「こんちわ〜」
「遊びにきましたーッ!」
「お仕事中にスミマセン、木村さん」
「…別に暇だからかまわねェけどよ…一体どういうつながりだ?」

 言って木村は、己の目の前にいる三人――一歩と板垣とを見渡した。

「じ・つ・は〜、今日はあの例の写真を拝みに」
「だって僕だけ見てないんですよ? いいでしょ!」
「スイマセンスイマセン!
 一応止めては見たんですけど…」
「あー… そーゆーことか」

 何かの弾みで昔の話になって、面白おかしく様変わりした木村と青木の二人についてが話したのだ。
 そして、その昔の写真を見ていない板垣がにせがんで――彼女の頼みならば、聞くであろうと検討をつけて――ここへ来たのだろう。
 一歩は二人を止めようとはしたものの、力及ばず巻き込まれた。
 大体の展開は、こうである。
 好奇心で輝くと板垣の視線に、木村は諦めの溜息をついた。



 BE THERE



 鷹村のヤロウにボコボコにされて、復讐を誓い鴨川ジムに殴りこんだはいいものの。
 何故か今、俺と青木の目の前にいるのはどうみたって子供、それも女。
 そいつが言うにはこうだ。

「これから暫らくの間は、あたしがお二人の面倒見ますんで。どうぞよろしく」

 …ふざけんのもいい加減にしろよ?

「――やってられっかぁ!!」

 俺より先に、青木の方がキレた。

「俺達ゃ鷹村を倒すためにここに来てんだ!
 それなのに…なんでおめェみてぇな女に面倒見られなきゃ何ねぇんだよ!」
「同感だな。そんなひょろっこい腕でどうやって教えてくれるのかねぇ?」
「…まぁ、気持ちはわかりますよ。
 鷹兄にボコられたうえ、相手にもされず、私みたいなどうみたって格下の子供を宛がわれちゃァネ」

 そう言って、彼女はやれやれと首を振る。
 顔を上げると、そのまま射抜くような眼差しでハッキリ宣言した。

「でもね――これだけは確かですよ。
 今のあなた方では、あたしにすら勝てません」
『なっ――!!』
「ボクシングのボの字も知らない素人さんに、負けるわけがありませんよ」

 絶句する俺たちにそう言って、小馬鹿にするように小さく笑った。
 怒りに震える俺たちを尻目に、彼女はリングを指差すと

「何なら、実践して見せましょうか? スパーで試してもいいですよ」
「おいこら! おめェ何勝手なこと言ってやがる!」
「いーじゃない鷹兄! こういうヤツは、一度自分の身で体感しないとわからないってば」
「…無駄だよ。さんが言い出したら聞かないの、あんただってよく知ってるだろ?」
「しかしなぁ…!」

 リングの上でスパーをしていた二人――鷹村と小さいヤツは…宮田とか言ってたか――が茶々を入れる。
 やり取りもそこそこに、彼女――だったか?――は勝手にリングへ上がると、ちょいちょいと手招きをする。

「ルールは簡単。1ラウンド内に、一回でも私に当てられたら、その時点でお兄さんたちの勝ち。
 反対に私が当てるか、お兄さんたちが一回も当たらなきゃ、私の勝ち。
 どう? やってみる勇気はある?」
「上等じゃ――」
「待て青木。…俺が行く」

 今にも殴りこみそうな青木を制し、一歩前へ出る。

「あのクソ生意気なガキの面に一発入れてやらねぇと、俺の気が収まらねェ!」
「私はどっちでもOKよ」
「あー、わかったわかった。どうでもイイが、せめてヘッドギアくらいつけろよ二人共」
「いらないってそんなの。当たるわけないもん」
「俺もいらねェな。こんなお嬢チャンのパンチが効くはずもねぇ」

 双方同じように鷹村からの忠告を突っぱねてリングに上がる。
 から投げ渡されたグローブを受け取り、適当にそれを手に付けた。
 我ながら、適当なつけ方だとは思うが、その一部始終を見ている彼女が失笑を浮かべている。

「…んじゃま、はじめましょっか?」
「吠え面かかせてやるぜ、チャン」
「そりゃこっちの台詞ですよ」

 互いにリングの中央で対峙し、コーナーポストへと戻る。

「んじゃ、はじめるよ」

 そう言って、宮田がつまらなそうな顔でゴングを鳴らした。



 1ラウンドは三分間。カップ麺が出来上がるのと同じ時間だ。
 それがこれほど短く感じたことはない。
 をどれほど追いかけても、彼女はするりするりとその射程から逃れる。

 反対に彼女の方はというと…打って来ないのだ。
 否、その表現は違う。途中で寸止めしている。
 何度も何度も、が俺の腹・顎・こめかみへ拳を入れるチャンスはあった。
 だがしかし、それらはいずれも僅か数センチのところで止められていた。

 あれよあれよという間に時間は過ぎ、そして終了を告げるゴングが鳴る。
 僅かの間に体力・気力共に俺はすり減らしきってしまった。大きく肩で息をする。

「勝者、ッ!!」
「やったぁ〜〜v」

 レフェリー代わりの鷹村が、高々との片腕を掲げた。
 無邪気に喜ぶとは逆に、俺の心情はぐちゃぐちゃだ。

 負けた、あんなガキに。しかも打ち倒されるより性質が悪りィ!!
 あれじゃぁまだ打たれて終わった方がマシな負け方だ!
 思いっきり馬鹿にされ、手加減されて…情けねぇコトこの上ねェよ…

「木村……」
「…へっ、ザマぁねぇな」

 俺の心情を察してか、青木が声をかけてくる。
 だが如何せん、奴の顔も引きつっていた。
 理解したのだろう、今の俺たちの現状を。

「んじゃぁまぁ、約束どおり暫らくの間私がお二人の面倒見ますんで」
「…判った」
「よろしい! それじゃァ、まずは体力づくりのロードワークと」

 いって彼女は手に付けていたグローブをとると、包帯のようなものでぐるぐる巻きになった手を指し示し――

「バンテージの巻き方からってことで」

 にっこりと笑い、そう宣言したのだった。



 屈辱的な入門初日から数ヵ月後。
 バンテージの巻き方を褒められ、いろんなパンチの打ち方を習い、多少は体力もついてきたと自覚し始めた頃だ。
 初めて俺達は鷹村のスパーの相手を務めることとなった。
 ようやく恨みを晴らせるチャンスがやってきたと思ったのも束の間…ボッコボコにされた。
 グロッキー状態の俺達に、濡れたタオルを彼女が手渡す。恐らくボコられたところを冷やせってことだろう。

「いやー、見事なまでにズタボロね」
「…うっせぇ」
「鷹兄のスパー相手なんて、そこそこ出来てないとやれないもんよ」

 にやっと、人を食ったような笑みを浮かべる。
 その言葉に、ハッとなる。
 つまりは――強くはなっているのだ。確実に、数ヶ月前よりは。
 青木の方を見てみると、奴もまた、俺と似た様な表情をしている。

「もう少しだ――」
「ああ、あと少しで手が届く!!」
「ま、頑張ってよお兄さん方」

 世の中そんなに甘くはないと思うけど〜などといいながら、は踵を返す。
 俺の隣で青木が怒鳴りつけるのを聞き流しつつ、冷えたタオルの心地良さと一破片の充足感に俺は酔った。

 …あと、少し。今よりも強くなれば――!!



 が、しかし。
 彼女の言葉通り、世の中ってのはそう甘くはなかった。
 俺たちが少し強くなる分、鷹村も強くなって、結局ボコられて――
 それでも多少は息切れさせられるようになった頃、プロデビューの話が持ち上がった。
 現在、鴨川ジムでプロライセンスを取っているのは鷹村ただ一人。
 悔しいが、確かにその能力は突出していた。
 そして奴のスパー相手を主に務めていたのが、俺と青木、んでちっこい奴…宮田だ。
 年齢的にも、条件は満たしているわけだし…まぁいっちょやってみようってことになった。
 今まで何も持っていなかった自分が――まぁきっかけは兎も角として――夢中になった、ボクシング。
 これまでの成果を試しても見たかった。

 そして、デビュー戦。
 銀色の光に包まれたリングと、それを取り巻く喚声と空気。
 それに飲まれたか、思いっきりオープニングヒットを喰らうも…相手は俺と同じ、デビュー戦ボクサー。
 確かに敵も練習はしてきただろうが…鷹村みてぇな化けモンを相手にしたことはねぇだろ?
 奴に比べたら、蚊みてぇなパンチだ。
 何だかんだでデビュー戦を白星で飾って…ガラにもなく「ありがとうございます」なっていっちまって…

 ああ、この感じは他では味わえねぇ! 止められねぇよ、ボクシング!!

 着替え終わって、控え室を出た後でも、まだ顔がにやついてる。
 ざわついたロビーの中、ニヤニヤとする男が二人。よくよく考えたら怖い光景だが、そんなこと今の俺たちにゃァ知ったこっちゃない。

「木村さーん、青木さーん!!」

 聞き覚えのある声に振り向くと、人込みを掻き分け、正に喜色満面を絵に書いたような表情の彼女が見えた。
 軽く手を上げ、その場に立ち止まって彼女の到着を待つ。

「デビュー戦勝利、おめでとうございますッ!!」
「へっ、どうってコトねぇよ」
「そうそう。いつものバケモノ相手より全然楽だったぜ」
「バケモノって…いや、確かにそうでしょうけど酷いなァ」

 くすくすと笑う彼女。
 その仕草に、ふと彼女の中の女の部分を感じた。
 いつからだろう――彼女に苦手意識を持たなくなったのは。
 最初の出会いがアレだし、口を開けば一言多いしついでに口も悪い。
 悪戯好きで、すぐ手が出て――およそ、女らしさに欠けている――唯一、少々釣り目がちな大きな目くらいか――特徴ばかりで。
 凡そ自分の好みからは外れている彼女が、どうしてこうも気になるのか。

「いっやー、でもホント強くなりましたねぇ。
 ついこないだ、あたしにコテンパンに負けてたのに」
ちゃ〜ん、それはいわないでくれよな」
「ふふっ、もー勝てませんねお二人には。ちょっと残念かも」

 青木も最初の頃の感情は消えているようで、楽しそうに会話を交わす二人に、どこかが痛む。

「ほらこんなとこで立ち止まってたら、回りの邪魔になるだけだぜ。
 歩きながら話したって、そうかわらねぇだろ?」
「おう、そうだな」
「はーい」
「そういやちゃんは一人で試合見に来たのか?」
「――いえジムの皆と一緒ですよ」
「…どうしたよ、急に変な顔して」

 俺のなんでもない問い掛けに、ちゃんの表情が明るくなった。
 その変化に思わず眉を顰める。

「えー、だってぇ…木村さんの私の呼び方が変わったから」
「…前から一緒だろ? ちゃんって」
「うーん…なんていったらいいのかなァ…
 微妙に前はヤな感じのイントネーションだったんですよ。
 でもさっきのはいい感じで――てっきり、木村さんって私のこと嫌いなのかな〜って思ってたので、なんか嬉しくって」
「あー…確かにそうかもな」
「でしょー?」

 なんだかわからねェが、青木と二人でうんうんと頷きあう。
 自分じゃ自覚してなかったんだが、どーも今と以前とじゃァ言い方に違いがあるらしい。
 
「ま、心配すんなって。嫌いじゃねぇよ」
「わーい!」
「ああ…でも、最初の頃は嫌いだったかな?」
「えええっ、何でですかぁ!」
「だって俺コテンパンにやられたし」
「いやほらそれは不可抗力というか――」
「別にいーじゃねぇか。今はそうじゃねぇんだからよ」
「そりゃァそうですけど…」

 むくれるちゃんの頭を、ポンポンと軽く叩く。
 が、それが気に障ったのかペシッと片手で俺の手を叩くと、「先に外行きます!」と言って駆け出していった。

「…なんか俺悪いコトしたか?」
「…ま、女の子だからな、ちゃんも。
 ――それよか俺は、この先のお前が哀れに思えるぜ」
「お、オイ青木! それどーゆー意味だよ!!」
「伊達にお前と長年腐れ縁やってるわけじゃねぇぞ、俺は。
 しっかし――自覚無しってところがまた性質悪いわな。ま、せーぜー頑張れよ」

 力無く、俺の肩を叩いて青木はさっさと出口へと向かう。
 暫らく意味がわからず、呆然としていたが…考えても今は答えが出せそうに無いので放っておくことにした。

「おいこら待て青木! せめてちゃんと説明しろって!」

 さしあたっては、置いきぼりを防ぐべく、俺も出口へと駆け出した。



「…とまぁ、こういうわけよ」
「そーなんですか…」

 昔の写真を魚に、ぽつぽつと過去の出来事を話す木村。
 当然、心境とか状況とか結構な量を脚色している部分もあるのだが。
 最初はリーゼントな木村の写真に大爆笑していた板垣だったが、己の知らない過去のエピソードには興味があったのか、興味深げに頷いていた。
 その隣の一歩も感心するように唸って、そっと視線を横へ向けた。
 当事者の一人であるは、昔話に飽きたのかアロワナのれーコと遊んでいる。

「…さんは、昔っからああだったんですね」
「三つ子の魂百までって奴でしょう」
「でも鷹村さんの話じゃァ、鴨川に来た頃は内気だったらしいぞ」
『うっそだぁ…』
「ああ、俺も信じられねぇ。…ネコでも被ってたのかな」
「――なーんか皆して私の悪口言ってませんか?!」
「いやいや、ちゃんは可愛いなっていってただけだって」
「あっ、誤魔化した!」

 耳聡く聞きつけたに、木村が笑顔でフォローを入れる。
 がしかし、それにも惑わされずにはなおも突っ込みを入れた。
 そのまま痴話喧嘩の様な状態になり、完全に蚊帳の外に放り出された板垣と一歩。

「…なんてゆーか、最初に木村さんが負けた時点であの二人の力関係が決定したみたいですね、先輩」
「そーだね…」
「……ついでに木村さんも、不毛ですよねぇ」
「それはいっちゃぁいけない約束だよ」
「それにしてもさん、何で気付かないんでしょう。
 第三者の僕たちですら気付いているのに」
「それはほら…さんだし」
「ですね」

 なんだかよく判らない結論が出てしまったが、何となくそれで納得してしまった二人。
 そのままいつ終わるとも知れない木村とのやり取りを、生温い眼差しで見守っていたのであった。どっとはらい。

END


ブラウザバックで戻ってください