※前提条件:主人公は公共の学習機関に通っていません。


 言峰綺礼はのたもうた。

が学校へ行くべきかどうかの判断をしてもらいたい』

 そうして狩り出されたのは、衛宮士郎・遠坂凛・間桐桜の三名だった。と縁深く、かつ魔術という神秘に身をおきながら公共の場たる――魔術的ではなく、ごく一般の――高等学校の生徒であるという事が召集理由らしい。確かにあの教会にいる面子では、常識的な判断を下すことが難しかろう。だって二対一なのだ。頑張れランサー。
 学生の休日たる日曜日、それも早朝にいきなり招集をかけられたものの、そういうことであればということで、三人は快く引き受けた。

◆一時間目:国語

「一通りの読み書きはオッケー、っと。登場人物の心境把握も高得点」
「そういやあの教会、ちょっとした図書館並みに本あるものね」
「情操教育には非常に不安のある環境だけどな」

◆二時間目:社会

「ところで小学生レベルの社会って、どの辺りまで教えればいいのかしら」
「あー、俺たちがその年だったときは、日本の歴史とか、世界地理とか、それくらいだった気が」
「案外覚えていないものですよねえ」

◆三時間目:理科

「――錬金術を教えるってのはダメかしら」
「一足飛びにもほどがある!」
「塩と氷を使ってジュースを固めたアイスキャンディーを作るって言う実験がありましたね」

◆四時間目:算数

「お使いでお金の計算やっていますから、4桁くらいまでの足し引きは問題ないですね」
「3桁同士の掛け算もすぐに覚えるんじゃない?」
「鶴亀算…って、小学生だったか?」

◆五時間目:家庭科

「家事当番で炊事掃除洗濯全てこなしてるみたいだ」
「最近じゃ、お菓子が食べたいからってより張り切ってます」
「まあ、あの面子じゃ自然とそうなるわよねえ…」

※ ※ ※

「――結論!」

 夕刻――昼休みを挟んで、がっちりとの学習習熟度や学力などを確認した現役学生三人は、礼拝堂内に集結した彼女の教会内同居人二名を前に宣言をした。

「あんまり問題なし!」
「じゃあ何のためだったんだよ!」
「いやあ、小学生レベルだと自主学習や家庭学習だけでも何とかなっちゃうもんだしねー。流石に中学超えたら学校のほうが勉強にはいいだろうけど」

 きっぱりと言い切った凛にランサーのツッコミが冴える。
 要するに……問題がなかったのだ。
 本人の資質か、はたまた努力か。言峰の都合で戸籍を抹消され、義務教育たる学校へ通っていない少女であったが、同年代の日本人と同程度には――あるいは、それより上かもしれない――学力を備えていた。

「そもそも、言峰の話では嬢ちゃんは孤児院から引き取ってきたっていうが…」
「あの言峰のツテですもの。その孤児院だってきっと真っ当じゃないわよね」
ちゃん、その頃って何か覚えてる事はあるか?」
「……ううん、あんまり覚えてないの。ごめんなさい」
「謝らなくってもいいんですよ。じゃあ…今は楽しいですか?」

 しゅん、と項垂れてしまったに、桜は優しく問いかける。彼女の問いに少女は暫し瞑目し、照れくさそうに小さく頷いた。

「うん。だって、キレイやギル様、ランサーに士郎おにいちゃん、凛師匠、桜おねえちゃん……みんながいるもの。楽しいし、すごく幸せだよ」
「当然だ。この我の側にいられるだけで幸福であることには間違いがないからな」
「嬢ちゃんのいい台詞が台無しだから、ちょっと黙っとけ金ぴか王。
 しっかし…こうなると学校に通わせんのはどうなるんだ?」

 ギルガメッシュの脳天にチョップを浴びせつつ、ランサーが当然の疑問を投げかける。

「学力は問題ないだけになあ…」
「――いいえ、士郎。是が非でも私は師匠としては学校に通うべきだと思うわ」
「え、それはどうしてです?」

 はて? と首をかしげる桜。頭痛でもするのかこめかみを人差し指で押さえつつ、沈痛な面持ちで凛は弟子へと問いかけた。

「――。あなたの目標は?」
「え、ええと…キレイのお嫁さん!」

 恥ずかしそうに、しかし晴れやかな笑顔で断言する少女。場の空気がすっと下がり、沈黙が支配する。
 それを受けて、誰が指示したわけでもないのに自然と円陣が組まれた。額と膝を付き合わせつつ、密やかな声で外野がぼやき始める。

「……私はこの発言を、世間一般というものに触れる機会があまりにも少ないからだと踏んでいるわ」
「成る程、比較対象者があまりにも少ないために言峰のそれを通常の思考として嬢ちゃんが捉えているってことだな」
「ああー…すごい説得力です、それ」
「ということは、世の中の多様性をちゃん自身に体験させて、比べやすくするって事か?」

 士郎の回答に、凛は満足げに首肯する。
 だがそれを嘲笑う者もいた。天上天下唯我独尊、かの英雄王ギルガメッシュだ。
 ハッ、と一笑したかと思うと、斜に構えた態度で語る。

「それを不幸だと知る事がなければ、自身を不幸だと思いもしない……その状態を態々崩そうというのか。随分な徒労だな」
「じゃあテメェはが言峰の…あー、その。伴侶になることに賛成か?」
「なにを馬鹿げた事を。あれの幸福はこの我の傍に在ることに決まっている」

 『奥さん』だの『嫁さん』だのといった言葉を使いたくなかったのか、やや間を空け言葉を選びつつもジト目で問いかけてきた槍兵の視線を、すいっと避け――だが思い切り脂汗滲ませつつギルガメッシュは断言する。どうも流石の英雄王も自らの主であるが『言峰綺礼のお嫁さん』という立場を認めたくはないらしい。
 しかし『でも傲岸な王様のお嫁さんというのも、なかなかに先が見えないんじゃない?』と、不遜にも遠坂の魔術師がツッコみ、機嫌を損ねた金ぴか様が鍵剣で宝物乱れ撃ちをしようとした矢先、ふと、何か考え込んでいた士郎がぼそりと呟く。

「そういや…ちゃんの苗字って『』だよな」
「はい、そうですよ先輩。それがどうしましたか?」
「……何で『言峰』じゃないんだろうな。俺だって『衛宮』なのに」
『あっ』

 その言葉にスクラムを組んだ他の者は同時に声を漏らす。
 それは衛宮士郎ならではの疑問といえただろう。不意に降りかかった厄災により二親を亡くし、第三者へと引き取られた立場は同じであれど、一人は養い親の家名を、一人は記憶の彼方ですら怪しい亡き家の屋号を持ったままだ。

「そうよね…あれで綺礼だって魔術師の端くれなんだから、家名を与えなかったのは少し不自然よね」
「はい…言峰神父にはお子さんもいらっしゃらないようですし、ちゃんを跡取りにしようと引き取ったとしてもおかしくありません」
「でも、あの教会は孤児院としても機能していたはずだから、苗字がそのままだとしてもおかしくないんじゃないか」

 喧々囂々と、少年少女たちの議論は小声ではあるが徐々に熱を帯びていく。
 憶測が憶測を呼ぶ話し合いからそっと身を引いた英雄二人も、これまたひそひそと言葉を交し合う。

「…まあ、言えねェよなあ。この教会の孤児院が名前だけで、その実お前の魔力の元だったなんて」
が我の現界するにあたっての供給源であることは、今も、そしてこれからも変わらぬがな」
「そーいうことじゃねぇって。
 小僧は勿論、あれで遠坂の嬢ちゃんも潔癖なところがあるからな。知られたら、笑い話にも一発ギャグにもならねぇと思うが」
「雑種どもが束になったとて、この我に敵うとでも思うのか?」
「――が泣くぞ」
「…………まあ、我も言峰もそれを表沙汰にする気はない。
 退屈凌ぎにでもなるのであれば話は別だが…そもそもが我が主である限り、退屈とも無縁であろう」

 遠まわしだが、要は当面吹聴するつもりはないということだろう。ギルガメッシュにも想像力があったようで何よりだとばかりに、ランサーは肩を竦めた。

 しかし――《棺》の事もそうであるが、言峰とギルガメッシュにはまだまだ秘している事がある。この場に集うものは皆多かれ少なかれ、言峰綺礼とギルガメッシュという二人の手によってその自らの運命を干渉されている。
 唯一例外といえばランサーであり、彼はマスター換えという干渉を受けるもその時系列は第5次のみだ。だが他の者は第4次の頃より既に影響を受けている。嘗て生きたそれぞれの身内の命を奪ったのは、ほかならぬ聖杯戦争であり、その中心人物である彼らなのだ。

 いまや過去の事象を知るものは、当事者であり生存者である二名だけ。故に目の前の人間が仇であるという事実も、それを知らなければただの人だ。知らぬが仏とはよく言うもの――事実を口にしてしまえば、今目の前で繰り広がっている愚かしくも微笑ましい議論でさえ夢幻となる。
 だが、それを口にすることは恐らくはないだろう。ギルガメッシュ自身も、そんな己を『朽ちたものだ』と自嘲する。嘆き、慟哭し、刃向う姿は良い戯れにもなるだろうが、それよりも尚愉快なものを王は知っている。
 それを知らぬ《座》に在る《本体》であれば、謳うようにその事実を愚か者へと突きつけるのであろうが…今のギルガメッシュはのサーヴァントであり、また言峰綺礼は彼女の養い親である。少女が過去の事象を言わないでくれと乞われては二人が言葉を紡ぐ事もないだろう。
 何故ならば、従者は主人の命を果たす事が役目であり、親は子供の願いを叶える者だからだ。…まあ、言峰に関しては怪しい部分も有りはするが、あれも第5次を経験することでその性質を少々変えたので、恐らく問題はないだろう。

「全く…若者は揃って騒々しいものだな。それで、を学校に通わせるか否かという結論は出たのかね」

 聖堂に浪々と声が響く。はっと顔を上げる全員の視線が交差する先には、教会の主たる言峰綺礼の姿があった。
 手にしたトレイには人数分のカップが並んでいた。それを全員に行き渡らせて、自らのカップを手にしてそれぞれを見渡す。サーヴァントにはコーヒーを、女性陣には紅茶を、そして――

「……なんでさ」

 呟く衛宮士郎には梅昆布茶を。

「…まあ、綺礼が素直に配膳するワケないものね。まあ頑張って、衛宮君」
「好き嫌いはダメだと思うんです。だから頑張って、先輩!」

 姉は生ぬるい笑みを、妹はぐっと拳を握って。表現は違えど、姉妹それぞれエールを送ってくる。
 いや、決して飲めないわけではないのだ。飲めなくはないけど、なんとなく、言うなれば生理的に好きではないだけで。

「…士郎おにいちゃん、交換する?」
「い、いや。大丈夫、大丈夫だよ」

 そっと差し出される一回り小さなカップには、紅い液体が。漂う香気は軽やかで士郎を誘惑するが、それを丁重にお断りする。
 こんな小さな子から心配そうな表情を向けられては、正義の味方として不甲斐無いというか。むしろあんな人外魔境神父が養い親で、この少女が何処まで真っ当に育つのかということこそが心配であって――
 そこまで思考が脱線した後、はっとして士郎は言峰に疑問の矛先を向けた。

「そ、そうだ! 俺アンタに聞きたい事があるんだよ!」
「ほう…お前が私に問うなどとは珍しいな。良かろう、答えられるものであれば答えよう。ただし――」

 一旦言葉を区切って、言峰は真っ直ぐに士郎を見据える。威圧感すら漂う視線に、自然と士郎の咽喉が鳴った。

「その梅昆布茶を飲み干した後でだ」
「何でさー――!!」

 衛宮士郎の魂からの叫びが教会に木霊した。

※ ※ ※

「…が、何故言峰姓ではないかだと?」

 男らしく、覚悟を決めた一気飲みを決めた士郎からの問い掛けに、言峰は軽く眉を顰めた。

「何かと思えばそんなことか」
「でも私だって気になるわよ。魔術の家に生まれたものとしてね」

 下らん、とぼやく兄弟子に凛が補足する。そしてそれを助長するように桜もこくこくと頷く。そして言葉にこそ出さないが、黙したままの英雄たちの視線がざくざくと言峰に突き刺さっていた。
 ふむ、と言峰は黙考する。ちらと視線を下げると、が酷く期待に満ちた顔で言峰を見上げていた。
 しばらくの間をおいて、いつもの胡散臭い笑みを貼り付けたまま口の端を上げる。

「そう大した理由ではないが」
「勿体つけずに言えよ」
「そうよそうよ!」

 少々イラ付いたようなランサーの声に、凛が唱和する。二人の態度に、ますます神父の笑みは深まった。

「あれに言峰の姓を与えても良かったが…まだ早すぎるだろう?」
「早すぎる、ですか?」
「ああ。せめて16歳にならないと流石に――」
『却下――――!!』
「ひゃあ!」

 言峰の台詞を覆い隠すように、ランサー・ギルガメッシュ・士郎、果ては桜までもが同時に叫んだ。その音に驚き、咄嗟に両耳を押さえ、が小さな悲鳴を上げる。
 何事かと目を白黒させている娘の頭をなでて落ち着かせながら、とても楽しそうに言峰は続けた。

「なにを却下するつもりだ。そもそも、が言峰姓となるかどうかは、お前たちには関係なかろう?」
「我はあるぞ! は我の主人であるからな。この我以外のモノになるのは却下だ、却下!!」
「オイこら金ぴか。フツー逆じゃねぇか、どっちかってーと!
 オレはを真っ当に幸せにしてやれるヤツじゃないと認めねェぞ。あとちゃんと護ってやれるよう、ゲイボルクの一つや二つ受けきれるヤツでねェと」
「ハードル高いな!」
「ダメです姉さん、ちゃんをこの人たちの傍ばっかり置いてたら、間違いなくちゃんの感覚は偏ったままです」
「あー、まあそれは間違いないだろうけど… ねぇ、綺礼。それでさっきの台詞の続きは?」
「遠坂ぁ!」

 半泣きで縋り付いてくる桜をよしよしと宥めつつ、一人冷静に凛は先を促した。士郎が悲鳴じみた音で声を上げるが黙殺する。ちなみに当の本人は事態を飲み込めていないのか、不穏な空気におろおろと視線を彷徨わせている。
 促された神父は、うむ、と小さく頷いて続けた。

「16にもなればそれなりの判断が出来る年頃だろう。その際に自身へ改めて問おうと思っている。亡き親の証であるを名乗り続けるか、それとも――とな」
「ようは、選択する権利を残してるってことね」
「そういうことだ。もともとを引き取ったのは、個人的な理由からだったからな。どちらを選ぶかは彼女に最終決定権が残されている」

 落ち着いたやり取りに、ヒートアップしていた4人はやや身を小さくする。16歳という単語に思わず過剰反応してしまったが、確かに言峰が言っていることは真っ当なことだった。珍しいことに。

「――だったら、尚のこと私はの師匠として、彼女は学校に通うべきだと判断するわ」

 その言葉を受け、きっぱりと凛は断言した。『何故だ』と無言で問う兄弟子へ、静かに凛は言葉を紡ぐ。

「確かにの学力には問題ないかもしれないけど…彼女が先々にその選択をするときに、一般人の世界を知ることは大事だと思うわ。のためにも判断材料が多いほうがいいでしょう?
 を名乗るのであれば、神秘から一歩身を引いた立場に。言峰を継ぐのであれば、その後は協会に付くのか教会に付くのか――何にせよ、の未来はこれからなんだから、それに備えないとね」

 そうでしょう? と微笑む冬木の管理者に異論の言葉が上がらない。あのギルガメッシュですらそれを行うことはなかった。つまり、満場一致である。

「……では、改めて問おう。
 よ、お前は学び舎を求めるか?」

 そして話は巡り、ようやく原題と当事者へと戻った。
 が問いかけられた内容に疑問符を浮かべていることに気付いたのか、桜が優しい声音で「学校のことですよ」と耳打ちする。
 ありがとう、と小さく会釈して、少女は即答した。

「はいっ! わたし、学校に行きたいです!!」

 元気のいい返答は、まだ見ぬ世界への期待と憬れに鮮やかなまでに彩られていた。
 の選択に綺礼は重々しく首肯する。

「――よかろう。今すぐに、というのは難しいが…お前を学校へ通わせるよう手はずを整えよう。
 まあ、教科書などは2、3日中には手に入れられるだろうから、それで予習でもすることだ」
「判んない事あったら聞いてきなさい。理数系なら私ね」
「それじゃあ…私は国語で。頑張ってね、ちゃん」
「む、取られたか… じゃあ社会とかでわからない事があれば、俺に聞いてくれ。
 流石に英語は小学校ではないと思うけど、もし習いたいなら藤ねえに声をかけるといいさ」
「よーし、だったらオレは体育だな。あとサバイバル術」
「ほう、ボーイスカウトか。では我は遊びの重要性を教えてやろう」

 やや脱線気味の英雄たちに、人間らの「それはちょっと程々に」というツッコミが唱和する。特に後者の遊戯王には厳重注意をしておかなくては、すぐに暴走しかねない。

「えへへ… 嬉しいなあ」

 がやがやと賑やかな年長者たちのやり取りを、少女はかみ締めるように味わう。
 こんなにも自分のことを気にかけ、そして形は違えどそれぞれに幸福を願ってくれる。学校に行けることもそうだが、それこそが本当に嬉しい。
 家がどうとか、正直にはまだよく解らない。けれど――応えたいとは思う。自身のため、そして見守ってくれる全ての人のために、は全身全霊で幸せになろうと改めて決心した。きっと、幸福であることを示す事が恩返しになるのだと信じて。

END


ブラウザバックで戻って下さい