Bitter Sweet 2


「いってェー…」

 少しばかり瞳に涙をため、額を宮田は押えた。
 見事に額に命中したウィスキーボンボンの箱の中身が、彼方此方床に散らばっている。

「ふんっ、いい気味よ!」

 テーブルの向こう側で、いまだ顔を真っ赤にしたが悪態をつく。
 グイと男らしく、口の端に滴ったウィスキーを袖口でふき取った。

「大体ねェ、初めてのキスがディープってのはないんじゃないの?」
「…そうだっけ?」
「そうよ!」
「十年近く付き合ってて、さっきのが初めてだったんだな」
「あーもー!! 思い出させないでよッ!!
 ただでさえ――」
「ただでさえ?」

 宮田の問い掛けに、はたと口をつぐみあからさまに視線をそらす。
 そのままお互いに無言になる。どこか空気に気まずさが漂った。

「…なァ、さん」
「何よ」
「俺のこと――どう思ってんだ?」
「どうって……嫌いじゃないわよ」
「嫌いじゃねェなら、好きって事か?」
「…………嫌いじゃないってだけよ」

 決して宮田のほうは見ず、あらぬ方を見ながらそうは答えた。
 そんな彼女の様子を、宮田はくつくつと笑いながら面白そうに眺める。
 それが気にくわないのか、遂にはは宮田に背を向け、完全に自分の視界から彼を排除した。

「なんだよ… 今度はさんが拗ねる番かよ」
「拗ねてないもん」
「思いっきり拗ねてるじゃねぇか」
「…なんか今日の宮田君ヘン」
「――どの辺が?」

 の隣に移動し、その横顔を覗き込むように尋ねる。
 すぐ側に宮田の顔があることに気付き、彼女は慌てて反対側へ首を向けた。
 流石に先ほどのことがあるので、ただ隣に座られたというだけでもの鼓動が早まる。

「何時もの宮田君なら…あたしに苛められてるはずだもん」
「はァ?」

 口をとがらせ言うの台詞に、思わず宮田は間抜けな声を上げた。

「無愛想で、朴念仁で、仏頂面で、短気な宮田君をからかい倒して苛めるのが、あたしのライフワークなのに!」
「いいトコなしかよ俺」
「なんだったらもっと言ってあげるわよ。
 男の癖に髪はサラサラだわ、腰細いわ、目付きは限りなく据わってるわ、下睫だわ」
「…褒めてんのか、それ」
「半分くらい? あと半分はバカにしてる」
「――それじゃァこっちだって言わせてもらうがな、お前だって人の事言えた義理じゃねェぞ。
 気まぐれで寂しがり屋の天邪鬼、ついでに胸もないし」
「やかましぃっ!!」

 言葉よりも早く、のチョップが宮田の脳天を的確に捉えた。
 ジンジンと痛む頭頂に手を当てながら、どこかやけくそ気味に宮田は続ける。

「こーなったら十年分、言いたいコト言ってやるぜ。
 大体黙ってりゃいい女だってのに、口も悪けりゃ、手だって早いし、行動は荒っぽいわ」
「宮田君だって似たようなモンじゃない」
「ほっとけ。女らしいところといえば、料理が上手いところか?
 たまにゃァしおらしく、女っぽさでも見せやがれ」
「じゃぁ反対に聞くけど…
 そんなあたしだったらどうよ。大人しくて、ボケにもつっこまず、微笑んでいるあたし」

 きっと鋭く睨み、宮田へと疑問を投げかける。
 その視線を真っ向に受けながら、言われた通りに想像してみる。
 例えば。
 千堂の過剰なスキンシップに対して、たいした抵抗もしない彼女。
 木村の何気ない会話の中の口説き文句に、ツッコミではなく頬を染めて対応する彼女。
 はっきり言って、不愉快この上ない。

「…そんなのお前じゃねェな。気持ちわりィ」
「気持ち悪いは一言余計よ! こういうあたしだからこそ、あたしなの」

 ふんっと無意味に偉そうに、据わったまま器用に胸を張ってそう答える。
 そんなの片腕を不意に宮田は捕らえた。
 少しばかり無理な体勢だったの身体は、その力に流され簡単に宮田の方へと吸い寄せられる。
 向かい合う形で己の腕の中におさまった彼女の身体を、両腕でしっかりと拘束した。

「ちょっ、ちょっと宮田君!??」
「…こうやって抱きしめるのも初めてだな」
「そ、そりゃぁ普通中々ないわよ、友達同士じゃ」
さんは…俺のこと友達だって思ってんのか?」
「当然じゃない」

 即答するに、宮田は思わず溜息をつきたくなったが、ぐっと堪えた。
 代わりに彼女の耳元に、意識して低く呟く。

「俺は、そう思ってねェんだけどな」

 その台詞にの身体が小さく震える。
 口元を小さく上げ、さらに宮田は言う。

「十年間、ずっとさんのコト好きだ」
「――――――!!」

 密着した身体から、の体温と鼓動が伝わる。
 同じように、彼女にも自分の拍動が感じられているのだろうと頭の片隅で思う。
 不自然なほど、脈打つ心臓。互いに16ビートを越えた、不器用なダンスを踊っている。
 彼女を抱きしめる両腕に少しだけ力を入れる。

「……返事、聞かせてくれねぇか?」

 やっといえた、己の気持ち。
 彼女に幾度問いただしたかっただろう。
 しかし伝わらなかった時の恐ろしさが、長い間宮田を縛っていた。
 今も、恐い。
 の口から「YES」ではなく「NO」と告げられるのではないかと、そう思ってしまう。
 彼女は、自分の腕の中で微動だにしない。
 半ば勢いに任せた、この告白を少しばかり後悔し始めたその時――

「――宮田君!」

 鋭く、が叫んだ。
 次の瞬間、彼女は伸び上がるように、勢いよく宮田の唇を奪った。
 かなりの勢いだったので、当然歯と歯がぶつかり硬い音が響く。
 その音と同時に鈍い鉄の味が、宮田の口に広がった。

「これがあたしの答えよッ!!」

 口の端から伝う血の色と同じくらい、顔を深紅に染めたが、そう宣言する。
 暫し宮田はその言葉が理解できず、呆然としていたが、口内の血の味が消えるころにはようやく脳内に事実が伝達された。
 無意識に、乾いた己の唇を舐める。

「…つまりOKってコトでいいのか?」
「でなきゃ自分からキスなんかしないわよっ!」
「えらく乱暴だったけどな」
「それはその――勢いがないとやれそうになかったし…」

 噛み付くような先ほどの行為とは逆に、俯き、もごもごと口調を濁らす
 その彼女の顎をすくい上げ、宮田はの唇から零れた血を舐め採る。
 
「ひゃっ――」
「…やっぱ、誰でも似たような味なんだな。血ってのは。どこ切ったんだ? 痛てェか?」
「成分は殆ど変わらないから、当然よ。切ったのは…下唇。痛くないし、もう塞がってるわよ」
「にしても――ファーストキスがウィスキーで、セカンドキスが鉄の味ってのは珍しいだろうな」
「滅多にいないでしょうね」

 が苦笑すると、宮田は再びその腕で彼女を抱きしめた。
 そして、暫しそのまま抱き続けていたが、唐突に思い出したかのように言った。

「そういや…バレンタインチョコ貰ってねェな」
「えっ? 山ほど貰ってるじゃない」

 少々くるしそうに、が目線でローテーブルの片隅に詰まれたチョコレートを示す。

「お前からは、まだ貰ってねェってことだよ」
「あ、そうだっけ? でもカロリー高い甘いモノはご法度よ。
 確か去年は…そうそう、新宿の有名な煎餅屋の手焼き煎餅だったわね」
「…減量のこと、考えてくれてんのは嬉しいけど――色気皆無だったな」
「ボクサー引退したら、好きなだけ甘味どころ巡りに付き合ったげるわよ。男一人じゃ行きづらいでしょ」
「そりゃありがたいけど…今年は?」
「……」

 明後日の方向を向き、頬に一筋の汗をたらす
 どうやらすっかり忘れていたらしい。

「ジムの皆の事だけで手一杯だったからなー」
「つまり、俺にはねェと?」

 普段の五割増の据わった眼差しで、宮田はを睨んだ。
 その視線に何やらイヤなものでも感じ取ったか、慌てて彼女は言葉を口にする。

「いやいやいやっ!! ちゃんと渡すわよ…後日!」
「それまで待てねェよ」

 台詞と同時に宮田はひょいとを担ぎ上げた。
 唐突に重力から引き離され、はばたばたともがく。

「宮田君、下ろしなさいよ!」
「ヤダね」
 
 流石ボクサー。暴れるをモノともせず、素早くベットの近くまで移動するとぽいと放り投げた。
 放り出されたは、即座に宮田から遠ざかるも、すぐに背に壁が当たった。逃げ場がない。
 そんなを見下ろしながら、宮田は不敵に笑った。 

「今年は、さんがバレンタインのプレゼントってコトで」
「いや、はてしなく待って、宮田君!!」
「さっきOKって言ったじゃねぇか」
「それとこれとは話が別ッ!!」
「大丈夫だって。気ィつけるだけ、気は使うからよ。保証はしねェけど」
「いーーーやーーーだーーーーーーっ!!!!」

 ブンブンと勢いよく首を振るを、どこか楽しげに見る宮田。
 今夜は長くなりそうである。

END?


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