彼らはある問題に直面していた。
眼前に鎮座する予定のものは、恐ろしいことに既に慣れきってしまった感のある脅威。
それは視覚においてすら破滅的であり、嗅覚においては言うや及ばず、味覚に関しては語ることなど既に出尽くしてしまったこの世の地獄が一。
即ち――泰山の麻婆豆腐である。
嘆くべきことは教会の主の好物がこの悪魔の食品であり、かつこの必殺麻婆を提供している中華料理店が出前も受け持っている点であろう。
昼食の席にて提示された深紅の海に、常よりほとほと辟易していた二人は無言の内で視線を交わした。ちなみにこの教会に住まうものは四名。うち一人は朝から出かけているため姿は無く、ギルガメッシュとのみである。
「……どう、しよう」
「うむ、王たる我が名に恥じぬ言い方をするのであれば戦略的撤退を行うべきだな」
そして最後の一人は彼らの背後にいた。異様な威圧感でもって二人を牽制しているが、まあある意味いつもの事なので効果としては半減状態ではある。
だが問題は彼との間合いであり、このポジションが完全に神父の縄張りに入っている点だ。逃げ出すことも難しく、かといってこのまま無為に時を過ごせば自動的に泰山麻婆との面会を果たすことになってしまう。それだけは避けたい。
ギルガメッシュ一人であれば脱出も容易かろう。だが、ここでネックとなるのはの存在だ。彼女を片手に言峰の間合いから外れるのは若干困難だ。かといって少女を見捨てて出て行ってしまえば、後々拗ねられてしまう事は想像に難くなく、それはそれで面白くない。
狙うは出前がきた瞬間だ。言峰本人が出向くのであればその隙に、あるいは自分やが対面させられるのであればそれを利用する。そのタイミング以外に二人同時に助かる見込みはあるまい。
「…よいか、。我が声をかけたのならば、即座に我が元に来い」
「うん、わかった」
勝負は一瞬だ。そのためには二人の息がぴたりと一致していなくてはならない。
だがその点に関してはギルガメッシュは何一つたりとも不安に思うところはなかった。彼女の心は把握できているし、何より――
「こうしておけば、大丈夫だよね」
そっと、隣り合う少女の手がギルガメッシュのそれに添えられている。小さな温もりに応えるように、僅かばかり力を込めて握り返し、無論だと無言の内に伝えた。
互いの意志は既に決している。共にこの地獄を脱する――その一点だ。どちらか一人がではなく、欠ける事無く二人きりで。そうで無くては意味がない。主一人護れず何がサーヴァントか。
「――なんか二人揃ってやたら切羽詰った顔してんな」
不意に、聴きなれた声が食堂に響く。はっとしてその声が聞こえた方向へ視線を向けると、若干呆れ顔をした同居人が存在していた。いつもの青い装束ではなく、極動きやすそうなシャツとパンツ、そしてそのてには銀色の箱――その表面にはくすんだ朱色で『中華料理店 泰山』という文字が入っている。
「あれ、ランサー… ひょっとして、その箱」
「あァ、今日のバイト先泰山なんだわ。配達に来たんだよ。
勝手知ったるってやつだからな、ここまでサービスで持ってきたんだ」
言いつつランサーはテーブルの上にさっさと料理を並べていく。予想していた赤一色の食卓ではなく、ごくごく普通の匂いの、端的に言えば美味しそうな料理が次々と現れた。
例の麻婆豆腐の他にも青椒肉絲に八宝菜、回鍋肉や辣子鶏などが展開され、更には食後のデザート用か杏仁豆腐まで完備している。在らぬ方向から来た一発逆転ホームランに、は若干途惑いがちに呟いた。
「――赤く、無いね」
「まあこっちがフツーの中華料理ってやつだな。好き好んであんな激辛食うのは言峰くらいだ」
「――ランサー、私が頼んだものとは随分と違うようだが」
「気にすんな。ちゃんとお前用の麻婆は持って来てるだろうが。それ以外の代金はどーせオレ持ち――」
「抜かせ。雑種から施しなぞ受けぬ」
「…ま、そういうとは思ったけどよ。そうするともれなく必殺麻婆だぜ、ギルガメッシュ?」
「…………む」
「そこまで考えることじゃねェだろが。払うもん払えば正当な理由出来るだろ」
親指と人差し指とで輪を作り、至極当然の要求を行う岡持ち。若干迷ったようではあったが、ギルガメッシュは己の懐から福沢諭吉を一名颯爽と取り出した。
「これで我との分として十分であろう。釣りはいらん」
「あいよ、毎度あり」
「ランサーは食べていかないの?」
「まだバイト中なんでな。お言葉だけありがたく頂戴するぜ」
そう言ってランサーは引き止める暇すらなく、現れたときと同じくあっという間の風のように去ってしまった。炎の戦士、改めアルバイターは多忙のようである。
「さて…少々予定とは違ってしまったが、昼食とするか」
「うん」
「異論は無い」
「では今日もまた糧を得られたことへの感謝を――」
嵐が去り、静けさを取り戻した食堂に主の声が響く。食事時のお約束となっている言峰の口上が述べられる中、ギルガメッシュの片手が僅かに引かれる感触があった。
こんな事をする者は一人しかいない。犯人へと視線を向ければ、微かに頬を薔薇色に染めた少女が微笑んでいる。
「ギル様も、ありがとう」
照れくさそうにそう言ってくるに、少しだけ目を見開き――
「…礼を言っても杏仁豆腐はやらんぞ、」
「ええー」
嗜虐心が擽られたギルガメッシュの台詞に、わかりやすくが膨れっ面になる。あまりにも判り易い反応にくつくつと忍び笑いを漏らした。
「まあどうしてもというのであれば、一口くらいは分けてやらんでもない」
「ほんと!?」
「ああ、我が手ずから与えてやろう。慈悲深い我をありがたく思うがいい」
「はーい! さくらんぼもつけてね」
「考慮しておこう」
ギルガメッシュの言葉に、は実に嬉しそうに表情を花開かせる。短時間の内にコロコロと移り変わる様を間近に楽しみつつ、さしあたっては珍しく辛味が適度な昼食に手をつけた。
END
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