080:ベルリンの壁
人生に壁は付き物だ。それは誰であろうと例外はない。宮田一郎とてその一人。
減量苦だとか、試合運の悪さとか、パンチに重さがないとか。それこそ上げれば枚挙に暇がつきない。
だが、壁というものはいつか打ち崩せるものだと信じている。正攻法がダメなら別方向からアプローチをすればよいのだ。
近代、崩れる事はないだろうと思われていた東西冷戦の象徴たるベルリンの壁とて崩されたのだ。時節がくればどんな強固な物であろうと綻び、崩壊するのだ。…多分。
何故ここで「多分」と付け加えるのかというと、この十年というもの関係が進歩しない気がしないでもない、幼馴染との事が思い浮かんだからである。
何しろ相手は端っからこちらを男と見ていない節がある。カテゴリーとして真っ先に《幼馴染》が振り分けられ、そこには性別はそう問題視されていないようだ。こちとら結構な年月「気付け!」と思いながら接しているのに、一向にその兆候がない。
まあそれでもよい、彼女に一番近い位置にいるのは自分だと自惚れていたら近年そう甘いことも言ってられなくなってきた。関西産のボクサーとか、彼女がいるジムの面子とか。
さんの判りがたい魅力に気付く物好きなど自分だけだ――とも思っていたが、意外と見る目がある連中だったようである。
「うかうかしてると、さんをトンビにかっさらわれるぞ」
「…ほっといてくれ父さん」
「大体見ていてもどかしい。男ならスパっとデートでも申し込んで、サクッとキメてこい」
「……言いたい事は山ほどあるけど、そんな簡単に誘えるかよ。今ジムも違うってのに」
「その辺をどうにかするのが男の甲斐性だ。日頃世話になっているからとか適当に理由つければいいだろう」
成る程、そういう誘い口上があったか。
心の中で大いに我が父に感嘆するも、それは口に出さずただ半眼でねめつける。しかし敵も然る者で飄々とその視線を受け流していた。
「大体、俺とさんをどーしてそう一緒にしたがるんだよ、父さんは」
「…親の私の目からみても、この機会を逃せばお前に付き合える奇特な娘さんは彼女以外にはおるまい?」
その点についてはちょっと同意するので下手に文句も言い返せない。
何しろボクシングに理解があり、サポートが出来、おまけに気心まで知れているというまさに最高条件の女性なんて、一美以外にこの先必ずあらわれるのかといわれれば恐らくは否。とても貴重だ。父としても逃すまい、と思っても不思議ではない。おまけに息子は彼女を好いているようだし。
だが、
「――さん次第だろう、そういうのは」
この部分が最後にして最大の問題点なのだが。
宮田自身割と様々にアプローチをしているとは思うが――まあ本人基準だが――ちっとも効果というモノが感じられない辺りちょっとへこむ。もう少し乱暴な手を使わねばならないのだろうか。
この壁は存外堅固のようだ。そう思いはぁ、と溜息をついたが、父は人の悪い笑みを浮かべ――
「そこは既成事実を作れば――」
「――出来るかぁっ!!」
割と魂の叫びに近い勢いで言い放つ。父は息子の不甲斐なさにヤレヤレと肩を竦めた。
END
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