「そーゆーワケなんでちょっと大阪に出張してくるわ」
『どーゆー訳だよ』
「うむ、ナイス突っ込み!」
の宣言に鷹村・木村・青木から同時に突っ込みが入る。
艶やかな黒髪を高めに結い、いつものラフな格好ではなくちょっとこじゃれた服装の彼女の姿は、ジムという汗臭い雰囲気の場所にとてつもなく浮いて見えた。
「昨日ね、千堂から速達がきたの」
「それで?」
「なんでも今日アイツの試合があるから見に来いと、チケットと一緒に手紙が」
「ほうほう」
「それもリングサイドの一番前のSS席! これはもー行くしか!…てワケなんで、大阪に行ってきます」
「ジジイにゃ言ったのか?」
「もちろん。バッチリ敵情視察してくるわよ」
そう言うと、彼女はしゅたっと片手を上げ「んじゃいってきまーす!」と一声残し、駆け足で出て行く。
「千堂のヤロウも積極的だなぁ」
「どこぞのヘタレな小者どもとは器が違うな」
「…………」
残された三人がそんなことを言っていたとか何とか。
熱視線
東京から一路新幹線で大阪へ。
地図とにらめっこしながら、どうにかこうにかは大阪府立体育館へ来ていた。
周囲の雰囲気はやたらに熱い。彼方此方で応援団らしき人々がときの声を上げている。
流石に地元、千堂は大変な人気である。
受付でチケットを渡し、指定された席についてみると、そこは赤コーナー側の最前線。
ふとチケットをもう一度確認してみると、千堂は青コーナーである。
何で態々反対側を渡したのか、その意図がわからなかったが…まぁ細かいことは気にしないことにする。何せ只なのだから。
何しろ手紙は速達で、手紙の文字も走り書き。きっと慌てていたのだろう。そのことを思い出し、小さく笑う。
そうこうしているうちに席は一つ、また一つと埋まっていき、程なくして会場はざわめきに包まれた。
満員御礼の垂れ幕でもかけられそうなその密度に改めて感心する。
前座の試合が始まるが、それさえも客の熱気を煽るモノでしかなかった。
そう、ココにいる誰もが待ち望んでいるのは――
「お待たせいたしました! 本日のメーンイベント!!」
わぁああああああっ!!!
アナウンスさえも掻き消す勢いで、ギャラリーが声を上げた。
スポットライトが両コーナー入り口を照らし、選手が入場してくる。
会場を包む千堂コールの中、威風堂々と貫禄十分に千堂が歩いてくる。
紺のおなじみのガウンに身を包み、ゆっくりと階段を上る。
リングに上がり、じっと相手を見据えるその瞳は、まさに獲物を眼前にした虎の瞳。
不意に、彼の視線が動く。その強い光を宿したまま――
ぴたりと目が合った。
にィ――と獰猛に牙を見せ、彼が笑う。
ただそれだけのことなのに、は視線をそらすことができなかった。
リングコールも、大勢のファンの声援も耳に入らない。
やがて千堂の方から目線が外された。鋭い眼差しのそのままで、彼は対戦相手を睨んでいる。
それは一瞬か、数瞬か。
ようやく視線の鎖から開放され、は大きく息をついた。
「…やられた」
そう、呟く。
千堂が、自分のコーナーとは反対の席を贈ったのは間違いではなかったのだ。
は確信した。明らかに、この場所に自分がいることを彼は知っていて、視線を投げてきたことを。
幾度となくビデオなどで彼の試合を見てはきたが、思えばこうやって生で見るのはこれが初めてだ。
ビデオの中でも十分な鋭さを感じたが、実際はそれ以上だ。
特に、あの瞳。
あの視線が酷く苦手だ。
じっと射抜かれるとぞわぞわとする。その言いようのない感覚。
油断すると、自分の意識ごと持っていかれそうな錯覚すら起こす。
だから、は今まで千堂の視線を、真っ向から受けようとはしなかった。先ほどのは自分の油断だ。
カーーンッ!!
はっと、顔を上げる。思考の迷宮に陥るうちに、試合開始のゴングが鳴っていた。
リング上に目を向けると、素晴らしい加速で千堂が一瞬のうちに相手の懐に入っていた。
そしてそのまま――!!
次の瞬間には、対戦相手が大きな音を立てて沈んだ。
「千堂スマッシュ一閃――――ッッ!! 開始十秒、まさに秒殺―――っ!」
うわあああああぁぁっ!!!
興奮するリングアナの言葉に、回りの観客もヒートアップする。
レフェリーが相手のカウントを取ろうと駆け寄るが、すぐに両手を交差させた。
「おおっとぉ! レフェリーが両手を挙げましたッ! 試合終了ですッ! 千堂武士、堂々の勝利です――!!」
その声に、千堂がバッと両手を上げて答える。その仕草にますます持って会場のボルテージが沸きあがった。
勝利者インタビューをと駆け寄る女性が、にこやかに話し掛ける。
「おめでとうございます! まさに一瞬の勝利ですね!」
「今日は…客を呼んどったからな。ちょお張り切りすぎたわ」
「お客様…ってことは、千堂選手のお知り合いで?」
「おう! エエとこ見せたろ思もて、相手に悪いコトしてもうた」
言って千堂は、「マイク貸しィや」とちょいちょいと手招きする。
それに答え女性がマイクを渡すと、器用にグローブで握る。
「そーゆーワケやから、こん後ワイの控え室に来ィや!!
来るまでずう――――っと、待っとるからなァ!」
そう宣言し、千堂はマイクを女性へ投げ渡す。
「せ、千堂選手! 今のさんとのご関係はッ!?」
「そないな野暮なこと、聞くもんやないでぇ〜」
にやにやと笑って千堂は答える。
「せ、千堂! ええからもう控え室に戻るで!!」
これ以上余計なことを聞き出されないように、柳岡が慌てて千堂と女性の間に割って入る。
そのまま半ば無理やりにリングから引き釣りおろし、花道を帰ってゆく。
会場は千堂の爆弾発言をうけ、先ほどとは別の意味で騒然としていた。
「……ねぇちゃん、大丈夫か?」
「――ええ、まぁ、なんとか」
かなり派手に椅子からずり落ちて、呆然としていたに隣の男性が声をかけてきた。
「ビックリしたなァ、さっきのロッキーの台詞!」
「エエ、本当に… いろんな意味で」
「でもねェちゃん、今時ああまで見事な椅子ずっこけをするモンも中々おらへんで〜。吉本行ったらどや?」
「いや、遠慮しときます。入るときは東京吉本の門を叩きますから」
「なんやねェちゃん東京モンかいな。それやったら尚更珍しいなァ。笑いの素質あるで!」
そう言ってなんだか一人で納得する男性。
思わずコントのように椅子からずり落ちてしまったが、さすが大阪。勝手に好意的に誤魔化せたようである。
ヨロヨロと立ち直り、辺りを伺うとなんだか物凄く混乱している。
報道陣らしき人々は、足早に花道を駆け抜け、女性ファンが嘆きの声を上げる。かと思えば一方で囃し立てる者もいたりで…
一瞬、本気でこのままなかったことにして東京に帰ろうかと思ったのだが、先ほどの千堂の台詞が頭をよぎる。
多分、恐らく、絶対。千堂はが控え室に行くまで自発的には帰らないだろう。
そしてすっぽかしでもしたら、恐らく東京まで乗り込み、恨みがましい声で自分に纏わりついてくることは想像するに易い。
…行くしかないだろう。
そういう結論に達して、は諦めの溜息をついた。
案の定、控え室前は大賑わいだった。
あの中をかき分けていかねばならないのかと思うとウンザリする。
再び行くのをやめようかとも思うが、一度自分で決めたことである。
意を決して「すいませーん」と人垣に声をかけた。
途端に振り向く、人人人!
「うあ」
思わずそう声に出てしまった。
「貴女がさんですかッ!?」
「千堂選手とのご関係は!?」
「どうか一言お願いします!!」
予想されたこととはいえ、報道陣のマシンガントークに辟易する。
「いえ、違います」
「え、じゃぁ――」
「千堂選手のトレーナー、柳岡の娘です」
「…あまり似てませんね」
「私は母似なので… よく言われます」
キッパリと言い切る。当然、大嘘である。
が、しかし人間不思議なもので、堂々と嘘をついていると、つい本当かと思ってしまうのだ。
慌てず騒がず、にっこりと営業スマイルを浮かべると
「父に会いにきたのですが…通していただけませんか?」
「あ、どうぞ――」
「すみません。失礼します」
そう言って一礼すると、モーゼの十戒の如く割れた人垣を尻目にドアをあける。
ドアを開けると、すぐに飛び込んできたのは、叱り付ける柳岡とシュンとしている千堂の姿。
素早くドアを閉め、報道陣の視線を閉め出すとまずは一言。
「お父さん!!」
『なぁッ!!』
案の定驚く二人に目配せをし、びしっと外へのドアを指差す。
「外の報道陣、どうにかしてよ! 私ここに入るのにも一苦労だったんだからね!!」
「ああ、スマンなァ」
意図がわかったのか、柳岡が即座に相槌を打ってくる。
「それと、さん呆れて帰っちゃったわ。ああいうアホな事言う奴には付き合ってられないって」
「やっぱりなぁ。残念やったな、千堂」
「そんな〜、殺生やで〜〜」
ようやく千堂も判ってきたのか、大きな声で大袈裟に嘆く。
「ほんなら父さんは外の皆さんの相手してくるから、千堂のコト頼んだで?」
「はーい」
「あ、柳岡はん。先帰っといてエエで。ワイこのまま一人でさみしゅう帰るわ」
「そうか? まぁ程々にな」
そう言って柳岡は外へと出て行く。暫らくざわざわとしていた廊下ではあったが、ややすると人の気配が消えた。
それを確認し、更に念のためはそっとドアをあけ、その隙間から確認する。人影は見えない。
「よーやくいなくなったわね…」
「いやぁ、めっちゃ頭エエなァ」
「ア・ン・タ・が・ア・ホ・な・の・よッ!!」
「…そんな態々一言一言区切らんと」
「それじゃァ馬鹿っていってあげましょうか?」
「それはイヤや」
「だったらアホでいいじゃない。それも掛け値なしのドアホ」
キッパリと、そういいきる。
ドスドスと足音を荒げ、椅子に座ったままの千堂の目の前に立ち、びしっと指を突きつけて言う。
「それにねェ、ああいう公共の面前で人を呼び出さなくってもいいじゃない!
あんなことすれば、ゴシップ好きの報道陣がわんさと集まることなんて、火を見るより明らかでしょ?!
私を呼び出したかったら、メールなりケータイなりで言えば十分じゃない」
「せやったら、すっぽかすやろ?
ああやって、人前で言うたら負けん気の強い自分やから、絶対来てくれる思たんや」
悪びれもせずに、にぱっと笑って千堂は言う。
「――勘違いするんじゃないわよ。
私が今ここにきたのは、アンタに呼び出されたからじゃなくて、そのアホな言動にツッコミ入れるためなんだからね!!」
「ワイはそれでもエエよ。が今ここに来てくれるんやったらな」
言って、千堂は真っ直ぐにを見る。
先ほどのそれとは違う、どこか暖かな眼差し。だが、やはり奥底に潜む強い意志は変わらないその瞳。
一旦それに囚われれば、簡単に離れられぬことを判っているは、意識的に目を閉じ大きく息を吐いた。
「んで…? アンタはそうまでして、どうして私をここへ来させたかったのよ?」
「そら単純や。試合に勝ったワイを褒めて欲しいなァ思もてv」
「あー偉いエライ。よく頑張ったわねー、千堂」
「うっわ、むっちゃテキトー」
「んじゃ目的も達成されたってコトで、私は用済みよね。帰るわ」
「ちょ、ちょぉ待ちいや!!」
クルリと踵を返すに、千堂がとっさにその手を掴む。そしてその勢いのまま、強引に自分の腕の中に抱え込んだ。
後ろから抱きつかれる様な格好になり、酷く自分の心臓が跳ね上がるのをは自覚した。
幾度となく千堂が自分に抱きつくことはあった。
だが、試合直後の千堂の身体は当然ではあるが上半身裸な訳で、自分の服越しでも鍛えられた彼の身体が普段以上に感じられる。
そんな動揺を押し殺し、じろっと睨んでそれを非難する。
「なぁに? もう褒めたんだからイイじゃない」
「あれだけで満足できるかいな! もっとこう…優しゅう――」
「今の状況だけじゃ不満なの?」
「せや」
ボソリと耳元で囁く。
「いつでもワイは…と一緒におりたいんや」
「……残念だけど、私はそうじゃないのよ」
そっと、は自分を捕らえる彼の腕をなぞった。
「どんなに好きな相手でも、束縛されるのは真っ平ゴメン。
だから――」
ぐいっとそのまま千堂の片腕を引きおろし、背負うように身体を持ち上げる。
「へっ?!」
間の抜けた声を上げ、千堂はぐるりと自分の身体が回転したことを悟った。
次の瞬間には、大きな音を立てて床へ大の字になっていた。
「どんな手段とってでも、逃げるわよ私は。自身の自由ためにね」
「…キョーレツやな」
「――まぁ、まさか自分でもここまで見事に背負い投げが決まるとは思わなかったけどね」
大丈夫?と床に寝そべる千堂の様子をしゃがんで伺う。
「こんな私でよけりゃ、どうぞご自由に。捕まえられるかどうかは…アンタ次第」
「――上等や」
言う千堂の瞳は、リングの上のそれに似ていた。
獲物を捕らえ、放さぬ視線の鎖。
はそれを真っ向から受け止める。
逃げることはしない。叩きつけたのは自分だ。
そのまま暫し互いに無言で視線を交わしていたが――
ピリリリリリッ!!
けたたましい電子音が、控え室へ響く。
「――ちょっと失礼」
苦笑して、はポケットから携帯電話を取り出す。呼び出し音だ。
「もしもし――」
『あ、ちゃん?! 私よ』
「飯村ちゃん! どうしたのそんなに慌てて?」
『今日、千堂君の試合があったの知ってるわよね。そこで彼、爆弾発言しちゃったのよ!!』
「え、それって…」
『ちゃんのこと待ってるとかどうとか…とにかくウチのブース、物凄い騒ぎよ!?』
の台詞を遮って、飯村はなおも捲くし立てる。
『人物特定はすでにされてしまって、鴨川の方も多分殺到してるはずよ。
とにかく何所にいるかは聞かないけど…東京の主要交通機関のターミナルは、張り込みされてるわ。
もし東京にいないのなら、ほとぼりが冷めるまで雲隠れすることをお奨めするわ』
「じょ、冗談じゃないわよ!!」
『文句なら、本人に言うことね。
これは、友人としての忠告よ。少なくとも三日は…身の回りに注意することね』
「…そのココロは?」
『ウチの雑誌で独占インタビュー』
「――OK。でも期待できるような答えじゃないわよ?」
『そんなの判ってるって。それじゃ、帰ってきたら連絡頂戴ね』
そう言って、通話は切られた。
「…どないしたんや?」
いつの間にか起き上がったのか、千堂が不思議そうな顔で尋ねてくる。
ニィッコリと笑みを張り付かせ、は答えた。
「アンタのおかげでね、東京に帰れなくなったわ」
「え、ホンマか?!」
「今帰ったら、マスコミが張り付くって飯村ちゃんからの電話よ」
嬉しそうな顔の千堂に、は彼と同じ目線にしゃがみ、ワキワキと両手を動かす。
「それもこれも…アンタがいらん事言うからだ――――ッ!!!」
「い、いひゃいがな!!」
「喧しいッ! みぃーーーんな、アンタが悪いっ!!」
「堪忍しひゃっひぇなぁ〜〜〜〜」
千堂の両頬をこれでもか!と引っ張りながら、は叫ぶ。
その声は、哀しく控え室に響き渡っていたのだった。
END
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