069:片足
学校から自宅への帰路。今日は土曜日だからその時間も早い。
お昼間近の住宅街は、奥様方が昼食の支度の真っ最中なのだろう。人の気配は多少あるものの、あまりその影はない。
そんないつもの通り道である十字路の片隅に少女が蹲っている。
すわ何事かと注視してみれば、涙を懸命に堪えているその瞳は、瞬き一つでその危ういバランスを壊しそうなほどだった。
子供特有のバランスの顔立ちの中でも一際大きくなっているそれに力を込め、じっと膝を睨みつけている。
「――どうしたの?」
なるべく驚かさないように膝を落として目線を合わせ、優しく声をかけると、少女はビクッと小さくその身を震わせた。
暫らくマジマジと男を――士郎を見つめた後、少女は自身の膝小僧に視線を落とす。その場所は酷く赤味が刺し、ジワリと同じ色の液体が滲み出ていた。
己の幼少時――いや、今も時々――によく作った擦り傷。怪我の程度としては小さいはずなのに、痛みと来たらご立派なそれに何度悩まされた事か。
「ああ…転んじゃったとか?」
士郎の台詞に、少女がコクリと一つ頷きで返す。
やはり、と納得して
「早く手当てしないと化膿するかもな… 君のおうちは近く?」
「…ううん、新都の方。ここからだとちょっと遠い」
そう言って少女が指し示したのは、教会のある丘の方向だった。
なるほど、確かに深山町からは少々遠い。では何故こんなところまで足を伸ばしているのかともチラリと思ったが、友達の家にでも遊びにいったとかそんなところだろうと士郎は考え直す。
「んー…、じゃあ俺の家のほうが近いな。一緒においで」
「え、でも… 知らない人についていっちゃダメって――」
正しい教育を受けているらしい少女は、戸惑いを隠さずおずおずと声を上げる。語尾はゴニョゴニョと口ごもられたためはっきりとは判らないが、その言い分は正しい。
「俺は士郎って言うんだけど、君の名前は?」
「…」
「ん。じゃあこれで俺はちゃんの事を知っているし、ちゃんも俺の事を知ってる。知らない人同士じゃないぞ」
それは良識や常識を備えたものから見れば確実に屁理屈の言い分だったが、少女――は納得したようだった。びっくりしたように潤んだ目を見開いて、日差しを思わせるような表情で笑う。
つられるようにして士郎も顔をほころばせ、制服のポケットからハンカチを取り出す。さっと彼女の膝に巻きつけた。
「ダメだよ士郎お兄ちゃん。お兄ちゃんのハンカチ、汚れちゃうよ」
「でももう巻いちゃったし。片足怪我してたら歩くのも大変だろ? 俺の背中に乗ったらいいよ」
「え―― で、でもっ」
「遠慮しなくってもいいって」
これでも正義の味方を目指す身だ。やっぱり正義の味方は女の子や子供に親切でなくては。それがなくとも、困ってる小さな子を助けるのは年長者として当たり前だろうし。
ほら、と背中越しに促すと、はそろそろとその体重を士郎に預けた。やはりとなんと言うか、外見通りに重さもそう大した事はない。ぐらつかないようにしっかりと彼女の身体を抑えて、すっと立ち上がる。
「それじゃ出発な」
「はーい」
は先程より随分と軽い声で元気の良い返事を返してきた。いつもと違う高さが物珍しいのだろうか、ソワソワと首を動かしているのが背中越しに伝わってくる。
無邪気なそれに思わず口の端が上に向いてしまう。何とはなしにこんな妹がいたらきっと猫かわいがりしちゃうんだろうなー、なんて心の中で士郎は呟いた。
END
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