BAD COMMUNICATION



「なぁなぁ、明日大阪にけぇへんか?」
「んなヒマないわよ」

 電話を取るなり、聴こえてきた台詞に、はしかめっ面でそう答えた。
 最早毎夜の恒例となりつつある千堂からの電話。普段ならば他愛のない会話を十分程度なのだが、今夜はいきなりのこの台詞である。
 流石に少々呆れながら、は言葉を続けた。

「大体ねぇ、何の前触れもなく来いなんて無理よ。私にだって都合があるし、そうそう大阪まで行くようなゆとりもないわ」
「まーせやろな。
 …しゃーけど、絶対明日、はこっちにおると思うで」

 受話器の向こうで千堂が妙に自身ありげに言った。
 訝しげに思っていると――

「実はなぁ、甲子園のチケットが手に入ったんや」

 ぴくりっとの手が震える。

「しかも、伝統の一戦」

 ぐっと受話器を握る指に力が入る。

「アルプス・スタンド席で、今期の勝ち越しを決める――」
「行く」

 千堂の台詞を遮り、思わず反射的にそういうだった。



 結局、翌日の全ての予定をキャンセルし、皆の呆れた視線を背にはやってきた。
 眼前には、これまた絵に描いた様な笑顔の千堂と憧れの甲子園。

「…ああ、欲望に弱い私」
「わいはと一緒におれるから幸せやけどなー♪」

 さて、ここまでくればお分かりであろうが、は大の阪神ファンである。
 十数年ぶりの大躍進・猛虎復活に諸手を上げて喜んでいた。
 いつかは聖地・甲子園で試合を見たい、応援していたいと思っていただけに、今回の千堂からの誘いは渡りに船であった。
 しかも、伝統の一戦。更には、これまた十数年ぶりの対巨人戦の勝ち越しが、今日の試合の勝敗で決まるとあっては最早猫にマタタビ。
 少しばかりの罪悪感と、それを押しつぶすほどの昂揚感を胸に、の心中はマーブル模様だ。

「さて、試合始まる前にちょーっとだけゆうとくで。
 メガホンはあくまで応援の為に使うもんや。試合に負けたときにグラウンド内に投げ込むもんとちゃう」
「判ってるわよ、それくらいのことは」
「たまになぁ…おるんや。阪神のファンはそれでのうてもマナー悪い言われとるからなぁ。
 ま、やったら判ってくれとるとは思うとったけどなv」
「私から質問〜! 風船は売ってるの?」
「大体売り子のねーちゃんが売っとるし、球場の売店にもあるけど…
 通は事前に買うとくもんや。ほい、の分」
「あ、ありがと」
「コツは少し風船を手で伸ばしながら息を入れることやで。
 大体六回裏ランナーなしやったら、2アウトくらいからが入れ始めのタイミングや」
「…手馴れてるわねー」
「そらもう何度も通うとるからな!」

 手際よく説明する千堂は、普段とはまた違う印象を感じた。
 割と短気で怒りっぽいところもあるが、こうして好きなことや楽しいことをやってるときの彼は、端から見ていてもはっきりとそう感じることが出来た。
 千堂のこういうところは、も良く思っている。言うと舞い上がるので言わないが。

「しゃーけど、基本はやっぱ思いっきり応援することやな! それで試合が勝てばなおええ感じや!」
「そうね…それに、今日は是が非でも勝ってもらわないと!
 折角東京から足運んだのに、負け試合はちょっと――いや、かなり残念!」
「大丈夫やって! 今年の阪神はホンマもんや! …多分!!」
「…こんなに調子よくっても、どこかそれが信じ切れないのよねー、阪神って」
「前科が山ほどあるからなぁ…」

 お互いの言葉に、ブルーになってしまう二人であった。



「いっやー!! 今日の試合は良かったわー!」
「今期の阪神のお家芸、逆転サヨナラやもんな!」
「正に神様仏様八木様ってね〜♪」
「いやいや、後続をぴしゃっと押えたリリーフ陣も褒めたらな」
「先発の藪が打ち込まれたのはちょっと残念だったけど…
 ウィリアムス・リガン・ムーア… 今年の外国人は大成功よね、ホント」
「FA組もがんばっとるけど、虎組もようやっとるわ。
 赤星に今年も盗塁王とって欲しいもんやで」

 試合が終わっての駅までの道のりで、二人は今日の試合の戦評を語り合っていた。
 黄色と黒の人波の中で恐らくは誰もが似たような話をしているのだろう。
 試合も劇的なサヨナラ勝ちを収め、来た甲斐があったとはご機嫌だった。
 暫し歩いて人でごった返す駅に到着した。階段をおりながら、ふと千堂が尋ねる。

「せや。カードの残金ようさんあるか?」
「電車のでしょ? うん大丈夫」
「そやったらええわ。乗り越し清算をこの人数の中やるんは骨やモンな」
「切符を買うのにも一苦労だものね… カード買っといて良かったわ」

 そう言って自動改札にカードを通す。ちなみに柄はの好きな投手の写真である。

「こっからが大変やでー。まずは梅田まで出んことにはな」
「……すし詰めね」
「ま、日付が変わる前にはワイのうちにつけるやろ」
「梅田で荷物も回収しなきゃ〜」
「お、電車きたで」

 ホームに到着した電車に人が吸い込まれていく。
 と千堂の二人もどうにかして車内に乗り込んだ。
 乗車率200%とはこのことかと体感できるほどの込みようである。

「まぁ途中途中で人は減っていくよってな。ちょっとの辛抱や」
「…そーいいながら、私の腰に回されているこの手は、一体何処の何方様のものかしらねぇ〜?」

 言っては、にっこりと笑顔で自分の腰をがっちりキープしている手を思いっきりつねった。

「しゃ、しゃーないやんけ! こないな状況なんやから!!
 …そら役得やなぁとは思うとるけど」
「んっふっふっ、正直ね千堂v それ以上手ェ動かしたら、容赦なく痴漢として鉄道警察に突き出しちゃうからv
 楽しみねー、スポーツ誌一面を飾ること請け合いよ。”浪花のロッキー・痴漢で逮捕”って」
「か、勘弁してぇなぁ〜〜〜」
「まぁその辺は追々考えるとして」
「考えるんかい」
「…やったらハイな人、いるわねー」

 首も回すのも苦労する人込みの中、人目を引きまくる集団が丁度の真後ろにいた。
 アルコールの匂いとともに、応援歌を大声でがなりたてる若者たちは明らかに周囲の反感を買っていた。

「あー… たまァにおるなぁ。早う電車が空けば離れられるやろから、ちょっとの間辛抱せェや」
「私の堪忍袋が切れるのが先か、電車が空くのが先か、あいつらが降りるのが先か…
 さてどれが一番最初かしらねぇ?」
「……ひょっとして、もうキレかかっとらへんか
「さぁどーかしら」

 にやっと笑う彼女を見て、千堂は心から早く若者たちが電車から降りてくれることを願った。



 そんな千堂の願いも虚しく、一向に車内は人の数も減らず、若者はひたすら不快感を周囲に与え続けていた。
 梅田まで後一駅。何とかもここまで額に青筋を増やしながらも堪えてくれている。
 このままの状態ならばまぁどうにか問題もなくこの電車を降りれるだろう。
 だがしかし。

 がこっ

 音がしたほうを見れば、メガホンを振り回す若者と首を垂れたの姿。
 状況から察するに、若者のメガホンが運悪くの頭を直撃したのであろう。

「…だ、大丈夫か?」
「……」

 は無言で頭を上げた。その瞳には怒りの炎。
 千堂はその表情に息を飲み、次の言葉を発する間もなかった。

「……ちょっとおにーさん方」
「あ、何だテメェ。何かいった――ッ」

 若者の言葉が終わるより早く、の肘が鳩尾にめり込んだ。
 腹を押さえ、身を折る男を振り返って一瞥し、は言い放つ。

「いい加減にしろってのよ!
 阪神が勝ったのが嬉しい。そりゃわかるわよ。私だって嬉しいもの。
 …でもねぇ、それが人に迷惑かけていいってモンじゃないでしょう?!」
「オ、オレ達のどこが――」
「人の目も気にせず、大声で叫ぶわ歌うわメガホン振り回すわ…
 そういうのは自宅かビアホールか球場でやんなさいよ! ここは電車の中ッ!」
「人が大人しくしてりゃいいたい放題いいやがって…
 覚悟しとんのやろなっ?!」
「――そっちこそ、ワイのツレに手ェ出す覚悟はしとるんやろな」

 激昂した男が、その拳を振り上げたのを見て、それまで動向を見ていた千堂が、ボソリといった。
 まるでリングの上にいるときのような鋭い視線を男へ向ける。

「男が女に手ェ上げるなんて最低やで。それがワイの女なら、その罪は万死に値するわ」
「千堂ッ、どさくさにまぎれてヘンなコトいわない!」
「あ、バレてもーた。ここは頬染めて照れるところやろ〜?」
「事実無根のことでどーやって照れろってのよ」
「相変わらずつれないなぁ」

 いつもの漫才を繰り広げる二人と呆然とする男を囲むように、人壁からザワザワと声が漏れ出る。

「ろ、ロッキーや!」
「千堂選手よ、ほらフェザー級元王者の!」

 そのざわめきを聴き、は溜息をついた。

「私一人だけだったらそんなに目立たなかったのに…」
「いや、じゅーぶん目立っとったで」
「それはいわないで」
「ワイがをアブない目に合わせられると思うとるんか? 心外やなー」
「…たまーにね、アンタのその恥ずかしい台詞を臆面もなく言えるところ、尊敬しないでもないわよ」
「こないな台詞、やなかったらよういわんわ」
「――テメェら、人に喧嘩売っといてオレらを無視するたぁいい度胸やないか!」
『…あ』

 うっかり若者たちの存在を忘れていた二人は、バツの悪そうな顔で互いに見合った。

「…なーんか、アンタのおかげですっかり気が殺がれちゃった」
「どないする? むこうさんはやる気みたいやけど」
「私の喧嘩にアンタまきこむわけ行かないでしょうが。仮にもボクサーなんだし」
「ほんなら…きまっとんな」
「まぁね」
「だーかーらっ! テメェら人を無視するんじゃねぇ!!!」
「あら、無視なんかしてないわよ。目に入ってないだけで」
『何ィッ!!!?』

 の台詞に若者たちは完全にいきり立った。
 あちゃーと、額に手をやり半ば呆れる千堂だったが――

『毎度ご乗車〜 ありがとうございます。
 終点梅田〜 梅田で御座います 宝塚、京都方面のお客様はお乗換えです〜』

 アナウンスが流れ、電車はゆっくりとホームに到着した。

、いくでッ!」
「OK! 三十六計逃げるに如かず!!」
「あ、こらテメェら待ちやがれ!!」
「待てって言われて待つ馬鹿が何処にいるってのよ〜」

 ドアが開くと同時に、千堂とは一目散に逃げ出した。
 カードでサクサク改札を通り抜け、千堂を水先案内人に梅田の駅を駆け抜ける。
 大阪随一の大きさを誇るこの駅は、各種沿線の乗換駅・巨大地下街・数えるのも面倒なほどの出入り口と抜け道などと言う条件も重なり、まるで迷路のようなつくりになっている。
 一頻り適当に走って、追っ手を撒き――一息ついたところで。

「さて、ここは何処やろな?」
「アホか―――!!!!」

 スパーンッと小気味良い音を立てて、の突っ込みが千堂の頭に直撃した。

「昼間なら兎も角…今は夜やしなぁ」
「うっわ、私たち迷子?」
「大丈夫やて。案内板見ながらワイの判るところまで戻ればどーにかなる」
「自信たっぷりに先導するから、知ってるものだとばかり…」
「難波やったら夜のほうがむしろ詳しいんやけどなー」
「へえええええー。そぉなんだぁ〜」
「あ、いや、それはその… 誤解や! 何思うとるかわからへんけど、それは誤解やからな!!」

 半眼で冷たく見つめるに、千堂は慌てふためいて否定した。
 その動揺っぷりに思わずは吹き出すように笑った。

「まー、ぞーゆーコトにしとくわよ。
 その分、今回のことは私も見逃してね」
「へ? 何がや?」
「いや、私の短気のせいで…千堂巻き込んじゃったし」
「何や。そないな事か。
 惚れた女にかけられる迷惑なんぞ、数にも入らんわ。気にせんでもええ」

 にかっと太陽のように笑い、千堂は言った。
 一瞬、ぽかんとしてしまったがはすぐに我を取り戻し――

「…それで顔が真っ赤じゃなけりゃ、説得力あるのにねー。
 自分の台詞で照れてちゃ、世話ないわよ」
「ほっといてェな」

 の鋭い突っ込みに、千堂は尚も顔を赤くしたまま憮然と返したのだった。

END


*書き上げた当初は2003年でした
今年なら先発福原・中継ぎにSHE・逆転には桧山か片岡かな?

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