Fine Day
      
       夜半から振り出した雪は夜を空けてもなお降り続き、見事な銀世界を作り出した。
       深々と降り積もる雪が、周囲の音を吸い込みある種の空間を演出している。
       道路は滑るとか言う次元を通り越して、足を雪に埋もれさせなければ進めない状態だ。
       テレビが、ラジオが。騒がしくこの十何年に一度の大雪を電波に乗せ知らせている。
       各種交通機関は当然のように麻痺し、幹線道路にはチェーン規制がかけられ行き交う車も疎らだ。
       都内の各学校も臨時休校が続出し、降ってわいた休日に子供たちが駆け回る。
      
       が、しかし。
       そんな事情など一切お構い無しには一心不乱に屋上で雪だるまなどを作っていた。
       始めは小さな雪玉だったそれはいまや立派な大きさとなり、ミカンの目とボタン、そしてお約束のバケツの帽子を被り堂々たる風格だ。
      
      「――いねぇと思ったらこんなトコで遊んでやがったのか」
      
       不意に声をかけられ、音のした方へと首を向けるとこの大雪な状況にも拘らず、何時ものスウェット上下の鷹村がへの字眉で立っていた。
      
      「だってこんな雪じゃ皆来れないし、ロードワークのしようもないでしょ? だったら存分に楽しまなきゃ!」
      「まァ確かにな。一歩や板垣は船を見てなきゃならねェらしいし、青木にいたっては風邪でぶっ倒れてるからな」
      「青木さんはトミ子さんがいるから、心配しなくても大丈夫よ」
      「心配なんかしてねェ。ただ馬鹿でも風邪引くんだって驚いてんだよ」
      「はいはい。それよりも私が心配してるのは、木村さんのほうよ。
       こんな天気だってのに、自宅の方に電話したらジムに行ったなんていってるし」
      「途中で遭難してるかもな」
      「…鷹兄、今日の天気じゃそれ洒落にならないわよ」
      
       そう言っては屋上の手摺から身を乗り出す。
       濡れた手袋越しから伝わる金属の冷たさに少々顔を歪ませながら、その眼下の様子を見て取る。
       成る程の言葉通り、その景色は白一色に染められている。雪に慣れていない都市には致命的であろう。
       推定十センチばかりに積もった雪の中に、ところどころ黒ずんでいる場所がある。
       どこかの勤め人が、こんな状況の中でも健気に出勤しようと努力した証なのかも知れない。
       ボンヤリとそんなことを考える彼女の視界の隅で、何か動くものが見えた。
       何気なくそちらへ視線を向けると、遠目なので多少判りづらいが二つの人影らしきものが、悪戦苦闘しながらも前に進んでいる。
       じっとそれを眺めていると、やがて会話らしき音が聞こえるくらいの距離になってきた。
      
      「こんな天―――にジム……なんて練………」
      「お前……てそう――うが。しか―――でワザ……こにい――だよ」
      「単な――ぐれで……よ」
      「――、そう……」
      
       途切れ途切れに聞こえる会話の内容はハッキリしないが、その二つの声には聞き覚えがあった。
      
      「あの声は木村と宮田だな」
      「そーみたいねー」
      
       鷹村にも声が聞こえたのだろう。の隣に陣取り、似たような姿勢で二人の方を見ている。
      
      「とりあえず、遭難してないみたいでよかったわ。全く無茶するんだから。練習熱心なのはいいことだけど」
      「――アイツも報われねェなァ」
      「何が?」
      「いや、なんでもねェ」
      
       きょとんとした瞳で鷹村を見つめるに、パタパタと片手を振り誤魔化す。
       ふぅん、と大して気にした様子もなく呟くを横目に、鷹村は手摺に積もった雪をかき集め始めた。
       適当に集めると、その雪を力一杯に堅め雪玉を作る。
      
      「…どーすんの、それ?」
      
       何となく予想はついたが、とりあえずは鷹村に尋ねる。
       にぃっと悪戯っ子の笑みを浮かべて、鷹村は言った。
      
      「こーすんだよ!」
      「うわっ!!」
      「あ、やっぱり」
      
       放たれた雪玉は、丁度ジムの入り口の真下にいた木村の顔面に直撃した。当たった拍子に、情けなく尻餅をつく木村。
       それを見、は呆れたような口調でぼやいた。
       その声に気付いたのだろう、下にいる二人が上空へと視線を投げる。
       向けられる眼差しに、は「ヤッホー」と軽く応じた。
      
      「おっはよー、二人共。こんな天気なのに練習熱心ですなァ」
      「…今の雪玉、さんが投げたのか?」
      「いいや、あたしじゃなくって鷹兄」
      「やぁっぱそうか! 鷹村さん、何てことするんスか!!」
      「うるせェ! アレくらい避け切れねェのが悪い!」
      
       台詞と同時に、再び雪玉を二連続で投げつける。
       襲い来るその雪玉を宮田は危なげなく避けたが、体勢を崩したままだった木村は思いっきり顔に直撃した。
      
      「わはははっ! いいザマだな木村!」
      「〜〜〜〜〜っ!! 屋上で待ってやがれ!」
      
       言って木村は勢いよく立ち上がり、ジムへと入る。
       その様子を覚めた眼差しで眺める宮田だったが――
      
       ぼす
      
       妙に間抜けな音をたて、頭で冷たいものが砕けた。
       髪に散らばる雪を振り払い、もう一度上を見るとが雪雲を背負い不敵に笑った。
      
      「油断大敵よ、宮田君♪」
      「――上等ッ!」
      
       一声残し、宮田もジムの入り口をくぐる。
       暫したつと、勢いよく屋上のドアが開き二人が駆け込んできた。
       その二人を目の前に、同じように仁王立ちで迎え撃つ鷹村・コンビ。表情まで似せてニヤリと笑う。
      
      「いざ尋常に――」
      「勝負!!」
      
       言うが早いか、鷹村がいつ間にやら作った雪球を繰り出した。
       
      
      
       三十分後。
      
      「バカか貴様らは!!」
      『…すんません』
      
       鴨川ジムに怒号が鳴り響く。
       結局あれから四人は延々と不毛な戦いを繰り広げていたわけだが――
       ジムの入り口に出た鴨川会長の頭に流れ弾があたり、屋上へ駆けつけるまでそれは続いていた。
       会長の登場に、四人ともようやく我を取り戻し大人しく雪合戦を終了させたのだが、今度は寒さとの戦いが彼らを待ち受けていた。
       曲がりなりにもボクサーである三人はまだいい。伊達に身体を鍛えているわけではない。
       が、しかし。ほぼ一般人のはガチガチと歯の根も噛み合わすことも出来ずに、毛布に包まってストーブの前に陣取っている。
      
      「鷹村や木村はまだわかるが…何故宮田まで」
      「――スンマセン」
      「あ、ゴメンなさい。それ私が煽ったから」
      「なんじゃと!?」
      「それに、鷹兄の行動に便乗して、事態を悪化させちゃったし――」
      「むぅ…」
      
       申し訳なさそうに話すに、流石の会長もそれ以上強くはいえない。
       仕方無しにゴホンと一つ咳をして、きっと男どもを睨む。
      
      「まァエエじゃろ。に免じて許してやるわい。さっさとその濡れた服を着替えてこい!」
      
       一声吼えて足音も高く、会長はジムの奥へと去っていった。
       その後姿が完全に消えるのと同時に、一斉に大きく息を吐く一同。
      
      「――助かったぜ、」
      「貸し一つね、鷹兄」
      「さて、んじゃ俺達は言われた通りに着替えるか」
      「…俺は、このまま帰りますよ」
      「オイオイそんなずぶ濡れのままかよ!」
      「着替えなんて持ってませんし。言ったでしょう、ジムに行く途中だって」
      
       濡れた前髪をかき上げて、そう宮田は言う。
      
      「――そういやちゃんも着替えた方がいいんじゃ…」
      「そうしたいのは山々なんですけど、私も着替え持ってないんですよね〜」
      「へっ!?」
      「いやね、上着だけならジムのを借りればいいんですけど――」
      
       そこまで言って、はごまかし笑いを浮かべる。
       その言葉の先を理解してか、尋ねた木村の頬が少々赤く染まる。
       自分たちも全身濡れ鼠なのだから、同じ事をしていた彼女の状態も推して知るべしだ。
      
      「だから、私も一旦帰ります」
      「じゃァ途中まで俺が送ってやるぜ」
      「え、いいわよ宮田君! 子供じゃあるまいし」
      「コケて怪我しない保証がどこにあるんだよ」
      「…コケないわよ!」
      「いーからさっさと着替えてくれば? 余計寒くなるぜ」
      「〜〜〜〜〜〜ッ」
      
       渋い顔のままは毛布を引きずりつつ――やはりみられたくないらしい――ヨタヨタと事務所のほうへと消える。
       その姿を呆然と眺める木村に、宮田はふっと小さく鼻で笑った。
       その行為にカチンときたのか、木村が食ってかかる。
      
      「てめェ宮田… ひょっとして狙ってやがったな?」
      「何をですか?」
      「シラ切る気かよ!」
      「俺はただ単にさんを送っていってやるって言っただけですよ。親切心じゃないですか」
      「お前ほど親切心ってのが似合わねェヤツはいねぇよ!」
      「…間柴とか沢村とか」
      「ありゃ特別だ!」
      
       なおも言い合う二人を見ながら、鷹村がシミジミといった。
      
      「…小物だなぁ、おめェら」
      『余計なお世話ですよ』 
      
       綺麗に見事にハモった二人であった。
END
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