094:釦(ぼたん)
始まりは、ただの何気ないの一言だった。
何故そんな話題になったのかも最早定かでは無いが――将来何になりたいかだったかのような覚えがある――とにかくその一言は場に絶大な威力を絶望と驚愕を伴なって炸裂した。
「えっとねえ… キレイのお嫁さんとか!」
ゴフッ! がほげぼごがふっ! ガチャパリーン ! ずかしゃっ!
はにかむような少女からの突然にも程がある爆弾投下に、その場にいたものがそれぞれに噴出したり咽たり物落としたり倒れ込んだりと様々なリアクションで応戦した。
そして残酷なまでの静けさが場を包む。音のないことがこれほど鼓膜に響くのだということを彼らは初めて思い知った。
「――か」
最初に復活したのはランサーだった。自身に纏う青い装束に負けないくらい顔面を蒼白にし、頬に縦線をこれでもかと差し込ませた鬼気迫る表情で言う。
「考え直せじょーちゃん!!」
「そうだ! 人生をその幼さでいきなり溝に捨てなくてもよいのだぞ?!」
「何か辛い事でもあったんですか?! 私でよければ話くらいは聞きます!」
「主よ。そのような世迷い事、二度と口にするではない!」
「私が言うのもなんですが…いくらなんでもそれはあんまりです」
槍兵からの狼煙が上がるや否や、ここぞとばかりにサーヴァント勢から放たれる言葉の一斉射撃に少女はオロオロと視線を彷徨わせる。
しかし助けを求めようにも残る人間勢はいまだ放心していたり、腹抱えて笑っていたりで役に立ちそうもなかった。
何か自分は拙い事を言ってしまったのだろうか…
圧倒的な批難の声に、は思わずそう心の中で唸った。
何しろぽんと出てきたものを、そのままに口にしただけだったから、よもやここまで言われるとは完全に予想外だったのだ。否――悪気なしの言葉だっただけに余計に性質が悪い。
むしろ、散々にあの神父の非道外道人外麻婆っぷりを見せられても、なおそう思える辺りが凄いというか何と言うか。
『印象』という名の掛け違えた釦に気付かぬまま――まあ、彼女に初めて彩りを与えたのがかの神父であるという事実はこの際考えないことにして――の世界が作られてしまっただけだ。そうに違いない。三つ子の魂なんとやら、あるいは刷り込みという部類のものだろう。
「綺礼とねえ… よくよく考えなくても犯罪者と誘拐されてきた被害者っぽい絵面よね」
「遠坂ッ! 洒落になってない、洒落になってないぞその例え!!」
「ちゃん…わたしね、人間ってもう少し幸せになれる方法があると思うの」
凛はツボにでも入ったのか笑いっぱなしだし、士郎は真っ白な顔色でそんな彼女を批難している。桜に至っては殆ど涙目で、このまま放置しておけば人生についてトクトクと語り出さん勢いだ。
ひとまず、この場でもっとも話が通じそうな凛には助け舟を求めた。
「えっと…わたし、何かマズい事言ったの?」
「んー…そうねえ。個人的には面白いことになりそうだからイイとは思うんだけど――」
「面白そうかそうでないかで一人の人生の先行きを判断しないでくれマスター!」
「……大概の人はアーチャーみたいな感想のようね」
「年齢的に考えても犯罪だろ、絶対」
「あら、2、30の歳の差は割とよくあるじゃない。後5、6年すれば国にも認められるわよ」
士郎のツッコミも凛には届かない。ほほほ、と高笑う。彼女はこの事態を完全に面白がっていた。あかいあくまの名は伊達じゃない。
「国が認めようともこの我が許さぬわー!!」
「つうか認めるのいないって! には戸籍そのものがねェだろうが!
ついでに万が一にもありえようモンなら阻止する! ンなコト認められっか!!」
ちゃぶ台が眼前にあろうものなら、どこぞの親父張りに豪快にふっ飛ばしていたであろう英雄王の叫びが轟く。それに続けとばかりに、ランサーが彼にしては珍しく理詰めの否定論を展開し、最後はやはり堂々巡りの感情論で締めくくった。
槍兵の言葉の中にあった単語に、ふとライダーが眉を顰める。
「…には戸籍がないのですか?」
「うん。キレイがなくしちゃったって。だから学校にも行ってないの」
「なくしたというよりは…作為的でしょう。あの神父ならば確実に。
しかし、学校に行ってないのは問題かもしれませんね。一般的な感覚がないからこそのあの発言とも考えられる」
「考えてみれば…ちゃんの周りって」
セイバーの考えに応じるように、桜は改めて周囲を見回した。
人間の数より多いサーヴァント、その人間とて魔術師と魔術使いだ。この場にいない彼女と面識のあるものを考えるが…藤村は一般人のカテゴリーに入るかといえば微妙に首を傾げざるをえないし、イリヤはホムンクルスであるからして端から常識外。神父は言わずもがな。
そもそも自身が普通ではないということもあるのだが、濃縮還元原液を軽く超えている現状そのものが問題だという事は確かにありそうだ。
「学校かあ… ちょっといってみたいかも」
どんなところだろう? と、無邪気に言うの姿に、思わず桜達の胸に熱いものが広がる。
セイバー、ライダー、桜の三名は無言で視線を交わしあうと、こくんと頷きあった。言葉を交わさずとも、彼女達の心は一つにまとまっている。
――輝かしくあるべき少女の未来を、真っ暗闇に放り込んでなるものか!
かけ違えられたままの釦を修正するため、ここに密やかな誓いが立てられたことを知る者は今は彼女らの他にはなかった。
後々、この同盟はどんどんと広がりをみせたとかみせなかったとか。どっとはらい。
END
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