星に願いを



 しとしとと細く長く天からは滴が落ち続けている。出窓から陰鬱な表情を浮かべる空を、これまた同じような顔で少女は睨み付けていた。
 かれこれ一週間ほど空に太陽が昇っている姿を見ていない。否、実際は毎日昇っているのだろうが、分厚い雲に遮られてはっきりとした存在を感じていないだけだ。きちんと朝と夜は毎日交互にやってきている。

「しっかしまあ、ほんとによく降るねェ」

 昼前だというのにどことなく空は薄暗く、ばちばちと風に流された雨粒がガラス戸を叩く。隣では同じくうんざりとした顔でランサーが上空を恨めしそうに眺めていた。
 このところの雨天続きで、肉体系アルバイト――即ち土木作業絡みの仕事は軒並みキャンセルが続いている。天候に関係のないバイト先も多々あるが、やはり根はアウトドア派なランサーだ。身体を思い切り動かせないでいるのはどうやら苦痛であるらしい。
 サーヴァントとして冬木の街に現界して初めての雨季。じっとりとした湿気と中途半端に高い気温は北欧育ちの身には堪えるのか、心なしか本人も湿気り気味だ。

「仕方あるまい、梅雨なのだからな」

 一方、受肉歴十年を誇る英雄王は慣れたもので、窓に連なっている二人を尻目にソファに寝転がりながら経済新聞などを斜め読みしている。ぎっしりと居並ぶ株価の数値に時折小さな唸り声を発する程度だ。
 ギルガメッシュはどちらかといえば普段も外に出ることは少なく、家でごろごろすることが多いので天候による行動パターンへの影響はほとんどない。自身の保有スキルである『黄金律』を現代において最も活用しうる株式投資へ転用し、ざくざくと荒稼ぎをしているので収入面でも切羽詰ることはまずありえない。取引もほぼネットを通じてのみなので、出歩かなさでいったら教会内でも随一である。不健康極まりない。

「今日は七夕だっていうのに… 晴れないとおりひめ様もひこぼし様も会えないね…」

 しょんぼりと青菜に塩をふった様に項垂れる少女――はため息混じりに呟いた。雨の降らぬ僅かな間を狙い、先日取ってきた大きな笹にはどっさりと飾りが施されており、準備万端の状態で教会玄関に飾ってある。願いを書くための短冊もちゃんとスタンバイしていた。

『今日の天気は雨。降水確率100%。所により雷にもご注意ください――』

 つけっぱなしのテレビからはそんな予報が流れてくる。アメダスにも気圧図にも衛星写真にも梅雨前線がどっかりと腰を据えているのがはっきり示されていた。
 手に持っている白い人形を少しだけ力を入れて握る。

「もっとたくさんのテルテル坊主を作らないとダメかなあ?」
「あー… そうかもなあ」

 出窓のカーテンレールには、既にずらりとテルテル坊主が鈴なりになっている。みっしりといってもそろそろよさそうな数だが、ランサーも晴天を願っているが故にの行為に明確な否定の言葉を告げることが出来ない。
 ただ、なかには頭が上の通常状態のものではなく、逆さ吊り――俗称るてるて坊主が混じっているあたりがマズいのではないかとは強く思う。
 るてるてを作成したのは言峰なのだが、彼曰く『何故か私が作るとこうなるのだ』といつもの曖昧な笑みを浮かべてそうのたまった。彼らしいというか何と言うか。

「――大体、雨が降った程度で逢えぬというのが不甲斐無い」

 唐突にギルガメッシュが口を開く。何事だ、とランサーとは彼へと視線を向けるが、英雄王の目は新聞に注がれたままであった。

「そもそも引き離された理由も理由だがな。まったく馬鹿馬鹿しい。
 邪魔をする者など全て蹴散らすくらいの気概がなくてはどうする」
「同意しないわけでもねェが…それが出来る力を持っているヤツとそうでないヤツとがいるんだ。それは理解とまでは言わんが、想像くらいしてやれ」
「――フン。
 …、貴様はどうだ?」
「え?」
「理不尽な力によって、自身の想い人と引き離されてしまった。逢える機会は年に一度、それも状況によっては破談になりかねる。必ず逢えるという保証はない。
 そのとき、お前ならばどうする? と聞いているのだ」

 問いかけるギルガメッシュは、寝そべっていた体制から身体を起こすと、視線を数字の羅列からへと移し変えていた。その眼に宿る光は、一片の揶揄と興味があい混じってゆらゆらと揺らめいている。
 訊ねられた少女は、むぅと眉をひそめ、

「状況は、おりひめ様とひこぼし様と一緒?」
「具体的な例が必要であればその場面でもよかろう」
「うーん…」

 目を閉じ、口をへの字に曲げながらはその想像力を懸命に働かせているようだった。
 二人を別つ大きな川。雨が降ると水が溢れ出し、架けられた橋を押し流しては人と人の行き来を阻む。ただの一度――年に一回だけ逢える大好きな人。

「――泳ぐってのはどうかな?」

 ぱちん、と両の手を打ち鳴らして少女は顔を上げた。神に遮られた逢瀬の道行――標なき断裂の川を制覇するには最も原始的な方法だ。
 その単純な回答に、瞬き一回分だけ間を置いてギルガメッシュは小さく鼻を鳴らす。

「――流れに飲まれるのが関の山であろうな」
「たくさん練習するもんっ!」
「…ほう、命が危機に晒されていると判っていてもか?」
「う… し、死なない程度にがんばる、もん」

 にや、と笑うギルガメッシュの言葉は、明らかにからかいが多分に含有されていた。身の丈に合わない答えをいってしまったと思ったのか、少女のトーンもやや遠慮がちになる。それでも視線だけは彼から離すことなくしっかりと固定していた。
 数秒の沈黙――先に目線の鎖を断ち切ったのは英雄王であった。フン、と小さく息を吐いて再び株式欄に目を通し始める。ただ、口元が先刻よりも僅かに釣りあがっているところを見るとそれなりに機嫌はよいのであろう。

「…まったく、テメェはホンットに神様嫌いだな」
「うるさいぞ、ブルーカラー雑種」
「へいへい」

 揶揄する槍兵の言葉に、ギルガメッシュは目を向けることもなく一言のみで応戦するがその効果は芳しくなかったようである。ニヤニヤとした人を食った笑みを浮かべ、ランサーはの手の中からしわくちゃによれてしまったテルテル坊主を救出した。

「あーあ、皺寄りまくりだなコリャ」
「う…つい」
「こいつも一応飾っとくか? 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるとかいうし」
「…それはテルテル坊主の数? それとも――」
「さァて、どうだろうねェ」

 胡乱げな眼差しで抗議の意を送る少女だったが、ランサーはそんなものどこ吹く風でちょいちょいと器用に出窓の縁に少々くたびれた新入りをぶら下げてやった。
 少しほほを膨らませてむくれているの頭をやさしくかき混ぜながら、彼は口元を緩めた。

「さ、腹も減ったし昼飯にでもするか。天の川に見立ててメニューは素麺だ」
「…さくらんぼ、つけてくれる?」
「ッたく、しゃあねぇな。言峰には内緒だぞ」
「うん!」
「我は蜜柑を所望するぞ」
「働かざるもの食うべからずッてな。オプション欲しいやつはセルフサービスだ」

 ギルガメッシュを振り返りもせず言い捨てて、ランサーは室内を後にする。その後ろをくすくすと笑いながらが追いかけていった。
 置いてけぼりの形になった黄金王は、僅かな間だけしかめっ面をした後に、新聞をその辺に放り投げて彼らの向かった先へと足を動かす。
 歩き出して暫く。ややもせぬうちに先行する二人に追いつきはしたのだが――

「王の行く道を塞ぐな、愚か者どもめ」

 廊下のど真ん中で硬直しているたちにそう声をかけるものの、二人は動こうとはしなかった。ただ、彼の言葉は聞こえ、そして理解したのであろう。ランサーが無言で首だけをギルガメッシュに向け、己の鼻を指差した。吊り上がり気味の目にどんよりとした雲がかかっている。
 その行動に一瞬首を捻りかけたが、彼らの謎の硬直の理由をギルガメッシュは悟った。
 鼻腔の奥に響くひりつくような刺激。不本意にも慣れ親しんでしまったその風味。キッチンへはまだ距離があるというのに、確かに存在を主張する忌々しき赤色の気配。
 槍兵が、チッと鋭く舌を打った。

「…クソッタレ。姿みせねェと思ったらこういうことかよ」
「最近なかったから油断してたね…」

 だらり、と脂汗を流すは、不安げな眼差しを男たちに向ける。
 その瞳を受け、二人の英雄は顔を見合わせた。言葉はないが、確かに意思は伝わってくる。
 どうする、逃げるか、いやそもそも今の状況は気づかれてしまっているのでは?

「――ああ、いいところに来たな。そろそろ声をかけようかとしていたところだ」

 予感は確定へと進化する。カツリ、カツリと重厚ささえ漂わせながら地獄の使者がやってきた。見たくはないが見ざるを得ない。三人はゆっくりと顔を向ける。
 いつもの黒い神父服に同系色のギャルソンエプロン――以前、凛嬢から「日ごろのお返し」という理由で真っ白い割烹着が贈られてきたが、満場一致(言峰本人除く)で封印指定を受けた――その片手には紅く染まったお玉。惨劇の作り手は、やけに満足そうな表情でこう伸べた。

「今日は七夕だからな。麻婆素麺だ」

 ――いや、麻婆は余分だから。果てしなく。

 神父以外の面子は互いの意思を一瞬のうちに一致させた。だからと言って、その想いが真なる意味で彼に伝わることはないのだが。

「蒸し暑いときは辛いものを食べるのがよいのだ。さあ、早く来るがよい」

 そういい残し、言峰は再び台所へとその姿を隠す。残された三名の間には、ただ重々しい現実が目の前に立ちふさがっていた。

「――もし、願いがかなうんだったら」

 が呟く。天をまっすぐ――否、遠い遠い眼差しで仰ぎ見る。その先には教会の白い天井が広がるばかりだが、今の少女にはさらにその奥、雲を突き抜け、確かに存在するだろう星の海へと向けられていた。

「キレイの味の好みがふつうになりますように…って、お願いする」
「ああ…そうだな。ホント、そうなるといいな」
「叶うべくもないだろうが…万一にも実現したのであれば、もう一度信じてやってもいいぞ」

 気が付けば、三人は揃って星々に願いを託すように遠く遥かな天を仰いでいた。
 未だに降り続く雨は止む気配もなく、同時にまた漂い続ける刺激臭も途切れることはないように思えた。

END


ブラウザバックで戻って下さい