見知った顔が見知らぬ者達と邂逅している現場を偶然目にして、男はふとハンドルを切った。そのまま僅かに離れた路肩に車を寄せると、エンジンをアイドリング状態に落とす。
 天気の良い午後。休日には思い思いに羽を伸ばす人々が集う場所。新都と深山町とを繋ぐ紅い橋の袂にある公園には彼ら以外の人影も珍しく見当たらず、締め切っていた窓を僅かに開けただけで、彼らのやり取りが風に乗って男の耳へと滑り込む。

「なあなあ、オレたちと遊びにいかねぇ?」
「いーミセ知ってるぜ。見たとこ一人みたいだし、チョットだけさァ〜」
「え、ええと。その。約束あるから、ダメなの」

 長い髪の少女は戸惑いを含ませながらも、己の意思を少年達へ伝える。しかしその声など通り過ぎるだけらしく、少年らは下卑た笑みを貼り付け、ネチリとした言葉でなおも少女ににじり寄る。

「やくそくぅー?」
「メールの一つでも送っとけばいいさ、そんなモン。そーんなのより、オレらとイッショの方がいろいろイ・イ・コ・ト、あるぜェ」

 言って、何も面白いことなど無いにも拘らず、不愉快な笑い声を少年達は立てる。この手の輩が不得手なのか、少女はただおろおろと視線を彷徨わせるばかりだ。
 深山町と違い、都会の雰囲気を持つ新都へと繋がるこの公園で繰り広げられる、穏やかな一日に似つかわしくないやり取り。
 何故だか、無性に。言葉にし難い感情が男の胸を占める。
 気が付けば――エンジンを切り、キーを引き抜いてドアを開けていた。降り立った足はそのまままっすぐに少女らの元へと向けられる。石畳に無骨なブーツの蹄の音が高らかに響く。
 最初にその音に気付いたのは少女だった。不安に染められ、行き場を失っていた瞳を向ける。すると、その瞳は大きく見開かれ、頬に紅がさした。

「――キレイ!」
「…こんなところでなにをしている、

 キレイと呼ばれた男――言峰綺礼は、無感情の音声を場に響かせる。

「えっと……お散歩?」
「その姿でいる間は、外出することを控えるようにと私からも言っていたはずだが。止むを得ない際は、誰かを伴わせよともな」

 少女は僅かに視線を彷徨わせながら、己が目的を告げる。だが頬に伝う一筋の汗が、の心境を雄弁に物語っていた。
 その様子にふう、とため息混じりに言峰は言葉を吐く。そして言峰が乱入した後、全くの無言になってしまった少年らへ、視線をちらと向けた。
 恵まれた体格にと、それに甘んじることなく鍛えられた肉体。微かな笑みすら浮かべているその人相は、どこをどう見てもどこかの黒幕。闇色の僧衣を纏うものの、ともすれば神父ではなく、異なるファーザーをも連想させるその雰囲気。そしてそれを彼の後ろに控える、やたらと図体のでかい黒塗り・左ハンドルの車が助長する。
 控えめに表現しても胡乱なその人物。熱のない瞳から投げられた視線が、愚直なほどにチンピラどもへと突き刺さる。そして男らは「ひぃ!」と短い悲鳴をあげて、一目散に撤退をした。どうやら彼らの相手には、この神父は荷が勝ち過ぎたようだった。

「あ… いっちゃった」
「捨て置け。それより――」
「う。ご、ごめんなさい」

 上から降り注ぐ北風の瞳に、はしょんぼりと肩を下げた。これが犬猫であれば耳が垂れ、尻尾を小さく縮こまらせているところだろう。
 消沈する少女の肩に、大きな手が置かれる。はたと顔を上げれば、そこには言峰のそれがあった。の瞳を直接覗き込むようにして視線を合わせると、ゆっくりと唇を動かした。

よ。今のお前の身体がどうなっているのか、解っているな」
「う、うん。大人の体だね」
「外見上はそうだ。しかし、中身に関しては通常となんら変わらない」
「うん」
「無防備にうろつけば、先刻のような連中を引き寄せる。そうなれば自業自得だが……」

 そこまで言って、唐突に言峰は口をつぐんだ。僅かに眉根を寄せ、あたかも戸惑うかのように数度瞬きを繰り返した。どうしたのかと、少女が小首をかしげる。
 しかし、神父が迷いを見せたのは一瞬だった。再び瞼を開いたとき、微かにあった諮詢は鳴りを潜め、いつもどおりの空虚さを宿らせる。

「――お前がそれで泣き喚くような結果になったとて私は困らん。だが、それではランサーやギルガメッシュが五月蝿い」
「…ぅ」
「今一度問おう。何故、約束を破ってお前はここにいる?」

 答える事を強要させるかのような神なる父の文言に、暫し少女はパクパクと酸素の足りない金魚のように喘いだ。だが無言のプレッシャーに堪えかねたのか、ついにそっと自白を始める。

「……ランサーの働いているお店に、行ってみようかなって」
「ほう」
「今日はランサーがバイトの日だし、ギル様はセイバーさんのところに遊びに行っているから、こっそり行くのには丁度いいかなあって。キレイも朝からお出かけしていたから」

 もじもじと恥らいながら動機を説明する少女の姿に、大方予想が出来ていたとはいえ思わず吐息が漏れる。脱走癖があるのは今に始まったことではないが、それを監視するお目付け役が全て出払っていたというのも皮肉な話だ。むしろ、されて当然という状況ですらある。

「約束、破ってごめんなさい…」

 それでも、少女は申し訳なさそうに頭を下げる。これが常の姿であれば微笑ましいのだが、今の彼女の姿は十代半ばの程よく色が付いてきた頃合のそれだ。に自覚は無かろうが、熟れ始めた外見に合わぬ内面の幼さは、どこか倒錯した感情を対面する者へと与える。
 だが、もとより歪みが生じている言峰である。嗜虐対象が少女となるわけは無く――

「――ランサーが勤める店か。一度、見ておきたいと思っていたところだな」
「…えっ?」
「どうせ教会へ帰る途中だ。多少の寄り道もたまにはいいだろう」

 斜め上の、幸運Eランクの最速英霊へと向けられた。
 彼の頭の中では、彼女を伴い件の店へと出向けば、それはそれは苦虫を噛み潰す槍兵が閲覧できるだろうと予想を立てている。どうやら、この場で少女の傷を抉るより、英雄の内面を切開することを選択したらしい。
 しかし、そんなことなど露知らず。は眼前の素晴らしい提案に目を輝かせた。

「じゃあ…キレイも一緒に行ってくれるの?」
「ああ。共にランサーの働き振りを見に行くのも、また一興だ」
「えへへっ、嬉しい!」

 喜びを全身で表すように、はガバッと目の前の綺礼の胴体に縋り付いた。
 ――重ねて言うが。今のの身体は、幼い体つきではなく、出るところは出て引っ込むべきところは引っ込んでいる、それなりに肉付きも良い妙齢の女性のそれである。
 この場に一般市民の眼があろうものなら、即座に通報されかねない位に危険な光景だった。これがまだ幼いと言峰という取り合わせならば、頑張って『子供に懐かれる神父様の図』を想像できただろうが、雰囲気も髪の色も顔つきも違いすぎる悪人面の壮年男性と若々しく愛らしい少女との取り合わせは、どこをどう見ても犯罪の匂いが漂ってしまっていた。
 無論、世間体など気にするはずも無い綺礼。しかし僧衣に頬を摺り寄せる少女を勢いよく剥がすと、厳しい顔つきではっきりと告げる。

「…それも、その体の時は自重するように」
「ええー」
「もしくは相手を選ぶことだ。異性相手に濫りにしては収拾が付かなくなる」
「うう… 大人は難しい」

 不満を滲ませながらも、不承不承は頷く。その様子に、僅かながら言峰の目元と口の端が緩むが――極微量であったため、少女はおろか、本人ですら気付くことは無かった。

 ――そして。
 が言峰を連れて入ったランサーの勤め先にて。
 言峰の予想通り、もしくはそれ以上に激烈に嫌そうな顔をしたランサーが出迎えたことは言うまでもない。

END


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