006:ポラロイドカメラ



「はーい、笑って〜」

 ぱしゃり!

 不意にかけられた声に振り返ると、一瞬のフラッシュとともにシャッター音が響く。眩い閃光に網膜を焼かれ、男の視界には光の残像が飛び散っていた。
 狭い喫茶店内部に唐突に発生した光に、周囲の客の視線が自然と集まってくる。好奇の意識に晒される事が好きではない宮田は、ギロリと眼前の即席女性カメラマンに剣呑な視線を投げた。

「…一体急に何なんだ」
「あはは、ゴメン。驚いた? 部屋の整理してたらポラロイドカメラが出てきてさ。フィルム、まだ使えるかなーって思って」

 不機嫌な声に少々陽気な声音の謝罪の言葉。残像を一刻でも早く取り消したいのか、男は何度も瞬きを繰り返す。
 それを尻目に、はベローっと取り出し口から出てきた黒い紙を素早く手にとった。

「暫し待たれよー」
「なんで昔口調なんだよ」
「えー、なんとなく?」

 少しでも早く色が出てくるようにだろう、パタパタと上下になんぞその紙を振っていた。その口元は小さく緩んでいる。

「ケータイカメラとか、デジカメとかで出番がめっきりなくなっちゃったけど…
 なんか好きなんだよね、ポラロイドって」
「…ああ、そう言えば今でもスピード証明写真とかって、それ多いな」
「そうそう。撮ってからプリントアウトまで、数分ってのが最大の利点だし。
 知ってるー? 最近は名刺サイズのポラロイドカメラが人気なのよ」
「へぇ」

 ようやく画像が浮き上がってきた写真を机に置いて、はゴソゴソとカバンの中を漁り始めた。
 程なくして色々物が入ってそうな大きめサイズの筆箱を取り出すと、その中から数本のペンを取り出す。迷いなくキャップを取ると――

「すぐに出てくれば――こぉーんなことも出来るし♪」
「ちょっ…さん?!」

 一瞬の間に、は出てきた写真の上にペンを走らせる。それを見て対岸の宮田は抗議の声を上げた。無惨な姿を晒している己の写真を彼女の手から素早く奪い去る。

「よりによって猫髭なんか描くか、普通本人の目の前でッ!?」
「ええー、額に”肉”よりマシでしょ。あ、それとも背景に花でも咲かせた方が良かった?」
「――なぁ、正直に言ってくれ。さん、本当は俺のこと嫌いだろ?」
「あらヤダ宮田君ってば! 私は結構気に入ってるんだけどなー」
「それはボクサーとしてか、それともからかい甲斐のある幼馴染としてかっ?!」
「なーんか今日は随分と自虐的ねぇ」
「いーから答えてくれッ!」
「あー、はいはい。大丈夫、宮田君は宮田君として好きだから」

 力一杯語調を強くして訴える宮田に、はあくまで軽く受け流すように答えた。
 その答えに苦虫を噛み潰したかのような顔ではあるが、多少嬉しかったのか視線を横に彼はそらす。普段からそれこそ憎まれ口や軽口、果ては絶望的に実りのない小競り合いを交わしていても、やっぱり”好きだ”といわれると嬉しいらしい。報われぬ男心だ。
 ふう、と溜息を一つつき、頬杖をついたままで冷めかけたブラックコーヒーを一口含む。カップをソーサーに戻すと、空いたその手を一美へ向けた。

「――そのカメラ俺にも貸してくれ」
「別にいいけど…?」

 唐突な要求ではあったが、は宮田にカメラをそっと手渡した。
 それを受け取ると、暫らくあれこれとカメラを色んな角度に回す。ピントの機能はオートのようで、フラッシュは既にスイッチが入っていた。フィルムもまだ数はある。これならば、シャッターを切るだけでいいようだ。
 これらを素早く確認した後、宮田はそっとレンズを彼女に向ける。は視線を僅かに下へと落とし、ごくごくと注文していたオレンジジュースを飲んでいた。

「…なあ、さん」
「ふえ?」

 ぱしゃっ!

 不意を付かれたはオレンジジュースのストローを加えたままという、少々間抜けな顔をして顔を上げてしまった。
 そしてその場面をグッドタイミングで収めてしまった写真がでてくる。
 パタパタとそれを振りながら、宮田は素早く机に転がったままになっていたペンの一本をその手に掴んだ。にや、と少しばかり意地の悪い笑みを口の端に乗せながら言う。

「さて。さんは何が希望なんだ? 俺とおそろいで猫髭か? それともにょろーっと下睫毛を伸ばしてやろうか」
「ひどーーーーいっ!! せめて少女漫画チックに、目に光を入れるくらいにしてよッ!」
「それこそどういう基準だ。じゃあリクエストにお答えして、馬鹿みたいにキラキラさせてやろう」
「ぎゃーっ! やーめーてーーーーっ!」

 写真と奪おうとテーブル越しに手を伸ばしてくるをサラリとかわし、それを高く掲げる。身長と腕のリーチの差で、流石に彼女にそれは取り上げられそうもない。


 無論、宮田本人には既に写真に落書をするつもりはない。
 折角ドサクサ紛れに手に入れた彼女の写真を自分で無駄にするほど愚かではないからだ。
 しかし、今のこのが慌てていたり、困っている状況が少々楽しいので、暫らくはその事を伏せておこうと思う――青い春であった。

END


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