「木村さん、ドライブ連れて行ってよ」
「…いいよ」

 窓を開けて、真っ昼間からのドライブ。
 この太陽の下を、何処まで行こうか――



 Blue Sunshine



 彼女は窓の外を見つめている。
 信号待ちの車内を、優しい風が吹いて彼女の髪が揺れた。

ちゃん、何処か希望の場所はあるかい?」
「…海が、見たいな。夕焼けに間に合う?」
「混んでなけりゃ丁度イイ頃に着けるよ」
「んじゃそこで」

 普段は騒がしいほどのが妙に大人しい。車に乗ろうものならはしゃいであちこち引っ掻き回すのに。

 原因は、多分――ヤツだ。
 遠く海を隔てた向こうにいるヤツだ。

 心内でそう思うも、口には出さない。
 言って傷を抉る様な真似はしたくないし、何よりこれ以上彼女を苦しませたくない。
 誰の事を忘れたがってるのか、聞きたいのは我慢しよう。
 自分が彼女の我侭に付き合って少しでも機嫌を直してくれれば、それでいい。
 信号が、換わった。ぐっとハンドルを持つ手に力を入れる。

「それじゃ、飛ばすぜ。窓から顔出すなよ」
「子供じゃないんだからそんなことしないですー!」
「ははっ、どーだかな」

 軽口に笑いながら答えるを見て、木村はアクセルを強く踏んだ。



 二時間ほど車を走らせて、車はとある海岸へ着いた。
 夏には海水浴客でごった返すこの場所も、シーズンオフの今なら人影は殆どいない。
 潮風が少し冷たくなり、空気と混じって妙に肌寒さを感じる。
 木村は、先を歩くに目を向けた。
 俯き風に髪を靡かせ、小さな歩幅で砂浜を歩く彼女――
 ポツリと、は言葉を零した。

「ホントの気持ちなんて…何処で見つかるのかな?」

 傾き、海へと沈む日の光に照らされたその姿に、木村は妙にそそられた。

 言うべきか――

 木村は迷った。
 喉がやけに渇き、言いたい言葉が――詰まる。

 このまま永遠に憧れるままでいいのか?

 するとが突然走り出し、波打ち際まで来たかと思うと顔を上げて海に向かって叫んだ。

「宮田一郎の大バカヤロ―――ウッ!!! 少しくらい連絡寄越せ―――ッ!」

 一息に言って苦しかったのか、ひとしきり肩で息をする。
 ややあって、妙に晴れ晴れとした声で彼女は言った。

「あー、スッキリした!」
「…これがやりたかったのか?」

 側に寄り、半分呆れた声で木村がそう尋ねると、彼女は屈託なく答えた。

「うん。やっぱし叫ぶといえば海! それも夕陽に向かって言うのがモアベター!」
「いつの生まれだ、いつの」
「少なくとも木村さんより若いですー」
「中身が古臭いってんだよ」
「レトロって言ってくださいよ。もしくは情緒あふれる女」
「ハイハイ、判った判った」

 宥める様にポンポンとの頭を軽く叩いてやる。こうやると彼女は「子ども扱いしないで下さい!」と怒るかむくれるかのどちらかなのだが、その反応が木村は好きだった。
 案の定、むぅと頬を膨らまして不服の意を表す彼女。そのしぐさが、子供っぽさを感じさせることには自覚してないようだ。
 不意に、その場にメロディが響く。
 その電子音はの好きな流行のポップス。多分、彼女の携帯の着メロだ。

「一体誰よ、こんな番号見覚えないわよ」

 言いながら電話を取りだし、耳に持っていく。それを見て木村はから数歩離れる。
 その木村に片手で感謝の意を表し、彼女は通話ボタンを押した。

「…宮田…くん!?」

 数瞬の間をおき、半ば悲鳴じみた声で、彼女が声を出した。
 その声に、木村も彼女へ視線を投げる。の表情は、今驚きの色しか映していない。

「そんなこと、どうだっていいの! とにかく、今どうしてるの!?」

 少し離れた場所にいる木村には、電話の内容などわからない。
 ただ、彼女が相手から少しでも情報を聞き出そうとしている必死の姿を見つめるだけだ。
 ややあって終わったのかは携帯を耳から離した。

「…なんだって?」

 木村は彼女に尋ねた。出来るだけ、冷静を保って。

「――一勝を、初勝利をあげたって」

 は、声を震わせ電話を握り締めてそういった。

 祈るように――今何を想っている?

「そっか… よかったじゃねぇか」
「はい――」

 耐え切れず、木村は彼女に背を向けた。
 今のを見るのは、正直――辛い。

「そろそろ帰るか。風も…冷たくなってきたしな」
「はい――」

 空を見上げると、藍とオレンジのグラデーションが見事なまでに広がっていた。



「――着いたぜ、ちゃん」

 きぃっと音を立てて止まる。眠る彼女の肩を揺さぶると、小さくうなりながら目を覚ました。

「あ… 私寝てました?」
「そりゃ気持ちよさそーにな。せっかくなんで寝かせといてやったぜ」
「起こしてくださいよ〜 ドライブの意味ないじゃないですか〜」

 は寝起き独特の少しばかりかれた声で、抗議を申し立てる。

「ははっ、確かにな。ま、夜だし景色は見れないから別にいいだろ?」
「ドライブは景色だけじゃないですよ! 他にも一杯楽しみあるんですから」
「それじゃ…また今度一緒に行くかい?」
「はいっ! 是非!!」

 ドサクサ紛れに次のお誘い取り付ける事が出来て、木村は心の中でガッツポーズを取った。
 シートベルトをはずし、ドアを開け身体を車外へとやるに笑顔で言う。

「それじゃ、また明日ジムでな」
「はい。木村さんも気をつけて帰ってくださいね」

 そういって、ドアを閉めようとしたが、彼女は再び車内に顔を入れた。

「――木村さん」
「何だい?」
「今日は、ありがとうございました」

 いたわるように、思い出したように――
 は微笑み、言った。
 ドアを閉め、手を振る彼女に急かされる様に木村は車を出す。
 しばらく走って、不意に木村はブレーキを踏み込んだ。エンジンを切りその場に停車する。
 ハンドルに両腕を乗せ、その上に突っ伏した。
 ぐるぐると、言葉では言い表せない何かが、心に渦巻く。
 彼女の微笑を見た瞬間に、今まで抑えていた想いが一気に頭に溢れ出していた。

 あんな微笑み――俺になんかくれないでくれ…
 諦められるものも、諦められなくなっちまうからよ――

 対向車がすれ違うたびに、ちらちらとした光が車内を照らし出す。
 つけっぱなしのカーラジオが、今日も暗い事件を伝えていた。
 どこかの誰かが殺人を犯しただの、一家心中らしき車が見つかっただのありふれたもの。いつもなら、気にも留めないだろう。
 しかし、今夜ばかりはそれが妙に木村の耳に残った。

 まるでそれが、分かり合うことの難しさを思い知らせるかのように。

 夜が作る闇の中、何度目かの対向車のヘッドライトに、ふと手を伸ばし――
 彷徨う自分の手を見て、木村は視界がぼやけるのを感じた。

「――――ッ!」

 ひとしきり、声を殺して感情を露出させる。
 暗い車内に一人きり。他に誰がいるでもないのに、声を出せない自分をどこかおかしくも思った。
 声は出ずとも、流れるそれは止まらない。次から次に溢れてくる。
 しかし、しばらくそうしていたら不思議とスッキリとした。ゴチャゴチャしていた考えも、いつの間にか纏まっている。

 何処までも――送っていこう。
 彼女が望む場所まで。
 そこが自分でなけりゃ、サヨナラだ。
 この気持ちに…

 そこまで決意して、再びエンジンに火を入れる。軽く車体が震え、ライトが点灯し辺りを照らす。
 ゆっくりとアクセルを踏み込み、静かに発進する。

 彼女を好きでいられることを、幸せに想いながら……

END


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