Crezy Rendezvous



「悪かったな、大晦日に俺んちの手伝いなんかさせちゃって」
「いいえ、別に構いませんよ。どーせ暇でしたし。
 困った時は助け合いですもの」
「はは、そう言ってもらえると助かるよ」

 日もとっぷり暮れた大晦日の夜。木村園芸店の店先で閉店準備をしながら二人は言葉を交わしている。
 シャッターを閉め、床に散らばった花びらや葉を掃除しながら木村は続ける。

「ずいぶんと遅くなっちまったからな。俺の車でちゃんの家まで送るよ」
「え、いいんですか?」
「いいって、遠慮するなよ。女性の一人歩きはアブないからな」
「ははは。ありがとうございます。んじゃ、お言葉に甘えてよろしくお願いしますね」

 屈託なく笑って、手際よく花たちをそっと片付ける。
 優しさの溢れるその扱いに、木村は思わず微笑んだ。
 植物を愛でる事の出来る人間は、性根の優しい人物――と言うのが木村の持論だった。
 すっかり片付け終わった店内を満足げに見回し、は木村へと振り返った。

「片付けってこんなものですかね?」
「おう。お疲れさん。
 んじゃ、先に店の裏に回ってくれ。車そこに止めてるからさ」
「はーい」

 エプロンここに置いときますね〜と明るく言って、は奥の部屋へと消える。
 その後姿を見送りながら、木村は計画を実行する為の心の準備を固めていた。



 夜の空気に紅いテールランプが揺れる。
 張り付くような冷気を切り裂いて、素晴らしいスピードで車が行く。

「…何で高速の上に私たちはいるんでしょう?」
「さぁな」

 助手席で、が腕組みをして怒っていた。ハンドルを操りながら、木村は短く答えた。
 窓を流れる夜景を眺めながらは溜息をついた。呼気で窓ガラスが曇る。

「――最初っからこういう計画だったんですね」

 木村のほうは見ずに、ポツリとが言う。木村は肯定も否定もせずにただ運転を続けていた。
 車内に音楽だけが流れる。軽快なギターの音がステレオから響く。

「何考えてるんですか、一体?」
「ヒ・ミ・ツ」
「……」

 冗談めかして左の人差し指をちちっと振る木村の態度に、は無言で反抗の意を示した。

「まァこのスピードで飛び降りたらアブないからな。大人しくしててくれ」
「…何が目的なんですか」
「今は言えねェ。心配すんなって、取って食ッちまうようなことはしねェからよ」
「とーぜんです。そんなことしたら全力で抵抗しますからね」
「冗談だって。だからそんな恐い顔しないでくれよ。
 大丈夫、身の安全は保証する」

 ギロリと睨んでくるに苦笑しながら木村は答えた。大きなカーブにハンドルを切り、Gが身体の半分に独特の感覚が襲ってくる。
 揺れる車体に身を任せながら、は小さく息を吐いた。

「――判りましたよ。もう何も言いません。木村さんを信じます」
「…そうか。そりゃ良かった」
「まったく… 普段割と人畜無害なのに唐突にトンでもない事してくるんですもん。タチ悪いですよ、実際」
「随分と手厳しいな」
「忌憚のない感想です〜」

 諦めた様な口調で、はシートを大きく後ろに倒した。そのまま木村に問い掛ける。

「後どれくらいで着くか判らないですけど、ちょっと寝てても大丈夫ですか?」
「ああ。目的地に着いたら起こしてやるから」
「…ってことは、やっぱりどこかに私を連れて行くことが目的なんですね」
「――鋭いな。これ以上はいわねぇぞ」
「いーですよ、諦めましたから。
 騙し討ちまでして私を連れてきたかった理由、楽しみにしてます」

 にやっと挑戦的に笑って、はそのまま目を閉じた。
 暫らくしないうちに、車にはバラードを奏でるギターと共に規則正しい寝息が聞こえてきた。

 …いくら何もしねェって言ったからって、そこまで簡単に信用して熟睡するかね?

 思いながら少しスピードを落とし、車体の揺れを少なくさせる。
 隣で無防備に眠るの顔が窓から差し込む夜景の光に照らされ、薄ボンヤリと見える。
 少々複雑に思いながらも、木村はが大人しくしてくれたことにホッとしていた。
 彼女に嫌われないように、守ってばかりの日々だったけれど、たまにはこういうリスクの高いこともやらないと、大きな実りは得られない。
 そう思っての今日の出来事。偶然忙しかった店もいい口実になった。

 多少強引でもいい。今の関係をほんの少し変えたいだけなんだ。

 自嘲するように口の端を持ち上げて、木村はゆっくりとアクセルを踏む。
 エンジンが音を立て、車は夜の高速を駆けて行ったのだった――



ちゃん、着いたぜ」
「…………」
ちゃーん、起きろって!」
「…うー…あと五分〜〜」

 肩を揺さぶる手を払いのけ、ごろりと身体を横に向けて起床を拒絶。
 木村は一つ息を落として彼女の耳元で、ワザと低く囁く。

「…後五秒以内に起きねェと――襲うぜ?」

 己の台詞の言い終わりと共に、心の中でカウントダウンをはじめる。
 だが残念なことに、3まで数えたところでは勢い良く起き上がった。

「よォ、おはようさん」
「きぃーむーらーさぁーんっ!! 何ですか、今の台詞ッ!!」
「起きねェちゃんが悪いんだろ? 大丈夫、ジョークだって」
「…絶対本気が三割くらい入ってた」
「ハズレ。七割」
「うわ、コワッ!」

 オーバーリアクションで後ずさる――とは言っても車内なので格好だけだが。
 ここでようやくは窓の外へと目を向けた。
 いまだ夜が明け切っていないので、外の様子は完全には判らなかったが、点在する街灯に照らされ少しは推測することが出来た。
 妙に広い空間を、規則正しくラインで一定空間を区切ってある。

「…駐車場ですか?」
「おう。ここからは少し歩くぜ」

 言って木村はロックをはずし、車外へ出る。同じようにも車から降り、こわばった身体を大きく伸ばした。

「やっぱ先客がいるみてェだな」

 白く息を吐きながら、木村が呟く。その視線の先には確かに人影のようなものがいくつかあった。
 少し小走りで先を歩く木村に追いつく。少しばかり寒いのか、先ほどからしきりに手をこすり合わせている。
 木村はふと立ち止まり、丁度隣にある自販機を指差す。

「奢るぜ。何がいい?」
「うーん… コーンスープ」
「腹も減ってるのか」
「…ちょっとだけ」

 笑う木村に、は少し気恥ずかしそうに答えた。
 購入したコーンスープを彼女に渡し、木村も何か買うのだろう、もう一度硬貨を入れる。
 少々悩んだ後に、木村はブラックコーヒーを選びボタンを押した。
 暫らく互いに無言で歩く。歩みを進めるごとにまた一人、また一人と周囲の人々が増えて賑やかささえ感じられるようになった。
 家族連れ、若いカップル、果ては仰々しいカメラを持ったものまで様々だ。

「あー… やっと判りましたよ」
「何がだ?」
「ここに来た目的ですよ。
 初日の出――でしょ?」
「ビンゴ!」

 ぐっとお約束のポーズつきで言う木村に、は呆れたような視線で問い掛ける。

「それならそうと、フツーに言ってくれればいいじゃないですか」
「人生にはちょっとしたスリルも必要だぜ?」
「確かにそうですけど… 要らない心労までかかりました」
「そうむくれるなって」

 頬を膨らますの頭をポンポンと軽く叩いて宥める。それが気に食わないのか、は頭を振って木村の手を振り払う。
 やれやれと呟き、飲み干したコーヒー缶を玩びながら、木村はの歩調にあわせゆっくりと歩く。
 はというとちびちびとコーンスープを飲みながら――猫舌らしい――その後ろを歩いていく。
 不意に、木村が立ち止まった。当然、は木村の背中にぶつかってしまう。

「あ、わりィ。大丈夫か?」
「……」

 木村の問いに、は無言で俯いたままだ。微かに肩が震えている。

「…ひょっとして、舌噛んだとか?」

 この台詞に、はコクコクと首を縦に振る。相当痛かったのだろう、瞳に涙を思いっきり滲ませている。
 自分が泣かせてしまったような気がして、どうにも木村は居た堪れない。
 女の涙に男は弱いというのは世の通説だが、それが自分の惚れた女だとすれば尚更だ。

「だ、だいじょーぶです… ちょっと血の味が口の中にして気持ち悪いけど」
「そうか?」
「はい」

 木村の心情でも察したのか、は大丈夫だと繰り返す。それに対して、木村は困ったような笑顔でしか返せなかった。
 と、そこに。周囲から歓声が上がった。
 回りを見渡すと、今まさに一年の始まりを告げる陽の光が昇りつつあった。
 東の空が白み、藍のグラデーションを作り上げる。
 陽光はゆっくりと、だが確実にその勢いを増し、やがて少しづつその姿を垣間見せてゆく。
 眼下に広がる海がキラキラと光を反射して黄金色に見えた。

「うっわー… キレー…」

 呆けたように、が日の出を見つめる。
 その隣に立ち、木村も日の出に半分――残りは彼女に――意識を奪われていた。

「そうそうちゃん、初日の出には願い事を叶える力があるって言うぜ」
「へぇ! そうなんですか?」
「おう、何かの聞きかじりだけどな。
 折角遠くまで見に着たんだから、何か願掛けでもしてみたらどうだ?」
「そうですねェ… それじゃァジムの皆が少しでも多く試合に勝ちますように――」
「おいおい! 自分自身のじゃねェのかよ。
 こういうときくらい自分の事言ったって罰当たらないと思うぜ?」

 この木村の台詞に、は暫らく頭を抱えていたがやがて神妙な顔で手を合わせてなにやら願いをかけ始めた。
 木村も同じように手を合わせ、目を閉じて願い事を頭に思い浮かべる。

 …ちゃんを嫁さんに――は気が速ェか。
 じゃぁ…付き合えますように…いや、両想いになれるように――

 やたら真剣に木村は願いを唱える。ひとしきり似たような想いを心で叫んだ後、片目だけ開けてちらりとの方を見た。
 こちらはすでに願いを唱え終わったのか、じっと目の前の黄金色に染まった景色を見続けていた。

ちゃんは結局なんて願掛けしたんだ?」
「――木村さんはどーなんです?」
「……教えねェ」
「んじゃ、私も教えてあげません」

 へへへっと笑っては答えた。
 がどんな願いをしたのか大変に気になったが、流石に自分の今の願いを言う勇気は木村にはない。
 結局のところ、肝心なところで二の足を踏んでしまう己に自分でも呆れてしまう。
 願い事として正しいものは『勇気を下さい』なのかもしれない…と今更になって思った。

「――まァ、諦める気はねェんだけどな」
「良くわかりませんが、諦めないことは大事ですよ!
 しつこいまでに頑張ったら、いつかは報われる日がきますって! …多分」

 木村の独り言に、が元気良く相槌を打つ。
 何故だか判らないが、妙にその言葉に同意しているようだ。最後は少々自信なさげだったが。
 そんな彼女に小さく笑いかける。

「そだな。諦めなきゃ何とかなるよな」
「なりますよ、きっと!」
「よっし! んじゃ見るもんも見たし帰るか!」
「はーい。あ、帰りに適当なコンビニに寄ってください! お腹空きました」

 挙手をして、自分の主張を表明する

「ははは、よし俺が奢ってやろう。お年玉代わりだ」
「え、ホントですか! じゃァ沢山買おう♪」
「お手柔らかに頼むぜ」

 そんななんでもない会話を交わしながら、二人は車へと戻っていく。
 その背を日が暖かく照らしていた。

END


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