恋はGAMBLE
海外武者修行の旅から帰国して数日後の夜。
俺は自宅の自室で契約したばかりの携帯電話を睨んでいた。
買ったばかりの安さがウリのそれには、まださほど番号は登録されていない。精々が自宅とジムくらいなモンである。
いや、正確にはもう一つだけ違う番号が登録してある。さんのナンバーだ。
以前に”約束”のため彼女が俺におしけていったそれは、とうの昔に覚えてしまっているので登録する必要は無いのではとも思うが、一応短縮でかけられるようにしてある。
そして俺の目の前にある机には、携帯電話のほかにもう一つ物が置かれている。いつも購読しているボクシング雑誌だ。
今日発売のそれには「特集:鴨川ジム大躍進の謎に迫る! ジムを支える裏方達」という文字が目立つ色で刷られていた。
ボクサーの特集ではなくわざわざトレーナーの特集を巻頭でするのは珍しいとペラペラとめくっていたら、そこには大きくの写真が掲載されており最初に読んだときには驚いたものだった。
父さんもそれを読んだのだろう。俺にこう提案してきた。
「さんは栄養士の資格をとったらしいな。どうだ、お前も食事メニューを作ってもらったら」
俺は最初乗り気ではなかった。
昔ならいざ知らず今は袂を分けているのだ。他のジムのやつに頼むなんてお門違いだと。
そう言った俺に対し、父さんは、
「一郎、正直お前の減量は過酷だ。運動だけでは追いつかない。
我々は運動面ではエキスパートといってもいいかも試練が、そちらの方面には明るくない。
そろそろ専門家に頼もうかとも思っていたんだ。さんなら気心も知れてるし、お前にも都合がいいだろう?」
と、やや人の悪い笑みを浮かべながら言ってきた。
「――どういう意味だよ、それ」
憮然とした表情を作って、父さんに問い掛ける。すると父さんはふっと笑ったかと思うと天井を見上げながら答えてきた。
「どういう意味かは自分で考えるんだな。
ともかく駄目元で言ってみろ。彼女の連絡先、知っているんだろう?」
――なんで父さんがそこまで知ってるんだよ!
そうツッコミを入れたかったが、なんだか墓穴を掘りそうな気がしたので渋面で頷くに留めた。
それが小一時間ほど前のことである。
…ここに電話するの、二回目か。
ディスプレイに表示された彼女の名前と番号を眺めながらそう思う。結局修行中はあの”約束”の一回だけしか電話をしなかった。
トレーニングや試合で忙しかったのもあるが、何となく話し辛かったのだ。
声を聴けば、逢いたくなる。それが…怖かった。
通話ボタンを押せば、この番号に繋がる。久しぶりに声が聴ける。
どこか浮き足立つ自分に自嘲しながら、俺はボタンを押し耳へとそれを運ぶ。
数度の呼び出し音。どこか長く感じてしまう瞬間。やがて、ぷつんとそれが途切れ、回線が繋がったことを合図する。
「もしもーし」
「久しぶり」
最初に自分の口から飛び出した言葉は、それだった。
久しぶりの、さんの声。いつもと変わらぬ、元気な――
「その声は…宮田君?」
「雑誌見たよ」
声だけで俺とわかる彼女に少々驚きつつ、同時に嬉しくも感じる。
その反動か否定も肯定もせずに見当違いの返事を返してしまう。
そんな俺の態度に少々呆れているのだろう。彼女はどこか苦笑しながら相槌を打つ。
「そりゃどうも。んで、何の用よ」
「ああ… この雑誌のインタビューに載っていたんだが、さん栄養士の免許取ったんだって?」
「そうよ。アンタが海外行ってる間にね」
ここからが本題だ。一寸だけ間をおいて話を続ける。
「それで頼みがあるんだけど…
俺の減量用のメニューも作ってもらえないか?」
「はぁ?」
驚いたようなさんの声が、スピーカーから響いた。
まぁ、大体どの辺で驚いたのかは判る。
俺がこういう風に頼みごとをするなんてめったに無いからだ。
「正直運動だけじゃきついんだ。専門の知識を持ったやつにメニュー作ってもらえればありがたいって父さんとも相談してさ。
――まぁ他のジムのヤツの面倒まで見る余裕があればの話なんだけど」
最後の台詞は少しばかり挑発するような声音で言ってやる。
俺の予想が正しければ、負けず嫌いの彼女のことだ。語気も荒く反論してくるに違いない。
「別に、今更一人くらい増えてもそう変わらないわよ。一人や二人や三人や四人、私が面倒見てやるわ!」
「――そりゃ頼もしい」
ほぅら、やっぱりな。
あまりに予想通りの反応に思わず笑いがこみ上げてくる。
その俺の反応が気に入らなかったんだろう、彼女は更に声を荒げて詰め寄るように言う。
「大体ねぇ、アンタなんで帰って来たなら来たって一言くらい連絡しないのよ」
「そんなの約束してないし」
それにすぐに連絡したら…なんか格好つかねぇじゃねぇか。
そう思うものの、それとは悟らせないようにサラリと返事を返す。
「あーのーねぇ! こっちはあの初勝利以来、連絡無くって結構心配してたのよ?」
「そりゃどうも」
「あーーーっ、可愛く無いッ!!」
「男が可愛くってたまるか」
思わずむっとした口調で返すが、それとは裏腹に俺は少々浮かれていた。
心配していてくれてたのか…
放っておくと顔がにやけそうになるので俺は自分でもわざとらしいと思うが少々強引に話題を変えることにした。
「そういや、あの記事にあったな。お前…彼氏いねぇんだってな」
年頃なのにとも言ってやる。
まぁ、実際のところいたらいたで複雑な心境ではあるのだが。
「その台詞そっくりそのままあんたに返すわよ。何時ぞやのインタビュー記事、私覚えてるわよ〜
『今の俺にはカウンターが恋人』だってぇ? ホントボクシングバカよね〜」
げらげらと電話越しに彼女の無遠慮な笑い声が聞こえる。
…どうやら先ほどの話題は地雷だったようだ。
「そんなんじゃ誰か女子と付き合うことになってもその子がかわいそうよねェ。よっぽどボクシングに理解があるか、心のひろーいコ見つけなきゃいけないんだもの」
条件キビしそー、といってさんはこれまた無遠慮に笑う。流石の俺もその台詞にはムッときた。
「仕方ねェだろ。俺からボクシング取ったら何も残らねぇんだし。
――それともボクシングに多少は理解のあるお前が、俺と付き合ってくれるとでも言うのか?」
「ええー、私がアンタとぉ!?」
やや冗談めかしたようにさんにそう問い掛ける。すると彼女は大袈裟なほど驚いてきた。
…そりゃあ一体どういう意味だよ、その反応。
「……うっわー 想像つかないわ」
間を暫らく空けて、さんはそう答える。その声は信じられないといわんばかりだ。
お前、さっきの間のあいだに何想像しやがった?!
俺がそう聞き出そうとするよりも早く、彼女は言葉を続ける。
「大体宮田君が女の子を口説いているシーンですら想像するの難しいのに、相手がよりによって私?
なんてゆーか… 私の中ではありえない出来事の一つだわね」
「そこまで言うか、お前」
「だってェ、正直な感想だしコレ」
散々なまでのさんの返答にがっくりと力が抜ける。
お前は俺をそういう風に思ってるのか…
ふつふつと胸の何処からか何かが湧き上がってくる。怒りにも似た何かだ。
それだったら、そのありえない出来事とやらを起こしてやろうじゃねぇか。
そう思い、俺は持っていた携帯にぐっと力を入れる。そして一度深呼吸。
「…」
「……どうしたのよ、いきなり名前なんかで読んじゃって」
何処となく戸惑ったようなさんの声。よし、まずは先手だ。
「好きだ」
「…………はい?」
続けて第二波。
「愛してる」
「……………あの、宮田君?」
よし、敵はこの事態にまだ対応してない。ここで畳み掛ける!
「俺にはお前しかいない」
「………………」
完全沈黙。後一押しだ。
「俺の人生には、お前が絶対必要なんだ」
思いつく限りの口説き文句とやらを並べ立ててやる。雰囲気を出すために意識して声も低く出した。
慣れない言葉を言ったせいか、妙に動悸が速い様な気がする。
……いや、実際はそれのせいばかりではないのだろうが。
そこまで言った後お互いに沈黙する。
そのまま暫らくして、その均衡を破ったのはさんからだった。
「――ねェ、宮田君。アンタ人で遊んでるでしょ」
「当然」
引きつった声でそう聞いてくるさんの台詞に、俺は瞬時に返した。
「あーんーたーはーねぇーーっっ!!」
頭蓋に響く音量でそう叫ぶさん。その後、息を整えるかのような気配。
…これは相当効いたか?
そう思ったが次の彼女の言葉はその予想とは裏腹のものだった。
「…ふっ、でもまだまだネ、宮田君。女を口説く時のレパートリーが貧弱よ。
真実味を出すんだったら、そんなお約束の言葉だけじゃ駄目なんだから」
「そういうもんか?」
「そういうもんよ」
――ウソつけ。
さっきのお前の態度でどうやってそう考えろってんだ。バレバレだろうが。
なら、今度はそんな風にごまかせないような言葉を言ってやる。
そう決意して、ふぅんと一言呟きワンクッション。そしてもう一度口を開く。
「なるほど。それじゃぁ…こんなのはどうだ?
…可愛いぜ」
「まだまだ」
「強がってるところもそそられる」
「――それで?」
一瞬の間。声は平静を装っているが、そこには隠しきれていない動揺がありありと伺える。
その様子に思わず、笑いがこぼれる。
「ホントは今顔真っ赤なんだろ? 電話越しだからってバレてないだなんて思うなよ」
「――――赤くなんてなってないわよ!」
「そんな事言ったって…判るぜ。
今その場にいたら抱きしめてるだろうな」
「〜〜〜〜〜〜っ!!」
うわっ、今俺は何を言った!?
自分で自分の言動が信じられず、思わず口元を手で覆う。
確かに、さっきのさんの反応は可愛かった。自分で言った通り――信じられないことだが――彼女が目の前にいたのならば迷わず抱きしめていたことだろう。
「――ふっ、今のはいい感じね」
「なんだ、あまり効いてないのか?」
「とーぜんでしょ? まぁそこそこいい線はいっていたけど。
後何か一押しあれば、結構いいんじゃないの?」
言葉こそ強がっているが、帯びた熱を隠しきれない彼女の声。
くそっ、マジに可愛いじゃねぇか…
「とりあえず、こんな不毛な会話は終わり。本題に戻るわよ。
注文のメニューだけど、ひとまず一月分だけでもいい?」
唐突に、さんが会話の方向転換を図る。
これ以上この話題で話が進むのを避けたかったのだろう。そのコトですら妙に愛しく感じてしまう。
「ああ。出来れば早い方が助かるんだろうけど」
思惑が判り易すぎるが、それに乗ってやる。こちらは笑いをこらえるのが大変なくらいだ。
「そうねぇ… それじゃあ明後日ぐらいでいい? 出来たらそっちのジムに届けるわ」
「いや、頼んでるのはこっちだからな。わざわざそこまでしてくれなくていいぜ。
取りに行くから都合のいい時間を教えてくれ」
さんにも逢いたいからとは言わずに、言葉をオブラートに包む。
多分今は気を落ち着かせようと必死であろうから、こちらが仕掛けた罠には気付いていないだろう。
「うーん… それなら明後日の夕方頃かな? それくらいなら出来上がってると思う」
「わかった、夕方に鴨川ジムでいいか?」
「オッケー」
軽い調子で返事をするところを見るとやはり気付いていないようだ。思わず口の端が軽く上がる。
携帯の向こうで、彼女が小さく息をつくのが聞こえた。どうやら話題の転換に成功したと思い安心しているらしい。
「んじゃ、もう遅いから切るわね。宮田君も早く寝なきゃ駄目よ」
「んなこと判ってるよ、さん」
「ははは、そうよね」
俺がいつものように苗字で呼んだことに安堵しているのか、明るくさんは相槌を返す。
「それじゃぁね、宮田君。お休み」
「ああ。…夢の中で会おうな」
そう一言付け加えて向こうの反応も窺わずに一方的に通話を終了する。
多分、今ごろさんは絶句しているのではないだろうか。
ま、勝負は最後まで油断しちゃいけないって事さ。
くつくつと口の中で笑って、持っていた携帯を床に放る。そしてその持っていた手が妙に汗ばんでいたことに気付いて、思わず苦笑する。
――俺も、まだまだ…だな。人の事いえねェじゃねぇか。
しかし…まったく面倒なヤツに我ながら惚れたもんだ。
短気だし、喧しいし、いちいち人に構ってくるしで。面倒この上ない。
「…とりあえず、明後日が楽しみだな」
誰に聞かせるでもなく、そう一言呟く。
実際に顔を合わせてみて、さんがどんな反応を返してくるか。
今から色々と想像は出来るが、きっと彼女はそれよりももっとよいリアクションをしてくれるだろう。
多分、きっと。
END
サルベージの際タイトル変更
改題前のタイトルは「aquesta」でした
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