OH GIRL!  


 
 大阪はとある場所にある、とあるジム。いつものようにサンドバッグを叩く音が響いている。
 本日の天気は日本晴れ。日も高く上り絶好の洗濯日和だ。
 そして今日も今日とて怒鳴り声が浪速の町に木霊する――


「せぇんどぉぉぉおっ! お前また東京に行く気かっ!!」

 怒号一発、柳岡はジムをコソコソと抜け出そうとしている千堂の首根っこをぐいと掴んだ。
「堪忍してぇや、柳岡はん!
 今日ばっかりは、今日ばっかりは絶対に東京にいかなあかんねーん!」
「その言い訳も聞き飽きたわ!
 月二回のペースで東京に行くせいでメニューがガタガタなんやぞ!」

 じたばたと大暴れをする千堂を逃がすまいと、その服の端を渾身の力で握り締める。
 フェザー級元王者がこんな不真面目でええんやろかと心の中で泣きながら、それでも柳岡は必死だった。
 最近の千堂は何があったかは知らぬが、事あるごとに東京に行こうとする。それはロードの途中だろうが試合の直前だろうがお構いなしだ。
 今のところ調子は悪くなっていない――それどころか良くすらある――が、何時それが逆転するやも判らない。
 ジムにとっては、一度は階級制覇をしている稼ぎ頭にまだまだ稼いでもらいたいところなのだ。

「その分ちゃんと追加しとるからトントンやろ! とにかくいい加減服放してくれへんか?」
「あかん。放したら駅に走って逃げるやろうが」
「そ、そんな事はあらへんで〜。ちゃんと真面目に練習やるよってな」
「フカシこくんやないわ、阿呆!
 今のお前の態度でどうやって信用せぇっちゅうんや、このボケナス!」

 今にも出て行こうとする千堂の服を引っ張りながらドア近くで攻防を続ける二人。他のジム生もその様子をおろおろと見守っている。
 すると唐突に、千堂が駅とは反対方向を指差し叫んだ。

「あっっ! あそこに見えるは燃える男・星野仙一監督!」
「何ッ! 仙ちゃんやと!?」

 その台詞に見事に引っかかりその指差された方向を向くも、当然ながら星野監督の姿はどこにもない。
 柳岡の一瞬の隙に、千堂は掴まれた服を振りほどき一目散に駅の方角へ駆け出した。
 それに気付いた柳岡であったが時既に遅し。千堂はかなりの距離を稼いでいた。

「千堂ーっ! お前また人を騙しよったなーッ!」
「いつもいつも引っかかってくれておおきに柳岡は〜ん! 東京土産買うて帰ってくるからな〜」
「喧しいわ、ボケぇッ! 向こうでちゃんとロードくらいしてけぇへんかったら承知せんからな!」

 遺伝子レベルにまで阪神タイガース好きが染み付いている関西人にとって、今期の大活躍の立役者、闘将・星野監督の名前を出されたらおそらく誰もが振り向くだろう。
 それを見越しての千堂のフェイント。その目論見は見事に的中したわけである。
 しかし毎度毎度同じ引っ掛けにかかるのもどうかと思うのだが…
 そう思いながら、いまだぶつぶつ文句をいっている柳岡へ同情の眼差しをおくるその他ジム生なのであった。



 いつもの様にフェイントで柳岡を撒いた千堂は、予め用意してあった駅のコインロッカーから荷物を取り出していざ新幹線で一路東京へ。
 最近では行く機会が多くなったので回数券まで用意してある。まるで出張サラリーマンのようだ。
 そして数時間後、東京駅へ到着――
 千堂は軽い足取りでそろそろ通いなれてきた感すら漂う路地を歩いていた。もう暫く歩けば鴨川ジムに辿り着くであろう。

 しかし正確なお目当ては鴨川ジムではない。そこにいる確率が高いであろうある人物に会いに行くのだ。
 その人物の名前は
 鴨川ジムの会長の遠い親戚筋で両親が飛行機事故でなくなり、親戚中をたらい回しにされ、それを見かねた会長に引き取られたという。
 しかしそんな暗い過去は物ともせず、明朗快活な彼女は鴨川ジムのメンバーと笑いあいながら日々を送っている。

 千堂がそんな彼女に出会ったのはつい数ヶ月前。全日本新人戦の東日本チャンピオンである幕之内一歩を見定めに来た時である。
 平均よりも少し高めの身長、少し低いところで結んである黒髪のポニーテール、よく変わる表情、そして鷹村相手でも物怖じしない強気な性格――

 …思えば一目惚れやってんやろなぁ……

 しみじみと思い返しながら歩みを進める千堂。その肩に引っ掛けているナップザックの中には財布と携帯と、そして綺麗に包まれた箱が一つ。
 そう。今日はの誕生日なのだ。

 プレゼント渡したらどないな顔するんやろ? 普段は口げんかばっかりしとるからなー
 あのよぉ動く瞳、真ん丸に見開いてアホ面になったら笑ったろ!

 自分の想像でにやけながら、鴨川ジムへと繋がる道の最後の曲がり角を曲がる。
 すると、飛び込んできたのはその彼女、の後姿と――

 み、宮田やとぉっ!? なんで鴨川ジムの前に宮田がおんねん! あいつ今は別のジムやろ!?

 思わず塀の陰に隠れる千堂。一度深呼吸をしてこっそりと様子を伺う。
 おそらく目的は千堂と同じであろうが、自分のことは棚に上げてと話している宮田に嫉妬の炎を燃やす。

「――さん、誕生日おめでと」
「宮田君覚えていたの!?」
「世話になった人の事位はちゃんと覚えてるよ」

 そう言って宮田は小さな小箱を渡す。大きさから判断してその中はおそらく装飾品。

 ――ワイのプレゼントとかぶっとるやないけーっ!

 塀の影から声にならない声を出す千堂。

「これ、今開けてもいい?」
「好きにすれば」

 宮田の了承を得て、綺麗にラッピングされたその小箱を開ける。
 それを取り出し、しげしげと見つめる。
「イヤリング――」
さん、ピアスホールは開けてなかったろ?」

 あんまり派手なのは好きじゃない、って言ってたからシンプルなのを選んでみたけど、と付け加える宮田。

「…ありがとう、宮田君――」

 嬉しそうな、声。
 少なくとも今まで自分は聞いたことのないような、本当に嬉しそうな――声。
 そしてそれを見つめる、優しげな表情の宮田。
 千堂は居た堪れなくなり、その場を駆け出した。


 行きとはうって変わって沈んだ表情と足取り。
 そしてその手にはへと渡そうと思っていたプレゼント――
 千堂は、溜息をついて先ほどの情景を思い出していた。

 …あいつが後姿でよかったのかもしれへんなぁ……

 とぼとぼと重い歩みを駅へと進める。

 もし顔見とったら多分もっとヘコんでたやろな…
 宮田は男の俺から見てもきれーな顔しとるし、あいつからプレゼントなんか貰ろたらやっぱ大抵の女はなびくわなあ…

 あの嬉しそうな声を聞いただけでこのへこみよう。相手が宮田だから余計にだ。

「…これ、どっかにほかして大阪に帰ろ」

 ぽーんと手の中で放り投げて、自嘲する様に呟く。

「んで、メニュー倍に増やして汗流して忘れてまお」
「何を忘れるってのよ」

 突然、後ろから聞き覚えのある声をかけられる。慌てて千堂は振り向くと、肩で息をするの姿があった。
 反射的に逃げようとして、もう一度首を前に戻す。すると――

「待ちなさい、この馬鹿!」
「馬鹿言うなや、馬鹿って!」

 大声で静止する。ついいつもの言い争う癖で千堂は即座に身体を後ろに向けた。

「馬鹿を馬鹿って言って何が悪いってのよ、この馬鹿!」
「いつもいうとるやろ、! 関西人にとって馬鹿は最大級の悪口なんや! せめて阿呆っていわんかい!」
「はんっ! 一応自覚はあるみたいネ、千堂」
「何の自覚や、何の」
「あんたが馬鹿だって言う自覚よ! 何逃げようとしたか知らないけどもうここまで近くなら逃げられないわよ」
「しもた! つい喧嘩に夢中になって逃げんの忘れとった!」

 互いの距離が一メートル程になったことに、ここでようやく気付く千堂。
 言い争いをしながらじわじわとが接近していたことに欠片も気付いていなかったらしい。
 腕を組み、人を小馬鹿にするような挑戦的な目でなおもは言い続ける。

「大体ねぇ、人の顔見て逃げ出そうって言う魂胆が気に食わないのよ。それとも何、私の顔は逃げ出すほど怖いって言うの?」
「…今のの顔はちょっと怖い」
「やかましい! それに、うちの近くに来てまで道に迷いましたなんてベタな言い訳するつもり?
 東京と大阪でどれだけ距離が離れてると思ってるのよ!」

 一言多い千堂の胸にパンチを一発入れて怒涛のように畳み掛ける。
 そしてやっと一息ついて、頭一つ分高い千堂をきっと睨み付けて彼の言葉を待つ。
 少しの沈黙。
 やがてあきらめたように千堂が息を吐いた。

「…お前の誕生日」
「何よ、もっとハッキリ言わないと聞こえないわよ」
「……今日お前の誕生日やろ? せやからプレゼント渡そ思たんや」

 の方は見ずに、そっぽを向きながらその手に持っていたプレゼントを彼女の前に突き出す。
 突き出されたそれを受け取る
 千堂はなおも恥ずかしそうにあらぬ方に視線を向けたままだ。

「自分の趣味に合うかわからんけど… これでも一応一所懸命選んだんやで?」
「ふーん、あんたにしちゃイイ趣味してるじゃない」

 何時の間に開けたのやら、彼女の手の中にはネックレスがあった。
 シルバーのチェーンに小さなムーンストーンがついているシンプルなもの。
 それを躊躇せずに己の首に巻いた。

「あ、自分普通その場で本人の断りもなしにあけるか!?」
「いいじゃない別に。これ私のなんでしょ?」
「宮田にはわざわざ聞いてたやない――」
「やっぱり見てたんだ」

 意地悪くにやりと笑う
 しまった、と思うも言ってしまったものはしょうがない。千堂は開き直ることにした。

「あーあー。見てました! 見てましたとも! こっそり塀の影からお前ら二人の様子見とった!
 そんで宮田からのプレゼントもろて、えっらい嬉しそうな声のお前見て逃げたんや!
 もーこれで隠し事あらへんで。どや!」

 ぜえはあと息を荒げて一息に言う千堂。そんな様子の千堂を見て、は大きな声で笑い出した。

「何でそないに笑うんやーっ!!」
「だ、だって…っ! あんた馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、私ここまで馬鹿とは思ってなかったわよ」
「そんな何度も馬鹿馬鹿言うなッ!」
「それに何勘違いしてるかは知らないけど、私宮田君のことは特になんとも思ってないわよ。
 ただ、まさかあの仏頂面から物貰えるとは思わなかったから、不意を突かれただけで」
「…自分その言い方は可哀想やぞ、流石に」

 無意味に偉そうに胸を張る彼女に、どっと疲れて弱々しく千堂はツッコミを入れる。

「まぁ、何にせよ受け取ってもらえてよかったわ」

 ――まだこれでワイの想いも捨てんでもエエみたいやしな。

 心の内で呟いて、照れ隠しにわしわしと頭をかく。
 ふとの方に視線を移すと今度はこちらがそっぽを向いていた。
 暫く何やらうめいていたが、ややあってこちらに顔を向け――

「ありがとね!」

 と、耳まで真っ赤にして乱暴に礼の言葉を言い、そしてすぐにそのままジムの方向へ急ぎ足で歩き始める。

 …い、今のは反則やろ――
 えっらい可愛ええやんけ……

 千堂はぽかんと口を半開きにしてその後姿を見つめる。
 意識せず同じように朱に染まった顔を自覚して、さらに恥ずかしさが増す。

「なーにボケッとしてるのよ! またトレーニング抜け出してきたんでしょ?
 ロードくらいなら自転車で付き合ってあげるから早くジムに来なさい!」

 やや離れたところから怒鳴る。距離があるのでその表情は判り辛いが、今はそれがありがたい。

「おう、今行くよってな!」

 首を軽く振り、熱を振りほどいて千堂はの元へと駆け出した。

END


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