035:髪の長い女
聖杯戦争の主舞台は夜中であるが、教会の朝というのは早い。
礼拝に訪れるものは様々であるので、それに応えられるよう礼拝堂はそれなりの時間には開けているからだ。
言峰はその日もいつものように簡単な清掃を終え、準備を整えていた。
ギィ、と扉の軋む音が聴こえる。それは外へと繋がっている扉からではなく、居住区側のほうからだった。誰かは知らないが今日はまた随分と早いな、と視線だけをそちらへ向けると、そこには酷く髪の長い人物が立っていた。顔は前髪で隠れてよく見えない。
はて、そんなものはいなかった――ランサーはそれなりの長さだが、そもそも色が違う――と、首を捻っていると、その人物は小走りで言峰の方へ駆け寄ってくる。
「キレイーッ!!」
知りうる限り、彼をこのように呼ぶものはただ一人だ。しかし、彼女はここまで髪の毛が長くはない。あんなまるでどこぞのホラー映画のキャラクターのようにぞろぞろとした髪ではなかった。
は勢いそのままで言峰の腰目掛けて飛び込んでくる。がつん、と身体に衝撃が走った。
しかしそれに気付いてないのか、気にしていないのか。は矢継ぎ早に言葉を繰り出した。
「朝ね、起きたらね、髪の毛がこんなになっててね」
よほどのパニック状態なのだろう。アワアワと身振り手振りで自身の異常状態を示す。その声は割れていて、半泣きのようだった。
「髪の毛って一晩でこんなに伸びるものなの??」
「……それであれば、世の中の美容師は大繁盛だ。
まずは落ち着くがいい、よ」
そう言って、しがみついていたをべりっと音がせんばかりに剥がす。
少し距離をおいて、改めて少女を観察してみる。背丈は常と変わっていない。ただ髪の長さだけが異常に――足首ほどにまで伸びていた。昨日まではここまでなかった。まるで神秘や奇跡の類のようである。
ひとすくいそれを手にとってみた。さらりとした手触りは上質の絹糸のようで、その中に強く魔力を感じる。これもまた異常であった。
そもそもは魔術師などではない。当然魔術回路も保持していない。身寄りもなく、後腐れのない補給源として、ただ英雄王の糧となるべくこの場所に引き取られた。家系もごくごく一般人で特出するものはなかった。
となれば――
「…これはただの推測だが、お前は何らかの特異なものを持っているのだろう」
「とくい?」
「私の知る限り、一晩で髪の毛を伸ばすような珍妙な魔術などないのでな。ならば何らかの別の要因でそうなったと考えるのが普通だ」
髪は古来より人体に置いてもっとも魔力の蓄積しやすいものの一つといわれている。
小源を精製できぬ身ならば、恐らくこの髪に詰まっている魔力の出所は大源。外界より魔力を吸収し、体内に蓄積。発散するあてのない魔力はその出口を求めて発現しやすい場所に集中した。その結果がこの異常だと考えれば一応の筋が通る。
何しろ教会には二体のサーヴァントがしょっちゅう現界している。魔力によって存在する彼らはその場にいるだけで強くそれを発する。
そんな事をにつらつらと語っていたが、どうやらは理解が出来ないらしく疑問符を目一杯浮かべていた。これでは意味がないな、と悟った言峰は、判りやすく大雑把にこう言った。
「要はこれからもなんらかの異常が起きるかもしれないということだ」
「ええー」
不満そうに声を上げる。まあ無理もないことである。
「ひとまず、その髪をどうにかしなくてはな。待っているがよい」
そう言い残し、言峰は居住区の方へと足を向ける。こくんと頷いたは、礼拝堂の椅子に腰を落とした。
待つこと暫し――帰ってきた神父は、その手の中に折りたたみの椅子やらブラシやらを持って来ていた。
床に新聞紙を引いて、その上に椅子を組立て置く。この場所にくるように、とを手招いた。ちょこん、と座った彼女の背後に回り、ブラシで艶やかな髪を梳きながら尋ねる。
「何か希望はあるかね?」
「うーん… 前が見れればそれでいいよ」
自分の前髪を手でかき分けながらは言う。どうやら彼女は井戸お化けもかくやと言わんばかりの前髪が気に入らないらしい。
判った、と言峰は短く言うとふわりと白い布を少女の華奢な肩にかけた。
「目を閉じるがいい」
「はーい」
指示通りには目蓋を閉じる。視界が閉ざされ、ただ聴覚と触覚だけが状況を伝えるに過ぎない。
しゃきしゃきという金属音。ぱさり、ぱさりと断続的に続く紙の音。そこに時々衣擦れや髪を梳く感覚が混じる。触れてくる言峰の手は無骨な物であったが、存外と気持ちのよいものだった。
少しだけ髪の毛を引っ張られる感じがして、一体どうなるのだろうという不安と期待感に包まれる。はうつうつと時が経つのを待った。
「――終わったぞ」
その声でははっと意識を取り戻す。少し夢うつつになっていたようだった。
肩にかけられていた布が取り払われ、代わりとばかりに手鏡が差し出される。
その中の人物は髪の毛で顔は隠されておらず、きゅっとサイドは結い上げられてリボンで飾られていた。髪は異常に伸びる前と同じくらいの長さだったが、髪型に華が含まれて入るせいかまるで別人のように感じた。
思わずマジマジと鏡面を見つめ、は感嘆したように呟いた。
「キレイって、魔法使い?」
「残念ながらただの神父だ」
起伏の少ない返答だったが、それはいつもの事なのでは気にしない。
それでも彼の仕事振りが気に入ったのか、椅子に座ったまま楽しげにプラプラと足を振らせつつ、鏡と睨めっこを続けていた。
END
長編用に考えていたネタを小出しにしてみたり
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