『パンが無いならブリオッシュを食べればいいじゃない』

 そんな事をのたもうたのはどこの国の王妃様であったか。
 恐らくはそんな台詞など知るところではないだろうが、彼らの眼前にいる少女は扱く大真面目な顔でこう告げてきた。

お菓子の作り方を教えてくださいッ!」

 その目に宿るものはメラメラと燃える闘志。小さな身体から滾るほどのガッツを漲らせ、少女はそう息巻く。
 ――彼女の保護者的立場にある言峰綺礼は味覚に関して少々悪癖がある。総じて教会で出される食事も偏りが出てくる。異常なまでの辛さを誇る泰山麻婆の愛好者である事は既に周知であるので、普段の食生活も想像に難くない。
 それに加え、どうも彼の教育方針か何なのかは不明だが、極力甘味の類をかの神父はに提供をすることを控えているらしい。そしてそれをあからさまに口は出さないものの、常日頃から残念に少女は思っているとの事。

『鳴かぬなら 鳴かせてみよう ホトトギス』

 そんな歌を詠んだのはどこぞの戦国武将であったか。
 待っていてもやってこないのであれば、自分が理想に近付くまでだとばかりに、小さな淑女は衛宮邸の門を叩くにいたったようである。

「それにしても何故私たちのところに来たのだね?」
「だって、士郎おにいちゃんやアーチャーさんの作ったご飯おいしかったから、お菓子もきっと上手に作れるんだろうなって思って」

 じっと見上げてくる瞳は期待に満ち満ちている。
 さて、こうなると磨耗したとはいえ守護者となった男と目下正義の味方修行中の彼には分が悪い。何しろ助けを求める声に応えずにいられないような性質なのだ。それも普段誰かの幸福ばかりを願ってばかりの、なかなか自分だけの望みを言わないからの要望とあればなおの事。
 何より年頃の少女の可愛らしい我侭に応えるのも、イイ漢の務めである。

「…これは、やるしかないよなあ」
「貴様と同じ意見になるのは不本意だが…異存は無い」

 お互い苦笑しながら戦闘服――士郎は白いエプロンを、アーチャーは黒のそれを身につけてすっくと立ち上がる。上げてみせましょう料理人ズの株。
 かくて、衛宮邸のキッチンを舞台として戦いの狼煙は上がった。

 ※ ※ ※

 テーブルに用意されたものは無塩バター・卵・砂糖・小麦粉・ベーキングパウダー。どこの家庭にも若干の質の差はあれ恐らく標準装備であるだろうものだ。
 少女の技術や腕力を考えると、卵に含ませた空気の力で膨らませる系統のもの――スポンジやスフレ・シフォンケーキ――はまず除外する。ハンドミキサーがあれば容易いかもしれないが、初めての菓子制作には若干ハードルが高いようにも思える。
 簡単に作れ、バリエーションがあり、かつ見栄えがそれなりのものとなるとやはりバターケーキの類になる。どちらから言い出したものでもないが、自然と今回の題材はカップケーキで行こうという事になった。

「下準備としてはバターを室温に戻し、そしてよーく粉類をふるっておくこと」
「なんで小麦粉をふるいにかけるの?」
「ダマになることを防ぐためだ。小麦粉の塊があれば舌触りも悪くなるばかりか、均一な膨らみ方も出来なくなる」

 その一挙手一投足を学ぼうとしているのだろう、先生役の男達の手付きをはじっと見ている。
 失敗などするはずもないが、それでもこう集中して見られるとどことなくくすぐったい。寄せられる期待に応えられるように、一つ一つの行程に解説を入れながらも作業は流れるように進んでいく。

 室温に戻したバターをよく練りクリーム状にした後、砂糖を数回に分けて混ぜ込む。そこに若干の牛乳を入れ、分離しないよう少量ずつとき卵を加えていく。更にバニラオイルを数滴加え、よく混ぜた。
 今度はよくふるった小麦粉とベーキングパウダーの混合物を、これまた何度かに分けて混ぜいれる。最初はしっかりと、粉が増えるごとに泡だて器から木ベラに持ち替え、さっくりと切る様に混ぜた。
 慣れないからだろうか少々危なっかしい手付きのを、適度に補佐をしながら工程を一つずつこなしてゆく。

「粉を入れ始めると、あまり混ぜてはいけない。粘りが出てふくらみが悪くなってしまうからな」
「へぇー。力一杯やらなくていいんだね」
「お菓子作りは分量と手順さえ間違えなければ、早々酷いものにはならないから。基本に忠実ってのが大事だよ」

 一方が生地の用意をする間に、残る一人は紙カップを用意しつつオーブンを予熱する。ついでにカップケーキに混ぜ込む副材料の色々と用意をしてみた。
 チョコチップ・ラズベリー・ブルーベリー・アーモンドスライス。それらを小皿に取り出し、カップを並べる。

「プレーン生地に混ぜ込むだけだが、色々と応用が利きやすいのも利点だな。さて、はどんなトッピングがお好みかね?」
「えーっとえーっと…赤い色!」
「んじゃラズベリーだな。最初に生地を少し入れて…んでベリーを入れてっと。竹グシで軽くかき混ぜて終了」
「ではオーブンで焼き上げるか」
ちゃんは焼け具合を見ててもらえるかい?」
「うんっ」

 士郎はオーブンレンジの前にチェアを持って、へ着席を促す。用意されたそれに座り、目線の先にあるオーブンをじっと見つめた。ターンテーブルの中でくるくると回るカップに注がれる視線は期待に溢れている。
 そんな彼女を微笑ましく思いながら士郎は洗物を片付け、アーチャーは紅茶の準備に取り掛かる。普段は反目しあう彼らだが、なんだかんだ言いつつもいざとなれば呼吸はバッチリであった。

 ――20分後。
 甘い匂いが充満している室内に、軽快な電子音が響く。

「チーンっていったよー!」
「オッケー、熱い空気が出てくるからちゃんはちょっとどいてくれるかな」
「はーい」

 ミトンをはめた士郎がオーブンの扉を開ける。途端にふわりと暖かく、甘い空気が漏れ出た。少女が小さく感嘆の声を上げるのを耳にし、思わず士郎の口の端が緩む。焼きたてのそれを冷ますべく、ケーキクーラーに次々と載せた。
 コンロの前ではアーチャーが紅茶の準備をしている。カップとポットを予め暖めているのを見ると、やはり手を抜かずキッチリゴールデンルールで入れる気満々らしい。近頃の衛宮家には、赤主従の好みからか日本茶の他に紅茶の茶葉も常駐するようになっている。悔しいが紅茶の腕は弓兵にまだまだ及ばないので、士郎はそのまま任せることにした。彼の事だから、カップケーキにあうリーフを抜かりなく選んでいる事だろう。

「おっ、丁度焼きあがりか。こりゃイイ時に邪魔したかな」
「ランサー!」
「よう、。今日はココで遊んでたのか?」
「ううん、遊んでるんじゃなくって、お菓子作りのお勉強だよ」
「そうかそうか」

 まるでその時間を狙い済ましたかのように、ひょっこりと今に顔を出す男が一人。ラフな姿に紙袋をひとつ下げ、友好的な笑みを浮かべ、さも当然のように台所へと足を伸ばす。同居人の頭をくしゃりと撫でれば、少女は照れくさそうに微笑んだ。

「おいおいランサー、来るのはいいけど声くらいかけてくれ」
「かけたぞ。塀乗り越える時に。あ、これ土産の茶葉。ケーキ類には合うと思うぜ」
「…土産はありがたく貰っておく。だけど、来るときには声をかけつつ玄関から入ってくれ」
「覚えてたらな」
「――君がそんなのではの行く末が心配だな。子は大人の言動を見て育つものだぞ」
「うっせぇぞ茶坊主……といいたいが、まあ尤もだ。善処するさ」
「というか、ここに男三人という構図は凄い暑苦しいんだけど」

 ぽそ、とツッコミを入れる士郎の言葉に、残り二人の男は『確かに』と納得した。体格も小さく、更に性別女の子なはカウントするまでもないが、それなりのガタイを持つ男三人が台所に集合しているという様子はあまり爽やかな物では無い気がする。
 よって素直に乱入者のランサーが居間へと引っ込み、どっかりと腰を落ち着ける。勝手知ったる何とやらでキッチリ座布団も使っているあたり、出来上がったばかりのケーキを試食する気は十分のようだ。
 それを確認したアーチャーは露骨に溜息つきつつ、ランサーの手土産の茶葉を確認する。恐らくバイト先で販売しているブレンドティーであろう。珍しくタイミングの合った貢物に免じて、もう一つカップを準備し始めた。

「ねえねえ、士郎おにいちゃん」
「ん、なんだい?」
「出来たカップケーキ、ランサーに最初に味見してもらってもいい?」
「ああ、勿論」

 士郎の言葉に少女は焼きたてのカップケーキのうち、最も良い色合いに焼けたものを手に取った。焼きたて熱々のそれを手には今へと足を向ける。手を火傷しないようにと小さく手の中で弾ませながら、ずいっとランサーへ差し出す。

「あ、あのね…これ、士郎おにいちゃんやアーチャーさんと一緒に作ってみたの。味見、してくれる?」
「あァ、喜んで」

 人好きのする笑みを浮かべ、ランサーは迷う事無くケーキを受け取る。小器用に紙のケースを剥がすと、豪快に齧り付いた。
 もぐもぐと動く口元。ごくりと咽喉が動く。その様をは拳を握り、不安そうに窺う。
 飲み込んで暫し――自然と閉じられていたランサーの目蓋が開いた。赤い瞳は自然と彼の様子を見つめていたのそれと交わりあう。揺れる視線を安心させるように、ランサーの手が少女の肩に置かれる。

「うん、美味い」
「――ほんとっ!?」
「当ったり前だ。これならオレの勤めてる店でも出せるんじゃねえか?」

 忌憚のないその言葉に、は喜びを隠し切れずに頬を紅潮させた。
 暫らく喜びに打ち震えていたが、ややあってクルリと身体を半回転させると

「二人のおかげだね! ありがとう!!」

 美味しいといわれたからか、はたまた自分が作ったものを認められたからなのか。が言葉と共に浮かべるのは正に幸せ笑顔
 真っ向から向けられる輝かしいそれに思わず肩を竦めて視線をずらすと、似た様な表情を浮かべた己の片割れがいた。お互い口元には苦笑のような、恥ずかしさを堪えるような、それでいてそれ以上に誇らしいような複雑な笑みが浮かんでいる。あまりにも素直な言葉に当てられてしまったようだ。

「…では私たちも頂くとするか」
「そーだな」

 照れくささを誤魔化すようなアーチャーの提案に士郎も乗る。丁度紅茶も蒸らし終わって飲み頃のはずだ。
 本日の天気は小春日和。春の訪れを告げるような香りのする紅茶を共に、穏やかな席を一輪の花と囲むのも実に悪くない。

END


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