風邪の諸症状といえば。
       頭痛・吐き気・眩暈・発熱・嘔吐・下痢・震え・関節の痛み…エトセトラエトセトラ。
       単独で来られてもイヤなのに、それらが多くの場合伴って現れるので厄介なものである。
       そしてここにも一人、それらの症状に今にも屈しようとしている者がいた。
      
      
      
 CATCHING a COLD
      
       小さな電子音が発せられると同時に、は緩慢な動きで服の中から体温計を取り出した。
       デジタル画面が示していた数字は――
      
      「……三十九度六分」
      
       大台にこそ乗っていないものの、かなりの高熱である。
       改めて自分の体の異常を認識し、全身に言いようのないダルさが感じられる。
       タイミングの悪いことに、風邪薬は有効期限が切れており――普段病気知らずなので、チェックを怠っていた――何か食べようにも、近所の特売日を狙って食材の整理を進めていたので、冷蔵庫の中はおろか冷凍庫にもほぼ何もない。
       ある物といえば、炊いていない生米くらいなもんである。
       流石にこの状況はかなりマズイ。
       さしあたっては寝て体力を僅かでも溜めることであろうと思い、は体温計をテーブルに置き大きく息を吐く。
       先ほどジムには病欠の連絡も入れたので、心配することはない。
      
      「――いや、ある」
      
       誰に言うでもなく、呟く。
       何を思ったのかは、ヨロヨロと立ち上がり棚にあるものを取りに行った。
       ゴソゴソと適当に探索し、取り出だしたるはノートほどの大きさの無地の紙と油性マジック、そしてセロテープ。
       紙に何事かデカデカと書くと――熱の為か、少々手元が覚束ない――満足げには微笑んだ。
       そしてそれらを手に、玄関へと移動する。
      
       スリッパを引っ掛け鍵を開け、ドアを開くと刺す様な外気が流れ込んできた。
       雪は昨日のうちに降り止んだものの、寒気はいまだ上空に留まり続けている為であろう。
       さっさと手にした紙をテープで貼り付け、一旦それを眺めた後思うところがあったのか、一言付け加えた。
       一仕事終え、寒さに身を縮めながら再びドアを開き室内へと入る。
       エアコンの有り難味をヒシヒシと感じながらリビングまで戻る。
       が――
       ぐらり、と世界が歪んだ。
      
      「〜〜〜〜〜っ」
      
       声もなく、はその場へ膝をついた。
       酷く自分の鼓動が耳に響く。
       歪み、霞んだ視界の中どうにかせめてベッドに辿り着こうと数歩這うが――
       ぷっつりとそこでは意識を飛ばした。
      
      
      
      「そういや、今日ちゃん来てないッすね」
      
       サンドバックを叩き終わった木村がおもむろにそう言った。
       流れる汗をふきつつ隣を見ると、『男ばかりでむさ苦しい…』だのと鷹村がブツブツと呟く。
       そんな二人の台詞を受けてか、会長がボソッと言った。
      
      「――なら、風邪じゃ」
      『えっ!?』
      「何でも熱があるらしくてな。大したことはないが、用心の為休ませてくれと電話があったぞ」
      「大したことねェって――」
      「が休むくれぇだから、相当酷い風邪ってことだな。少々の熱なら、あいつは来る」
      「…ワシも同感じゃ。恐らくはワシ等を心配させまいと思ってのことじゃろう」
      
       首を振り、やれやれといった風に会長が言う。
      
      「風邪流行ってますからねェ… 青木のヤロウもまだぶっ倒れたままだし」
      「板垣のウチも一家全滅ってコトで、看病に追われてるみてぇだしな。鍛え方がたらねェのよ」
      「――果たしてそうか?」
      
       同じように明後日の方向を向きながら人事のように呟いていた二人に、会長の冷たい眼差しが突き刺さる。
       その額には一筋二筋、くっきりと血管が浮き出ている。
      
      「昨日の今日じゃからな… ひょっとしたらこうなるかも知れんとは思っておったが、こうも酷くなるは予想外じゃったわい」
      「な、何の事だジジイ」
      「いや、まぁ、それは、その――」
      「…もう言わんでもわかっとるじゃろう。
       貴様らが昨日やった馬鹿馬鹿しい大騒ぎのせいで、は大風邪引いて寝こんどるっちゅうことじゃァッ!!」
      『うわぁっ!!』
      
       恫喝と同時に飛び出したステッキの一閃を、どうにかこうにか交わす鷹村と木村。
       振り払ったステッキをそのままズビシっと二人に突きつけ、会長は宣言する。
      
      「のヤツが戻ってくるまで、ビシビシ扱いてやるから覚悟しておけ!
       それとっ! の家へ見舞いに行くことも禁止するっ!」
      『うげぇーっ!』
      「さぁモタモタしとらんと、まずはロードに行くぞ!!」
      
       鬼の形相の会長に、二人は転がるようにジムを飛び出した。
      
      
      
      「――ジジイにゃ、ああ言われたが」
      「コレばっかりは会長の命令でも聞けませんね」
      「だな」
      
       扱かれ倒した後。疲れた身体を引きずって、二人は揃っての自宅へと向かっていた。
      
      「まァ現役ボクサーの体力を侮ってたのが敗因だな」
      「それよかどうします? お見舞い何が喜びますかねェ?」
      「エロ本とか」
      「それはあんただけでしょーが。
       熱出てるって言うから、喉も腫れてるだろうし…プリンやゼリーとか」
      「それじゃァそこのコンビニにでも寄って、買い込んでいくか」
      「ですね」
      
       鷹村が指し示す先にあるコンビニエンスストアに目をやり、頷く木村。
       自動ドアをくぐり、店内に入ると真っ先にデザートのコーナーに向かう。
      
      「なんだ、桃缶はないんだな」
      「何でもあるったって、コンビニにも限界はありますよ」
      「風邪の見舞い品の定番なんだがな… 仕方がない、ゼリーで我慢しておいてやろう」
      「でも結構あるんすねぇ、ゼリーの種類だけでも。こりゃ迷うな」
      「迷う必要なんかねェよ。全種類買えば済む」
      
       そう言ってポイポイと木村の持つ籠の中に、陳列されている全てのゼリーを一つ放り込んでいく。
       木村も数種類のプリンを選び、隣接された冷蔵庫の扉を開けスポーツドリンク大きなペットボトルを籠に入れる。
       その後ひとしきり店内を回り、高カロリーゼリーやドリンク剤もいくつか加える。
       思いのほか沢山入った籠をレジ台に置き、清算をしていると――
      
      「お疲れ様で――」
      「……なんでお前がここに?」
      「それはこちらの台詞ですよ。ここは俺のバイト先です」
      「おや、宮田君の知り合いかい?」
      
       レジの店員の親父が妙に朗らかに言う。
       自動ドアが開き、お決まりの挨拶をして入ってきたのは宮田一郎、その人であった。
       大袈裟に溜息をついて、嫌そうな声音でその台詞に答える。
      
      「ええ、まァ不本意ながら」
      「何だその不本意ながらッてェのは!」
      「そのまんまの意味だよ」
      
       鷹村のツッコミにもふてぶてしく答える宮田。そのやり取りに親父は豪快に笑う。
       チラ、と宮田は横目で籠の中身を確認すると、眉をしかめながら尋ねてきた。
      
      「なんだか随分偏りのある買い物みたいだけど…」
      「ああ、への見舞い品だ」
      「…へぇ」
      「昨日のアレで風邪引いて寝込んじまったらしくてな。今から見舞いだ」
      「チョ、チョット鷹村さん! ワザワザ宮田に教えなくったって――」
      「別に隠しておくことでもねェだろうが。それにこいつも当事者の一人だしよ」
      「そりゃそうですけど――」
      
       確かにそうだ。とゆーか昨日雪玉をしこたまにぶつけていたのは、他ならぬ自分や宮田だ。
       だからといって、こんなチャンスをみすみす敵にも分け与える理由などない。
      
       風邪を引くと体の不調と共に精神的にも不安定になる。
       そこを優しく介抱する俺!
       あら、木村さんって案外頼りになるのねv等と思うちゃん!
       そして二人の関係は一歩前進するってシナリオだ!!
       まさに完璧。非の打ち所もない。
      
       そこまでを脳内で一気に補完させる木村。
       思いっきり一緒に見舞いに行く鷹村の存在が排除されている辺りからして、それはすでに穴だらけということに本人は気付いていない。
      
      「あ、でも宮田は今からバイトでしょうし――な、宮田!?」
      
       はっと思い出したかのように木村は鷹村に言う。
       むぅとヘの字口な鷹村と、相変わらずのポーカーフェイス――仏頂面とも言う――の宮田。
       密かに木村が勝利を確信したそのとき、
      
      「…いっといで、宮田君」
      「――店長!」
      「よく判らんが、友人が風邪を引いているんだろう? しかも原因は君にもあるらしい。
       ならば男としてけじめはつけるべきだ。見舞いに行ってきなさい。
       なぁにこの時間ならそう客も来ないだろうし… ま、君目当ての女の客はがっかりしそうだがね」
      「…スンマセン、行かさせて貰います」
      「いやいや、気にしないでくれ。
       …その代わり、ちゃんと結果はどうだったのか聞かせてくれよ?」
      
       言って最後に茶目っ気タップリにウインクを一つ。なんだか異様に似合う。
       …どーやら見舞い対象が女であることもバレバレっぽい。
       ぺこりと頭を下げた宮田は気付かなかっただろうが、木村は見た。
       その目に酷く見覚えがある。何か面白い玩具を見つけたコドモの目だ。
       ちらりと横目で隣の大男を覗き見ると、まるで同好の士を見つけたように笑っていた。
       どちらからともなく、ぐっと親指を立てる。
       何か知らないが、なんだか分かち合うものがあるらしい。言葉は不要というヤツだ。
       ハラハラと心の中で木村は恋敵に同情の涙を流した。
      
      
      
       何だかんだと揉めながらも、一同はの住むマンションの前までやってきた。
       エレベーターに乗り、待つこと暫し。小さな電子音と共に自動ドアが開き、三人は連れ立って出た。
       まァそれなりに和気藹々と――水面下ではどうか知らないが――移動する。
       が、しかし。廊下の突き当たりにあるの部屋のドアの前まで着いくと、そこに張り出されている文を見、同時に息を飲んだ。
       三人が目にしたものは――
      
      『ボクサー(ついでに関係者)立ち入り禁止』
      
       と、デカデカと書かれた張り紙だった。関係者の一文は、横から付け加えるように書いてある。途中で加えたのだろう。
       少々いびつな文字ではあったが、インパクトは十分である。
       事情を知らない人間が見たら、いぶかしむ事間違いなしの文句だ。
      
      「…………先手、打たれちゃいましたねェ」
      
       半ば呆然として、木村が苦笑いをする。
      
      「病人の癖に生意気な」
      「…病人だからでしょ」
      
       鷹村のぼやきに宮田が冷静に突っ込む。
       ぐっと言葉に詰まったものの、あえて言い返さずにゴソゴソとポケットの中から鍵を取り出す。
      
      「なんすか、それ?」
      「うむ、の部屋の合鍵だ」
      「あんた一体どっからそんなものを!」
      「事務室からかっぱらってきた。ジジイにはヒミツでな」
      
       ニヤリと笑う鷹村。抜け目ない。
       鴨川ジムの事務室にそんなものがあるとは知りもしなかった二人は、妙な敗北感を鷹村に抱いた。
       そんな二人を尻目に鷹村は鼻歌交じりに鍵穴にそれを差し込み、ぐるりと回す。
       そして勢いよくドアノブをまわし――
      
       がごん!
      
       ドアは開かなかった。
       思わず吹きだす木村。そこに鷹村からの鉄拳が飛んできて、見事着弾した。
      
      「いってぇーーーっ!!」
      「大声出すな! 近所迷惑だろうが」
      「アンタがやったんでしょーが、アンタがッ!!」
      「そんなことより鷹村さん… 今、確かに鍵回しましたよね」
      
       宮田の発言に、木村はジト目で彼のほうを見る。が、しかし何の効果もない。
      
      「おう。手応えはあったぞ」
      「じゃァ最初っから鍵が閉まってなかったってことに――」
      「風邪引いてるって言うのに物騒だな」
      「そういう問題じゃないでしょうが! こういう場合、何かあったって考えるのが妥当ですよ!」
      「…ですね」
      「わーってるよ。ジョークだジョーク」
      『んなダチ悪いジョークいらねェよ』
      
       ハモっての突っ込みに、さしもの鷹村も鼻白む。
       とにかく、気を取り直して鍵を開け、部屋の中に入り込む三人。
       するとそこには、ベッドに辿り着けずにばったりと倒れ伏している彼女の姿があった。
      
      「ッ!!」
      
       いち早く鷹村が駆け寄る。を抱き起こし、顔に耳を近づけ呼吸の有無の確認。
       すると小さく、だが規則正しい音が聞こえる。
      
      「…………寝てやがる」
      
       その台詞に、安堵の溜息が部屋に響いた。
       
      
      
       目を覚ましたのは、部屋の中にざわざわとした気配を感じてのことだ。
       熱で判断力が低下した頭でも、何かが起きていると容易に判断できた。
       二三度瞬きをすると、焦点の合っていない視界が少しだけクリアになった。
       見覚えのある天井、壁、布団。は大きく息を吐き、上半身を起こす。
      
      「お、目ェ覚めたか?」
      
       不意に声をかけられそちらへ首を向けると、薄いブルーのエプロンを引っ掛けた木村がお玉片手に台所から出てきていた。
       やたらめったらに似合うその姿に思わず小さく笑ってしまう。
      
      「台所にあったこれ、借りたぜ。…笑うほど似合わねェ?」
      
       苦笑しつつ、ぴらりと裾を摘まむ木村に、更なる笑いがこみ上げる。似合う、似合いすぎる。
      
      「い、いや… 全くその逆で…っ よく似合ってますよ」
      「んじゃなんで笑ってんだよ」
      「似合いすぎてるから… あ、割烹着とかも似合いそうですね、木村さん」
      「冗談は止めてくれ」
      
       ウンザリといった風に首を振る彼に、はくすくすと笑って答える。
       ふと、は空気の中に漂う暖かさに気付いた。
       エアコンの暖気とは違う、日本人ならばどこかホッとする雰囲気。
       その様子に気付いたのか木村が言う。
      
      「今白粥作ってるところなんだけどよ…食えそうか?」
      「おかゆなら、多分大丈夫かと」
      「そうか! もう少しで出来ると思うと思うから大人しく寝ててくれ」
      「…ところで、どうしてここにいるんですか木村さん」
      
       ここでようやく、そもそもは初めに聞かなくてはならない疑問を口にする。
       気まずそうに頬を掻きつつ、台詞を言う。
      
      「ちゃんが風邪って聞いたモンでな。原因は明らかに俺たちだし――ま、見舞いだ。
       鷹村さんがジムから鍵持って来て、それで開けようとしたんだが…そうそう、玄関の扉開けっ放しだったぜ?」
      「ああ… 張り紙した時に閉め忘れたんですね、きっと」
      「ビックリしたぜ〜 入ったらイキナリちゃんが倒れてんだからよ。寝てただけだから、まァ一安心だったけど。
       今鷹村さんたちには買い出しに行ってもらってる。食材が何もねェし、薬もないみてェだからな」
      「あははは… 申し訳ない」
      「おい、帰ったぞ〜」
      「噂をすればってヤツだな… ちゃんと言ってたもの買ってこれました?」
      「俺様は子供か! ほれ、コレでいいんだろ?」
      「まァ…宮田にも念のためについていってもらいましたからね。んじゃ俺は支度に戻りますよ」
      
       そう言って木村はいそいそと台所へと戻っていく。
      
      「風邪…どうだ?」
      「うーん… 朝に比べたら大分ましかな?
       それよりも、どうして皆ココにいる訳? ドアの張り紙見なかったの?」
      「いや、見たぜ」
      「それじゃァ――」
      「ボクサーでもなきゃボクサー関係者でもねェからな、今の俺たちは」
      「はぁ!?」
      
       鷹村の台詞に、素っ頓狂な声を上げる。
       ふふん、と鼻息を立てたか村はなおも続ける。
      
      「俺様はフリーター、宮田はコンビニのバイト君、ついでに木村のヤロウは花屋の跡取息子。
       どーだ、関係ねェだろ?」
      「…………そーきたか」
      
       威張る鷹村に、はしまったとばかりに声を漏らす。
      
      「まぁ今度は個人名名指しでやるこったな」
      「そーする」
      「鷹村さん、この桃缶缶切りがないと開かないタイプだよ」
      
       横で桃缶を手に取り、開け口を確認していた宮田が言う。
      
      「む、面倒な」
      「安いからってこれ選んだのアンタでしょ」
      「、缶切りあるか?」
      「台所の棚にあったと思うけど…」
      「よし、宮田お前とってこい。ついでに器もな」
      「何で俺が」
      「いーからいってこい」
      
       我侭大王の本領発揮である。
       渋々宮田は台所へ缶切りを探しに行く。
      
      「お前はこれでもはっとけ」
      
       そう言って鷹村はの額にぺたりと手を置く。
       その途端に感じるひんやりとした感覚。熱さましのシートだ。
       ウットリとその心地良さによっていただったが、
      
       がっちゃーん!
      
       陶器の割れる、甲高い音がそれをぶち壊した。
      
      「宮田、お前何やってんだよ!」
      「…ちょっと手が滑って」
      
       木村の怒号が響く。言葉から察するに、どうやら宮田が食器か何かを落としたらしい。
      
      「なぁにやってんだか」
      
       言って鷹村ものそのそと台所へと消える。ポツンと取り残される。
       ぼふん、と枕に頭を静めるものの、なおも台所の会話は続いていく。
      
      
      「お、美味そうだな。どれ一口」
      「ちゃん用の白粥食わないで下さいよ!」
      「味が薄い。もっと醤油入れてやろう」
      「白粥だからそれでいいんですよッ!!」
      
       がちゃぱりーん!
      
      「ああああっ、宮田また割ったな!」
      「ワザとじゃないですよ」
      「コレだけじゃ力つかねェなァ… 肉とか魚とか」
      「消化に悪いものは――」
      
       がっしゃん!
      
      
       ……熱が上がりそうだ。
       恐らく悲惨な状況になっているであろう台所方面を思うと眩暈が起きる。
       いい加減文句を言おうと、ベッドから出かけたとき――
      
      「いい加減にしやがれッ!!」
      
       珍しく、木村がキレた。
      
      「何なんだあんた等は! 邪魔するくらいなら出てってくれ!」
      「俺たちは別に――」
      「問答無用! 看病の何たるかを知らない以上、出ていってもらうぜ!」
      
       語気も強くそういう木村に押し出され、鷹村と宮田が台所から出てくる。
       そしてそのまま部屋を通り過ぎ、玄関へ出て、なし崩しに外まで放り出すと、思いっきり扉を閉め鍵の上にチェーンまでかける。
       暫し鷹村と宮田は呆然としていたが、ようやく追い出されたことに気付きドアを乱暴に叩く。
      
      「おいこら木村! ココ開けやがれ!」
      「騒がしくして、ちゃんの風邪拗らせたらどーすんですか! アンタ責任取れます!?」
      「ぐっ――」
      「…俺たちの負けですよ。帰りましょう、鷹村さん」
      「しかしなあ――」
      「いーから。木村さん、さんのこと…くれぐれも、ヨロシク頼みますよ」
      
       言葉は真摯だが、そこに含ませるモノがやたらに恐い。
       一声了解と答えると、ドアの前の気配が遠ざかっていくのがわかった。
       息をついて部屋へ戻ると、上半身を起こしぱちくりと瞬きをしているの姿。
      
      「…ビックリしたぁ」
      「何がだい?」
      「いやぁ…木村さんが本気で怒るのって久々に見たなァって思って」
      「そうか?」
      
       照れくさそうに頬をかく木村。
      
      「でもおかげで静かに休めそうですよ。木村さんなら、ちゃんと看病してくれるでしょうし。
       病気しちゃうと一人暮らしが妙に寂しく感じちゃうんですよねェ〜」
      「俺はやったことないからな、一人暮らし。そこはよくわからねェな」
      「何もしなくてもお風呂が沸いてたり、食事が出てくるんですよ! 素晴らしいじゃないですか!!」
      「そこか!」
      「あと洗濯も自分でやらなくてもいいし、掃除だって! 一人だと全部自分でやらなきゃならないんですよ!?」
      「まぁそれは確かに面倒かもな…」
      
       ふむと考えるように顎に手をやる。そしてふと思いついたようににやっと笑う。
      
      「…なんなら、一人暮らし止めちまえば?」
      「えっ!?」
      「例えば俺と一緒に暮らせば、家事その他も分担できるぜ? 俺料理も出来るしな」
      「う、それは魅力的かも…」
      「花屋の跡取息子で甲斐性もそこそこ。俺って結構お買い得物件じゃねェ?」
      
       きしりとスプリングを軋ませ、身を乗り出すようにしを下から見上げる。
       お互いの息がかかりそうなくらいの距離で、にっこりと彼女は笑ったかと思うと――
      
       びすっ
      
       木村の額にチョップがめり込んだ。
      
      「――口説くんなら、条件がフェアじゃなきゃ駄目ですよ。
       今の私みたいに、体が弱っている時が口説き時って言うのは男の幻想ってモンです」
      「…手厳しいな」
      「普通ですよ。オンナノコなめちゃ駄目です」
      
       ちちちと人差指を振り、妙に得意げに言う。木村は苦笑しながら立ち上がる。
      
      「さて、鍋が焦げ付く前に台所に戻るとするか。
       そうそう、ちゃんはホットレモネード好きか?」
      「大好きです」
      「そりゃよかった。メシ食って、薬飲んだ後口直しに作ってやるからよ」
      「お願いしまーす」
      
       台所へ向かう木村の背にヒラヒラと手を振って見送る。
       完全にその姿と気配が部屋から消えたのを確かめて、はほぅと息を吐いた。
       両手で頬を包み込み、呟く。
      
      「……うっかり熱上がりそうだわ」
      
       彼女の頬が赤いのは、熱かそれ以外の由来のものか。
       神様だってそれは知りえないものである。
      
END
      
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