スコールが、降り止んだ。
一筋の光が差し込む感覚――
Realization
劇的な終わり方を見せたあの試合から数日。宮田はようやく歩けるまで回復した。
穏やかな空気が流れる昼下がり。松葉杖をつきながら病院の廊下を移動する。
ロビーにある公衆電話。そこまで辿り着いてから、宮田はポケットから紙切れを取り出した。
端がボロボロになったそれは、何処からか破り取られたものであると推測できる。
そこに記載されている番号は――もう何度も連絡したかのような錯覚を起こした。
メモを見ずともダイヤルが出来る。番号は当に覚えていた。
辛い時、めげそうな時。これを見ては己を取り戻した。
実際にかけるのは、今日が初めて。
ふと、海外からでもこの番号につながるのかと不安になるが、教えられた番号はこれのみだ。
仕方ないと覚悟して、海外電話取次ぎサービスから経由してかける。
オペレーターに取り次いでもらい、暫らく。無事にその番号への呼び出しが始まる。
壁に寄りかかり、相手が出るのを待つ。宮田は柄にもなく受話器を持つ手に湿り気を感じていた。
数コールの後、繋がった。
「…もしもし?」
意識して、感情を殺した声を出す。機械的な、はじめの一言。
受話器越しの相手は暫しの沈黙の後、やや震えた声で答えた。
「…宮田…くん!?」
「久しぶり」
「そんなこと、どうだっていいの! とにかく、今どうしてるの?」
まくし立てるように言うに壁に背をもたれさながら、宮田は言った。
「そんなことって…約束しただろ? それを果たすために電話してるんだよ」
「ってことは――」
「勝ったよ。ジミー・シスファーってヤツに」
「ええっ、ジミー!? それってメチャクチャ凄いことじゃない!!」
外人系のボクサーの情報が日本に届いてくることは少ない。
しかしそれなりに実力があれば多少ながらそれは日本にも届く。
彼女が知っているということは、ジミー・シスファーが如何に強い相手であったかが少しはわかるだろう。
電話越しにもはしゃぐの気配を感じられるほど、彼女の声音は弾んでいた。
「ホントは…負けそうだったんだけどな。
さんのおかげだよ。言われたとおり――最後まで未練たらしく諦めずにいたら、勝てたんだ」
「…やだ、そんな事まで覚えていたの?」
「そりゃあ、勿論。約束だし」
さらりと言ってのけた宮田の台詞に、は絶句したように呟く。
「私そんな約束まではした覚えはないわよ」
「そうかもね」
「…相変わらずね、宮田くん」
「そりゃどうも。
ああ、とりあえず今回はこれで切るよ。ちょっと…傷が疼くんでね」
ワザとらしく、声のトーンを落としていかにも苦しいように言ってみる。
宮田としてはちょっとした遊び心だったのだが、はそれを本気で受け取った。
「傷ぅっ!? アンタまたボロボロになってるんじゃないでしょうね!」
口調は厳しいが、そこからは心配の念が溢れんばかりに感じられる。
東日本新人王準決勝の間柴戦で負傷した彼を、誰よりも心配したのは他ならぬである。
そのときのことを思い出して、苦笑しながら宮田は返答する。
「相手はジミー・シスファーだぜ? 無傷で済む相手じゃないさ。ぼこぼこに殴られたよ。
でもまぁ…新しい必殺技も手に入れたし、プラスじゃねぇの?」
「――ッ! ほんっとにボクシングバカよね、アンタは!!」
大音量のその声に思わず受話器から耳を離した。気を取り直して少々耳鳴りのする頭を軽く振り再び受話器を耳につける。
「いい宮田君! さっさと病室に戻って、しっかり養生なさい!
次の試合はきちんと怪我を治して、体調も整えてからよ!?」
「そのくらいは判ってるよ」
「いーや、信用できないわ。アンタはクレバーだって周りは言うけど、本当のところ誰よりも単純で熱いヤツだもの。
強くなるためってのは判るけど、とにかく無理だけはしないでよ!」
「さん」
「何よッ!」
まるっきり喧嘩腰の彼女の台詞に割り込む。
そして一呼吸置き、なるだけその言葉を優しく紡ぐ。
「ありがとう。――感謝している」
「…珍しいじゃない」
宮田のその言葉に毒気を抜かれたのか、少々照れたようなの声が返ってくる。
「そりゃ、たまにはね」
たまには、自分の気持ちに素直になってもいいだろ?
そう心の中で付け足す宮田。電話機に伸びるコードを指に絡めながら宮田は小さく笑う。
受話器の向こうで同じようにが小さく笑う気配がした。続けて、彼女の声が聞こえてくる。
「それじゃ、切るわよ。病人は大人しく部屋で寝てなさい。
――それから…おめでとう」
「…サンキュ」
その言葉の数瞬後、電話は切れた。ツー・ツーという音だけが聞こえてくる受話器を元に戻す。
暫らく、会話の余韻に浸るように壁にもたれたままだったが、廊下の方から小走りにやってきた人物がそれを壊した。
「イチロー! まだケガ治ってないのに出歩くのヨクナイ! 早く部屋に戻るネ!」
「なんだ――チャナか」
「お見舞いに来たのにイチロー部屋にイナイ。ボク探したね」
ぷぅっとその頬を膨らませて、宮田に抗議の意を示す。
その様子を見て、宮田はやれやれと背を壁から離した。
「手間かけさせて悪かったな。もう部屋に戻るさ」
「それがイイ。ケガ治るまでちゃんと休んでた方が身体の為ネ」
満面の笑みを湛えいうチャナ。続けて宮田に疑問を投げる。
「デモなんでイチローこんなところにいる? それに…」
「それに?」
「さっきイチロー物凄くイイ顔してた! まるで試合に勝った時みたいな!」
「――気のせいだろ」
ぷいっと顔をチャナからそむけて否定する宮田。
「そうかなァ…? 確かに笑っていたと思ったんだケド…」
「そんなことより、その手に持ってる袋なんだ?」
なおも追求しようとするチャナ。その考えを別方向へ誘導しようと宮田はワザとらしく別の話題を振った。
「あ、コレ? リンゴね。イチロー、リンゴ好きカ?」
「ウサギ型に切ったやつなら」
「ウサギ…?」
「何だ、しらねぇのか? なら教えてやるから早く来いよ」
「ウンっ!!」
見事話題のすり替えに成功して、内心ホッとする宮田とそれを知らないチャナ。
二人は並んで病室へと続く病室を歩いていった。
季節は巡り、雨季が終わり――そして夏が来る。
強くまばゆい日差しが降り注ぐ、その時は変貌の季節――
END
「Blue Sunshine」の宮田サイドです
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