057:熱海



 その日は、とびきりに寒い日であった。
 寒い冬の一番の過ごし方――それはやはり炬燵で蜜柑だ。誰が持ち込んだのかは定かでは無いが、教会のある一室ではまさにそんな光景が展開されていた。
 四人掛けの正方形の炬燵と、その天板の上には山と詰まれた蜜柑。ちなみに蜜柑は某虎が懲りもせず箱買いをし、処分に困ったとある知り合いよりのお裾分けである。
 そんな卓を囲むは三名。一人は一所懸命に蜜柑を剥き、また一人はごろりと横になり、もう一人は何やら雑誌を興味深そうに眺めていた。
 穏やかに、いやむしろダラダラと過ぎ行く冬の日。それを破ったのはとある一言である。

「我は温泉を所望する」

 それを発したのは、傲岸不遜で脈略のない金ぴか様だった。彼の宣言に、同席した者達は胡乱げな眼差しでギルガメッシュを見る。えっへんとばかりに無意味に胸を張ってまでの宣言ではあったが、残念ながらそのようなポーズは彼らにとっては見慣れた只の日常光景でしかないので効果は薄い。
 そのまま暫し流れる空白の時間。暫しの間のあと、ランサーは再びごろりと横になると、ハエでも追い払うような手付きを付随して己の意見を述べた。

「箱根か熱海あたりにでも行っとけ」
「うむ、それも考えたが行き帰りが面倒だ。近場にあれば好きなときに行けて便利であろう」

 まあその言葉自体には一理あるのだが。問題としては彼らの知りうる限り、冬木の土地には自噴の温泉がないのである。要するに近場にはない。
 ふと、それまで一心に蜜柑を剥いていたが不思議そうに声を上げた。

「ねえねえ、温泉ってなぁに?」
「地熱で地下水が熱せられ、湧き出たものだ。土地土地によって効能はさまざまであるようだが、主に血行の促進・皮膚疾患などに効くものが多いらしいな」
「へぇー」

 判ったのか判らなかったのか微妙な言葉を返しながら、少女はもぐもぐと蜜柑を頬張る。どうやらこの説明ではあまり興味がわかなかったらしい。
 反応の鈍い少女に見切りでもつけたのか、ギルガメッシュはその視線をごろ寝を満喫している青年へと向けた。次の瞬間、彼の顔面目掛けて所持していた雑誌を放り投げる。それは見事狙い通りばさりとランサーの視界を塞いだ。

「オイコラ金ぴか、イキナリ何しやがる!」
「五月蝿いぞ、駄犬。まずはその記事に目を通すが良い」

 抗議の声を一蹴し、ギルガメッシュはそうのたまう。被害者はちっと鋭く舌を打ちはしたものの、渋々とばかりに投げ渡された雑誌の記事に視線を走らせた。途端、ランサーの目付きが変わる。ギラリ、と光るそれは獲物を見つけた獣の目だ。

「――なるほど。まあ、近場にあっても困るモンじゃねぇな」
「うむ。ないなら作ればよいだけの事だ」
「よーし、まあ暇だしいっちょやってみるってのもいいか!」

 何故か一気に意気投合する男性陣。すっくと立ち上げると、足早に連れ立って炬燵部屋を後にした。
 残されたのは蜜柑を堪能していた幼い少女と、所在なさげに置かれた旅行雑誌が一冊。その表紙にはこんな一文がデカデカと踊っていた。

『混浴が楽しい温泉・全国ベスト10』

 サーヴァントだろうと英雄だろうと神様の血が流れていようと――誠に男とは悲しい生き物である。

※ ※ ※

 言峰教会の敷地は割と広い。無為に空けられたスペースには手入れの行き届いていないところもある。そのうちのひとつ、裏手にある空き地に男達は集合していた。
 そもそも日本で言う温泉の定義は――法にのっとれば、必ずしも水の温度が高くなくても、普通の水とは異なる天然の特殊な水やガスが湧出する場合に温泉とされる場合が高い。温度によって細かく区分され、更には火山性のものか否かでも区別されている。
 だが、楽しむ分にはそんな些少な知識など求められていない。程よい温度と湯量があればそれでよいのだ。
 日本は火山列島であるが故に、地脈の流れもそれに沿ってあちらこちらに発現している。この冬木も例外ではない。火山そのものこそ無いものの、冬でも温暖な気候は大地の気が豊富であることを如実に示していた。
 魔術的見地から行けば、温泉はそういった土地の命脈と密接に関係しているという説が一般的である。冬木の街の代表的な霊地は柳洞寺・中央公園・アインツベルン邸・衛宮邸・遠坂邸・間桐邸――そして、言峰教会もその一つだ。そうしたことから、ボーリングを行えば高確立で温泉に当たる見込みはある。

「よっしゃ、んじゃいっちょやるか!」
「うむ」

 そういう男達の手にあるものはそれぞれの獲物だ。せーの、とばかりに魔力をごくごく微力加え――

「天地乖離す開闢の星!」
「刺し穿つ死棘の槍!」

 世界を切り裂く剣と因果を逆転させる槍とが大地に向かい放たれる。極僅かな出力で繰り出されてはあるが、そこはやはり英雄の獲物。いともあっさりと地面には大穴が開けられ、そこから勢いよく湯が吹き出てくる。

「うまくいったようだな」
「となると…次は目隠しか。お前んとこの蔵になんかテキトーなもんねぇか?」
「我が蔵は倉庫ではないぞ」
「じゃあ無いってか」
「この世のありとあらゆる宝を貯蔵しているのだ。無論ある」

 えっへん、と無意味にギルガメッシュは胸を張る。

 ここにかの漢がいたのであれば、その口からこう呟かれた事だろう。なんでさ。

 ※ ※ ※

 紆余曲折はあったものの、無事温泉は完成した。所要時間はなんと半日。英雄達が自身の力の全てをもって、全力で建立をした結果のハイスピード決着だ。主の許可無く勝手に言峰教会の敷地内に作られたそれは、そこらの温泉旅館も顔負けの施設へと変貌していた。
 泥に塗れながらも仕事をやり終えた漢達は、意気揚揚と教会内へ帰還する。彼らの目的はただ一つ――

「おーい、嬢ちゃーん。どこだー?」
、おらんのか? 返事をするがいい」

 主と共に一時の休息を取る。ただそれだけだ。
 しかし呼べども呼べどもの気配は感じられない。代わりに出てきたのは――

「何事だ、騒々しい」

 教会の主たるミスター麻婆、言峰綺礼その人だった。

「いや、嬢ちゃんを探していただけなんだが」
「言峰はがどこにいるかは知らんか?」
ならば冬の娘のところへ出かけたぞ」
『なにィ!?』

 さらりと告げられた事実に、ランサーとギルガメッシュはそろって驚愕の声を上げる。その反応に満足したのか、言峰はいつものように薄い笑みを貼り付けた表情でとつとつと事態を説明した。

「お前たち、今朝方温泉について話をしていたそうだな。
 は興味をそそられたのか電話でイリヤスフィールに訪ねたところ、偶然にも彼女の城に沸いているとのこと。百聞は一見にしかずと、先ほど私が彼女にせがまれて郊外まで送り届けてきたところだ。一泊して十分堪能してくると嬉しそうに言っていたが」

 何たることか。温泉掘りに夢中になっている間に、そんなことになっていようとは。まさに油揚げをもっていかれた気分である。
 ガシガシとランサーは頭を掻きむしり、ギルガメッシュは怒りを元主人へと真っ向からぶつける。

「あークソ、タイミングわりぃ!!」
「言峰、貴様引き止めるべきだろうが!」
「なに、お前たちがそんなことをやっているとは思いもよらなかったのでな。せめて事前に話があれば、私とてに今しばらく待つように言ったものを」

 嘘付けお前知ってて城に送っただろ。

 そんな感想が即座に二人の胸中に浮かび上がるが、全ては後の祭り。罵倒しようとなんだろうと、一晩彼女は帰ってくることは無いのは確実だ。

「せっかく作ったのだからお前たちもその泥を落としてきたらどうだ。早速役に立つぞ」
「却下だ。一番風呂は我が主と共に入ると決めている」
「同じく。そのために作ったよーなモンだしな」

 普段仲の悪い二人だが、今日に限っては妙に結託していた。半日土木工事に従事した儚い友情の成果かもしれない。

「――しかし」

 ふむ、と言峰が一人ごちる。

「大の男と10歳の少女が混浴というのは倫理上どうかと」
『貴様が言うなぁー――――!!』

 黒幕ランクナンバーワンをも狙える真っ黒神父の倫理観溢れるその台詞に、サーヴァント二人の魂の突っ込みが冴え渡った。
 その後、彼ら二人がと湯を共にすることが出来たかどうかというのは定かではない。とってんからりのぷう。

END


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