希望を捨ててはいけない。もう一度、道を確認してこよう。

 身体に残る疲労感を振り払い、はゆっくりと足元を見ながら歩く。
 朝、鼻歌交じりで歩いた駅への道のり。
 ご近所の顔なじみの野良猫に挨拶をして、桜のつぼみに心を浮かれさせ――
 そして近道だからとまだシャッターの閉じた商店街を通ったんだっけ?
 夕飯時、奥様方で賑わう商店街の入り口では眉をしかめた。

 この大勢の人込みの中、一体どれだけの人が足元に気を配っているだろうか…

 そんなことを思ったら、なんだか絶望感が襲ってきた。

 ……これは鍵屋さん呼んでもらわなきゃダメかしら?
 
 鍵の紛失、それに伴なう鍵の交換料と鍵屋さんの手数料。
 物凄く痛い出費になりそうだ。

「よォ、ちゃん。…どーした、暗い顔して」
「あ、木村さん」

 不意に声をかけられ振り向くと、配達にでも行った帰りなのか、店のロゴの入ったエプロンに身を包んだ木村の姿。
 思わず溜息などをつきつつ、は答える。

「それがですねェ…自宅の部屋の鍵を落としちゃったみたいで」
「えっ、そりゃ大変じゃねぇか!」
「こーなったら多少お金はかかりますけど、鍵屋さん呼ぶしかないかなァって…」
「合鍵は?」
「部屋の中しか…」
「大屋さんに開けてもらうとか」
「運の悪いことに旅行中で、明日まで帰ってきません」
「そっか…」

 むぅと顎に手を当て、木村は暫し考え込む。
 やがてぽんと手を打って、こう提案してきた。

ちゃん、ピンとか持ってるか? 出来ればちょっと細めの」
「ええ、まぁ… 今つけてますけど」
「ほらよくドラマとかであるじゃねぇか、こう…かちゃかちゃっと」
「…出来ますかね?」
「物はためし。出来たらお慰みってところだろうけどな」

 どうよ?と聞いてくる木村に、

「やってみます?」

 と、半ばやけっぱちでは答えた。



 そして、部屋の前。
 はサイドを止めていたピンのうち一本を取って、木村に手渡す。
 それを木村は器用に先端だけ90度曲げ、鍵穴へと差し込む。
 の部屋のドアは、よくあるシンプルな構造のもの。
 ピッキングなどの被害によくあう――といわれているタイプだ。

「テレビなんかじゃ、五秒くらいで開けてるけどなァ」
「まぁ…ダメ元ですから」
「んで、もし開かなかったらどうするんだ? 鍵屋呼ぶか?」
「そうですねェ…どこかにでも転がり込もうかなぁ」

 カチャカチャとピンを弄りながら、思い切って言ってみる。

「――だったらウチに来るか? 一晩くらい、全然かまわねェぜ?」
「えっ、そんな… 悪いですよ」
「気にすんなって。明日になれば大家さん帰ってくるんだろ? 結構鍵屋呼ぶのにも金かかるぜ?」

 表面上はいつもと変わらないが、内心心臓は大暴れである。
 いくら両親が一緒とはいえ、惚れた女を自宅へ泊まりに来いと誘っているのだからだ。
 もしきてくれるのならば、時間的にも一緒に夕飯・朝食。
 そしてあわよくば風呂あがりに寝起き姿にパジャマ!
 色々男の浪漫満載だ。

「うーん… それじゃァお言葉に甘えちゃおっかなァ?」
「甘えとけって。俺は気にしねェからよ」

 ある意味では気にしまくりだけどな――と心の中で呟く木村。

「んじゃ…お願いしますね」
「りょーかい」

 そう言って、クルリとのほうへと顔を向けたとき――

 かちゃん

 右手に、確かな手ごたえが。

「…ひょっとして」

 恐る恐る、木村はピンを引き抜きドアノブを回す。
 手前に引くと、ゆっくりとドアが開いた。

「ウソ! マジかよ!!」
「うっわーっ!! すっごーい、木村さん!!」

 本当に開いてしまった。
 素人の木村が、適当に見よう見まねのピッキング。
 しかも器具はヘアピンだ。奇跡としかいえない。

「…俺って泥棒の素質あり?」
「そうかもですねェ〜」

 無事ドアが開き、おおはしゃぎのに対してチョッピリブルーな木村。

 ああ、サヨウナラ…風呂あがりのちゃんの艶姿…

 そんなことを思っていたり。
 これからの一夜の期待が泡と消えてしまったことが残念でならない。
 …まぁ、喜んでいるので、その笑顔は嬉しいのだが。

「そうだ! お礼といっちゃぁなんですけど、ご飯食べていきません?」
「へ?」
「腕によりかけちゃいますよォ〜v」

 ぐっと拳を握って笑う

「――メニューのご予定は?」
「えーっと…木村さんの好きなもので。何でもいいですよ♪」

 なら是非ちゃんで――と、うっかり言いそうな自分にストップをかけて、

「…肉じゃがとか食いてェなァ」
「んじゃそれで決まりですね!」
「多少なら手伝えるぜ」
「ホントですか? じゃぁお願いしますね」

 開けっ放しのドアから一足早く部屋に入る彼女に続いて、木村もその敷居をくぐる。
 風呂上りは見れなかったけれど、二人っきりでの彼女の手料理。
 しかも、自分のために作ってくれるのだ。
 まぁ、これはこれで――

「OK、OK」

 ってところだろう。

END


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