023:パステルエナメル


 冬のある日――が体調を崩した。高熱が出て、フラフラと視線が定まらずにいる。
 早朝彼女の不調に気付いたランサーは、ひとまずベッドに戻るように言い含めた後、言峰を彼女の部屋に呼びつけた。
 教会内はある程度霊的な防壁も張ってるので、他サーヴァントによる術式に基づいた体調不良とも思えない。では例の『棺』かとランサーはいぶかしんだが、そうではないようだった。

「三十八度五分。恐らく風邪だな」

 体温計にデジタル表示された数字を読み上げる。その熱の持ち主たる少女は、真っ赤な顔をしたままベッドで横になっていた。
 この地に眠る巨大な力が由来なのか、冬木の町は冬でも比較的暖かい。しかし今年はどうにも勝手が違い、他の街と変わらない冬将軍が居座っていた。
 サーヴァントは元々霊体であるからそういった状態変化はないが、人間――オマケに年端もいかぬ子供ならば――はそうもいかない。バッチリ流行の波にのってしまったようだ。

「マスター、あんた治せねェのか?」
「外傷や霊障ならまだしも、こう言ったウィルス性の疾患は専門外だ。普通に医薬品や医者にかかるのが筋だろう。しかし、医者に診せるのはあまり好ましくない」
「となると、一択か。――金寄越せ」
「ほう、アルスターの英雄ともあろう者がカツアゲか?」
「するかッ!! 薬買ってくるんだよ」
「甘いことだ」

 そう言いながらも、言峰は数枚の紙幣をサーヴァントに与えた。薬代にしては少々額が多い。
 首を捻るランサーに、淡々と神父は言葉を続けた。

「使い道はお前に任せる。釣りはいらん」
「…あいよ。適当にさせてもらう」

 言うが早いか、ランサーはさっさと部屋を飛び出していった。そしてそれと入れ替わるようにして、重役出勤の王様が姿を表す。

「…ふむ、はどうした」
「珍しいな。お前がそのように気にかけるとは」
「日頃から喧しいのが大人しければそうも思う」
「フッ、成る程。…は体調を崩したようだ」
「ほう。何とかは風邪を引かぬというのはやはり迷信か」

 含みの入った台詞にベッドの住人となっているが抗議の声を上げる。しかし、常とは比べ物にならぬほどそれは弱々しく、不明瞭な唸り声にしかならなかった。

「私はこれからミサの準備があるのでな。この場は任せたぞ」
「――何故我が」
「ならば私に代わってお前が取り仕切るか、ギルガメッシュ。それでも一向に構わんが?」

 表情のない表情で言峰が尋ねる。それにぐっと言葉を詰まらせ、無言でギルガメッシュは「早く行け」と催促した。昔気紛れでミサに顔を出した際、周囲の――特に若い女性の――視線が大変に鬱陶しかった記憶がある。
 何しろ教会の表の事業ゆえ大っぴらに殺すわけにいかないし、ストレスだけが溜まった。あんなものに二度と参加する気など知れないというのに、進行役などもってのほかだ。
 ではな、と一言残して神父は部屋を後にする。場に残されたのはギルガメッシュとのみだ。
 熱で血管が膨張しているためだろう。気道が圧迫され、呼気は浅く早くなっている。苦しげに呼吸するその様子は、それはもう立派な風邪患者の容態だった。

 この状況で一体何を任せるというのだろうか、あの主は。
 ギルガメッシュはそう心中で毒づく。宝物として収拾してきた中には様々なものがあるが、流石に薬の類を引き出す事は難しい。
 そもそも王は病を治すことが仕事ではなく余人を支配することである。治療は医者の領分だ。たとえ全知全能と謳われようと、カテゴリー外の事となると流石に手に余る。
 それ以上に――このようにベッドでうなされて苦しむ第三者というのは非常に不愉快だ。

「…ギル様?」
「――なんだ、雑種。王に声をかけるとは不届きな奴め」

 いらつきを隠さぬ声で、の呼びかけに応える。
 しかし彼女はそっと手を布団の中から出すと、それを彼へ差し出した。意図が汲めず秀眉を顰めると、はおずおずと弱い口調で続けた。

「おてて…握ってて欲しいな」

 だめ? と小さく首を傾げる。
 しばし無言でそれを見ていたが、ふっと僅かに息を吐いてギルガメッシュは彼女の寝ているベッドに腰かけ、その手を取った。

「よかろう。慈悲をくれてやる」
「えへへ… ありがとー」

 そう答えたは心底から嬉しいのだ、とばかりに蕩けそうな微笑みを浮かべる。そしてそっと小さな目蓋を閉じた。暫らくそのままでいると、ふわふわとした言葉がの口から零れる。

「ギル様の手、冷たくって…気持ちいい、よ…」
「……?」

 問い掛けるも、返事はない。熱に浮かされ、恐らくは先程の願いも朦朧とした意識下のものだったのだろう。それが聞き遂げられ、安心でもしたのかどうやら眠ってしまったらしい。先程より呼吸も規則正しくなっていた。
 常ならば象牙色をしているすべらかな頬。それは今や熟れたリンゴのように火照り、触れている小さな手にも強く熱が篭っている。

 その昔――唯一、友だと断言できる男を看取ったときにも似た熱を感じた。あの時ほど神を、世を、自分を呪った事はない。
 何故そんな遥か遠くの事に今こうして想いを馳せているのかは判らない。ただこの熱すぎる彼女の手が自分でも半ば忘れていた記憶を呼び出したのだろう。

 ただ強く。その手を握る。
 は英雄王の魔力の材料として引き取られてきたに過ぎない。だから、こんな単なる病に彼女を掻っ攫われるわけにはいかない。この内部にある執着にも似た何かは、それが我慢ならないからだけだ。
 そう、それだけのはずだ――
 
 時計の秒針が時を刻む音と、の呼吸音だけが室内に響く。

「我の許しなく…傍を離れるなど許さぬぞ」

 その唱和を乱すように、誰に言うでもなく王は呟く。己が手の中にある小さなそれにそっと唇を寄せた。



 買出しから帰ってきたランサーの目に飛び込んできた光景は、それはもう度肝を抜くものだった。
 まず英雄王が寝コケている。これはこれでレアだってのに、オマケにその場所はのベッドの上だった。
 そして熱出しているはずの当人は、あろう事かその我様の腹の上にちょこんと座り込んでいた。――その手にご立派な油性ペンを持って。

「あれ、ランサーどこかに出かけてたの?」

 常なら全身青ずくめの男が白いシャツに黒の革パンツであることが不思議なのか、こりんと首を横に傾けながらが尋ねる。
 その言葉に朝のような熱は含まれておらず、まだ多少顔は赤いものの随分と生気が戻っていた。どうやらある程度症状は治まったらしい。まあ熱というものは朝と夜に強く出るものである。

「ああ、ちょっとな。…んで、嬢ちゃんは何してるんだ?」
「らくがきー!」

 キレイから借りたの! と誇らしげに彼女はそれを見せた。黒色油性のペン先は無常なほどに存在を主張していて、これで文字なりを書けばそれはくっきりとキャンバスに描かれるであろう。
 果たしてその餌食となった王は、己の悲劇を察することもなくすやすやと眠っている。そして額には燦然と輝く「金」の文字。「肉」でないだけマシか、もしくは逆か。
 どんな経緯があったかまでは判らないが、一応の事態を把握し終えてランサーはうむと頷いた。

「いい仕事しているな」
「えへへ」

 ぴょん、とギルガメッシュから飛び降りると、はとてとてとランサーに歩み寄る。スーパーのものらしきビニール袋の中身が気になるのか、視線はそちらに固定されていた。
 すっかりいつもの調子の彼女に小さく笑いながら、袋の中から缶詰を取り出す。

「見舞いにはやっぱり果物だよな」
「わァ…桃缶ー!」
「生のミカンもあるぞ。寒くない格好してきな。台所で一緒に食おうぜ」
「はーい」

 元気よく片手を上げるの様子に、思わず頬が緩む。ランサーはこの後に必ず落ちるであろう英雄王の雷は、とりあえず思考の片隅に押しやることにした。。

END


英雄王の友人とかは創作設定です。
一応伝説上にいたそうですよ、我様にも
>BYギルガメッシュ叙情詩


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