歩み寄ると、やはり笑顔のままで尋ねてくる。
「お味噌の匂いがしますね。今日の具はなんですか?」
「え、あ、ネギと豆腐だが…」
「わぁ、ボクの好きな具ですよ! ありがとうございます」
戸惑いのまま、半ば反射的にそう答えたランサーに少年は礼を述べた。朝日を受けてキラキラと光る彼の金糸と同じ、いやそれ以上にその表情は輝いている。
湧き上がってくる強烈なデジャ・ヴュ。朝日に輝く金の髪と紅玉のように赤い瞳――どこかで見たことがある様な気がしているのはランサーだけではないらしく、傍らのもなにやら思案を眉根に寄せていた。
二人揃っての胡乱げな眼差しに気が付いたのか、少年は少々バツが悪そうに――そして照れくさそうに頬を掻く。
「この姿では初めまして…でしょうか。ボク、ギルガメッシュです」
その一言に、場の空気が瞬時に凍る。の手から零れた漆の汁碗が、硬い音を立てて床へと落ちた。
※ ※ ※
「つーか、年月ってヤツの恐ろしさをオレは久々に実感したぞ」
「ははは… まあ、ボク自身がそれを一番感じていますよ。何処をどうしたらああなっちゃうんでしょうねえ…」
「落ち着いて観察すりゃあ《気》とかは殆ど同じなんだがな。あ、ショーユとってくれ」
「はい、どうぞ」
「ん。さんきゅ」
もぐもぐと出来立ての朝食たちを食みながら男性陣は和やかに談笑する。
もともと適応能力の高いランサーではあるが、今回の事態もどうやら器の範囲内であったようだ。この状態のギルガメッシュを早速理解し、成長後の彼であればまず間違いなく無理であろう事まで実行している。青年ギルガメッシュに『それとってくれ』と言おうものなら、まず間違いなく『何故この我がそのような事をせねばならぬ』といわれるだろう。それも、無意味やたらと高慢に。
「でも、ギル様も小さくなれるなんてビックリ」
「ま、割と色々なんでもありなんですよ、この世界。さんが時々一時的に成長されるようにね」
少年ギルガメッシュの話によると――彼が所有する宝具の中に、飲み込むと成長が逆転するという愉快な、もとい不思議なモノがあるらしい。時折それを服用しては今の状態になるという。
精神・身体ともに少年期に戻りはするが、成長後の自分の知識も所有はしているという。ただし、その記憶は酷く実感が薄く、まるで他人からの伝聞のよう――だそうだ。
「この事は言峰の野郎も知ってんのか?」
「ええ。何度か僕も顔をあわせてますし。
…それに、十年間《あちら》のボクだけで周囲と何の軋轢もなく過ごすことも難しいと思いませんか?」
微苦笑するその言葉には物凄い説得力があった。ランサーも、そしてでさえも一瞬沈黙し、そして大きく頷く。
…全ての人に朗らか、かつ友好的に物腰低く丁寧に応対するギルガメッシュを想像しようとしたのだが、想像力の逞しい少女ですらあまりのありえなさに首を縦に振らざるをえなかったのだ。
「大体、今回久々にボクになった理由が『もっと寝ていたい』からだなんて酷いと思いません?」
「……いやまあ、うん。アイツ、寝起き悪いからな」
「ギル様、お寝坊するのに小さくなっちゃったんだ」
ランサーは天井を仰ぎ見て、は『なるほど』と頷き納得した。
「まあ、ボクとしても丁度いいといえば丁度よかったんですけどね」
「そうなの?」
「はい。実はさんと一度お話をしたくて」
「――はぁ? 何でと」
「だって、あの彼が主人として選んだ人ですよ。そりゃあ彼女がどんな人物かは《情報》としては所持してますけど、実際に対峙してみないと判らないことも多いわけですし」
「……ま、スジは通っちゃいるが」
もぐ、と鯵の開きを頭から齧りながらランサーはぼやく。にこやかな笑みを浮かべてはいるが、その目は紛れもなく英雄王と同じ――どこか常に冷徹さを湛えた色が静かに凪いでいた。
槍兵がちら、と視線を少女に向けると、バチンと視線が交錯した。こちらは魚ではなく卵焼きを咥えたままだ。戸惑いがの瞳を僅かに揺らめかせている。
「まあボクが表に出てくる事は少ないでしょうけど、一応自分の周囲の事くらいは把握しておきたいですし。
実を言うと、結構喜んでいるんですよ。さんがマスターだってことに」
「…え?」
「だって厳つい男よりも可愛らしい女の子の方が一緒にいて楽しいじゃないですか」
キッパリとしたその言葉に、ランサーは思わずそりゃそうだと心から同意をした。自分だってあんな暗黒外道麻婆神父より、少々危なっかしいが愛らしい少女の方が主人である方が仕えるボルテージは上昇する。
「――さんはどうです? あっちのボクより、今のボクの方がイイなあとは思いませんか?」
くすり、とそんな音が聴こえてきそうなほどに綺麗な笑みを少年は少女に向けた。
しかし矛先を向けられたは、
「小さいギル様も、大きなギル様も、ギル様はギル様でしょ? だったらわたしはどっちも……大好きよ」
えへへ、と少し照れくさそうにははにかんだ。対面のギルガメッシュはそれと対になるように僅かばかり呆けた様に目を丸くしていた。
そんな少女の頭にぽん、と手をおくと、ランサーはいつものようにぐっしゃぐしゃに彼女の髪の毛を混ぜくるように撫でる。
「ホンッッット、嬢ちゃんは大物だな! ついでに訊かせてくれや、オレはどーよ」
「もちろん好きだよ。
…ご飯時になでなでしなかったら、もっと大好き」
「じゃあこれからはメシ時は控えるとすっかね」
そう言いながらも、ランサーの手は暫らくの頭の上を離れる気はないようだ。それにむーっと、小さな抗議の声を上げながらも本格的に振り払うことをしないところをみれば、も心底嫌がっているというわけでもないのだろう。
ランサーは少女をからかう傍ら、にぃ、とどこか挑戦的な表情を口の端に浮かべて眼前の少年に問い掛けた。
「――で、への感想は?」
「…そうですね。ボクも好きですよ、さんの事」
「…………ストレートだな、テメェ」
「ランサーさんほどではありませんが」
さらり、と告げられた台詞ではあったが、その裏には少女を確かに『認めた』という意思が見て取れた。じっとりとしたランサーの半眼を小さな黄金王は、あっさりと黙殺する。
「あ、それとさん。ボクの時は尊称なんてつけないでもらえますか?」
「えっ…?」
「大きい方はそうかもしれませんが、ボクは普通に呼んでもらえるほうがずっと嬉しいです」
「――じゃあ、ギル……くん?」
「はい、是非そちらで」
「うん!」
戸惑うように紡がれた言葉への了承に、の表情が一気に華やいだ。それを受けてか、ギルガメッシュの口元も緩やかなカーブを湛えている。
ただ一人、ランサーが苦虫でも噛み潰したような顔でバリバリと干物を尻尾まで残らず噛み砕いているのを除けば、それは概ね微笑ましい光景であった――
※ ※ ※
――ふ、と。水面に水泡が浮かび上がるように、意識が浮上する。瞬きするたびに、眩い何かが少しの痛みを伴ないながら眼球を刺激した。
久々に思う様に睡眠を貪り、ギルガメッシュは上機嫌でその日の朝を迎えた。丸一日の睡眠の効果か、多少体内の魔力も蓄積されているようにも感じる。朝日の煌きを余裕ある気持ちで受け入れた。
随分と使っていなかった例の宝具ではあるが、このような場合には使えるやも知れぬ、といまだ半ばほど靄がかった頭を奮いながらもそもそとベッドから這い出――ようとして、己にしがみ付く《何か》に気付いた。
どうにも半身だけがやたらと重い。大体子供一人分くらいの重量がぶら下がっているような…
そう思いながら、自身の状況を再度確認してみれば、何故かすやすやと眠る己が主人がギルガメッシュの腕に実っていた。
状況は把握したが理解できず、クエスチョンマークだけが脳内を廻る。とりあえず、腕を一振りして少女を引き剥がした。ぽすん、とベッドに放り投げられたは、それでも目覚める気配はない。
ぬう、と首を捻る。己が身体の主導権をかつての自身に明渡していた昨日、一体何があったのか。《記憶》を辿るがどうにもハッキリしない。
と、そこにノックもなくぬうと一つの気配が室内に侵入してきた。起き抜けの半眼を出入り口へ向ければ、憮然とした表情の同居人がそこには居た。
「――よーやっと起きやがったか、この惰眠王」
「む、雑種ハーフか。今はその減らず口も見逃してやろう。疾くこの状況の原因を述べるがいい」
びし、と指差した先には、グウグウと眠りコケるの姿。ランサーは『あー…』と小さくうめくと、吐き捨てるように言った。
「小さい方のテメエにでも訊きやがれ。
――後、ついでに出来れば当分お前はお前のままでいろ」
「何故そのような言葉を吐く」
「不本意じゃあるが、チビよりもまだお前の方がマシみてェだ。オレにとってはな」
言ってランサーはひょいとの身体を片腕だけで抱き上げる。少女は体重を槍兵の方に預けながらも、どこか幸せそうな表情のまま眠りの国から帰ってくる気配はない。
「とりあえず、はオレが引き取っておく。テメエは二度寝するなり何なり好きにしな」
ランサーはギルガメッシュの反論の言葉を待つこともなく、一方的に告げて去って行った。残されたのは、いまだ半ばほどしか状況を理解できずにいる英雄王ただ一人。
ぼやけた頭で、ふと傍らに視線を投げる。そこには例の薬の入っている小瓶があった。もう一度これを飲むか、と一瞬だけ考えて、即座にその案件を棄却する。何故かは知らぬが、何となく気がすすまなかった。
「……寝るか」
ポツリ、と誰に言うでもなく呟くとギルガメッシュは身体をシーツへと投げ出した。どうやら考えることを珍しくも放棄したらしい。目蓋を閉じ、一拍の呼吸の後、室内には静かで規則正しい寝息の音が広がる。
入眠する直前、ふと傍らが涼しい様な気がして、ギルガメッシュは手近にあった布を中途半端に身体に巻きつけた。
END
MD=もっと大好き…の解釈で。
苦しいというのは自分が一番理解しております。とほり。
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