043:遠浅



 アーチャーが懐かしい時代に召喚されて数日。判ってはいた事だが、己のマスターの人使い――この場合は英霊使いだろう――の荒さに溜息の一つもつきたくなる。
 英霊は聖杯戦争にこそ使うべきであり、家事手伝いをさせるものではない。そう反論したところで、悲しきかなサーヴァントのこの身。令呪を盾に輝く笑顔で『いいじゃないのそれくらい』と返されれば、抗う術もない。
 大体私は先日の受けたセイバーからの傷も、まだ完全には回復しておらぬのだぞ。地獄に落ちろ、あかいあくまめ。

 しかしぶつくさ言ったところで彼に生来染み付いた執事スキルは変わることなく、商店街を練り歩いてお買い得商品をちゃっかりゲット。密かな達成感と満足感を抱きつつの帰路、気紛れに最短距離ではなく商店街近くにある小さな公園の側を通りがかる。
 ブランコ・砂場・滑り台と一通り遊具は揃っているが、どことなく寂しい雰囲気をもっていた。常ならば人の影などそうなかったその場所に、今日は珍しく人影がある。
 それは少女のようで、ある一本の木を睨みつけていた。そして時折手を伸ばして精一杯ジャンプをしている。幾度かそれを繰り返し、肩で息をしながら一休み。そして再チャレンジ。
 何度かその繰り返しの行動を見、ふと彼女が挑んでいる樹木に目をやれば、くすんだ緑色の中に場違いなほど鮮やかなイエローの染みがあった。
 状況を把握するに、恐らくは風船の類でも木に引っ掛けてしまったのだろう。そしてその高さは、少女にとっては手の届かないもの。

 さて、どうするか――
 一瞬だけ脳裏で選択肢を浮かべたが、その答えを出すより早く脚は彼女の方へと向かっていた。

「――どうした?」
「うわひゃ!」

 声をかけると、少女――は妙な声を上げた。よほど熱中していたのだろう、アーチャーが近付いてきたことにまったく気付いていなかったようだ。
 仰天したままの表情でが振り返る。自身の側に立つ長身の男を見上げて言った。

「おじちゃん、誰」
「…ただの通りすがりだ。そしておじちゃんではなくお兄さんだ」

 先程の台詞はちょっと痛かった。むしろクリティカルヒットだ。
 まあ確かに死亡した頃はそう言われても仕方のない歳だったかもしれないが、それでもやっぱり子供に何の当てこすりもなく自然に言われるとショックである。

「で、何があったのかね?」
「えっとね…風船、逃げちゃったの」

 ほら、と小さな指で指し示す先には存外高いところに引っかかっている風船があった。垂れ下がっている糸もそれなりの位置にある。成る程、これでは少女がいくら飛び上がったところで手が届くはずもない。
 しかしアーチャーが手を伸ばせば楽に届くであろう。そうしてもよいが――

「ふむ、君はアレを取り戻したいのか?」
「うん」
「…どうしても?」
「うんッ!」

 少女はぐっと握り拳まで作って、至極元気一杯に答える。じっと真っ直ぐアーチャーを見詰めてくる眼には確かな意志を感じた。

「では――助力をしよう」

 アーチャーはすっと膝を曲げると、の身体を軽々と抱きかかえた。リフトアップされた本人が「きゃあ!」と小さく叫んだようだが気にしない。人をおじちゃん呼ばわりしてくれたささやかな仕返しだ。

「さて、こうすれば君の手でも手が届くだろう?」
「う、うん」

 まだ少し言葉には戸惑いが感じられたが、それでも一生懸命に手を伸ばして糸を掴んだ。それを手繰り寄せ、風船本体を腕の中に収める。それを確かに確認して、今度はゆっくりと彼女を大地へ下ろした。
 両の足をしっかりと地面につけ、両手でガッチリと風船をキープ。数歩歩みを進め、アーチャーのほうに身体を向きなおしてぺこりと行儀よくお辞儀をした。

「ありがとうございました!」
「次からは気をつけるがいい。こうして誰かの助力があるなどという幸運は早々無いのだからな」
「はいっ」

 戻ってきたことがよほど嬉しいのか、キラキラと表情を輝かせていた。
 礼儀正しい良い子だと思う。感情に素直なところも子供らしくてよい。何分自分の主人がちょっと込み入った性格だからか、痛烈にそう思った。
 ぷらん、と風船から垂れ下がっている糸を手に取る。何をするのだろうと疑問を視線で投げかけているに大丈夫だ、と小さく笑った。にこ、と笑みを返してくる彼女の手に糸を緩く結び付けてやる。

「これでもう離す事はなかろう」
「えへへ… ありがとう、おにいちゃん」

 はにかみながらのからの礼に、思わずアーチャーのほうも暖かさが溢れる。
 吹き付ける冬の冷気が、今だけはまるで初春のように感じられた。

END


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