02. 戦闘訓練
      
      
      
       いくら妙にのほほんとした東方司令部だからといって、軍隊なのだから日々戦闘訓練は屯所内のどこかで行われている。
       窓からその訓練の声が漏れ聞こえて、は書類に走らせていたペンを置き、椅子を立った。窓から身を乗り出して外の様子を窺ってみる。
       砂袋を背負い、教官の号令で一糸乱れず全力前進。そして構えて――繰り返される、身に覚えのある演習風景。頬杖などを窓枠につきつつ、過去の我が身にも降りかかった光景に苦笑した。
      
      「大変よねー、ホント」
      「全くだな」
      
       気配も感じさせず、自分の頭の上に乗せられた顎――伝わる感覚がちょっと硬かったので間違いない――不意に振りかかった体重と声に、は慌てふためいた。
       犯人に怒鳴りつけてやろうと身を切り替えそうとしたが、慌て過ぎたのかバランスを失なう。半身を支えていた腕が外れ、重心がズレた。危うく窓から落下せんばかりに体がはみ出す。
      
      「うわわわわわわっ」
      「何をしているんだ、少佐!」
      
       驚かした張本人も、よもやがこのような事態に陥るとは予想していなかったのか、大慌てで彼女の身を室内へ引っ張る。存外強い力で引き戻され、何とか紐なしバンジーを経験する事態だけは避けられた。
       が、しかし。勢いがつきすぎたのか――まるでクッションにでもするかのような形で、ぺたりとその人物の上に座り込んだ。無論、手は腰に添えられたままだ。
      
      「…コレは、中々の役得だな」
      「手ェ放してください、セクハラ大佐」
      「私としてはずっとこのままでいたいのだが――」
      「訴えますよ」
      「ははは、怖い怖い」
      
       完全に本気の据わった目をして言うに、冷や汗一つ流しながらも、名残惜しそうにロイは彼女を解放した。すっくと立ち上がり、パタパタと埃を払いながらは立ち上がる。
       よっこらせとばかりに立ち上がる上司に半眼でねめつけながら、冷ややかに尋ねた。
      
      「大体なんでここにマスタング大佐がいるんですか。まだ就業時間ですが」
      「君に逢いたかったからに決まってるだろう? 愛しい少佐」
      「サボりですね。サボりなんですね。ホークアイ中尉に言いつけてもOKって事ですね?」
      「――スマン、冗談だ。この書類に不備があったから、持ってきただけだ」
      
       本気とも冗談ともハッキリしないいつもの口上に、もまたいつものようにザクザクと切り替えす。
       流石のロイも、自分の片腕たる鬼副官には頭が上がらないのか、即座に自分の発言を撤回し、自らの訪問理由たるそれを差し出した。
      
      「あ、本当だ。スイマセン、すぐ直しますから!」
      「珍しいな、少佐がこんなケアレスミスを犯すなんて」
      「ホント、何ででしょうねー。
       ああ、確かこの書類を処理した日は、どこかの誰かさんが市内を錬金術で破壊した日で――」
      「…つまりは、私のせいだと?」
      「まぁ九割ほど。ハイ、終わりましたよ」
      
       でっかく汗をたらしながらのロイの呟きに、さっくりと切って捨てる。
       指摘された部分の修正をサラリと直して、ロイに返した。
      
      「ご苦労様。すまないね、急ぎの書類だったもので」
      「いえいえ。普段の大佐の仕事の溜め込みっぷりに比べればこんなこと」
      「……ところで、先ほど戦闘訓練を見ていたようだが」
      「あ、誤魔化した」
      
       明後日の方向を向いて、唐突に話題転換させるロイに、は本日二度目の半眼でねめつける。
       そんな視線をチクチクと感じながらも、ロイは言葉を続けた。
      
      「戦闘能力のない君にまで、ああいったことをさせるほど、東方は切羽詰ってはいないので安心したまえ」
      「…お心遣い感謝しますわ」
      「デスクワーク以外、君は妙にドンくさいところがあるからなぁ…
       せめて銃だけでも、ホークアイ中尉に教えてもらったらどうかね?」
      「資源の無駄遣いなだけですから止めときます」
      「そこまで言うか」
      「世界で一番信用が置けないのが、私の射撃の腕前ですよ!」
      
       えっへん、と何故か誇らしげな口調の。
       そこは威張って言うところじゃないだろう――と、その場に居合わせた全てのものが、心の中で同時に突っ込みを入れた。
      
      「それに…本当に私のような事務方まで、戦いに借り出されるようになったらおしまいですよ。
       そんなことにならないよう、頑張ってくださいね。大佐殿」
      「ああ。君を守るのは私の使命だからね、少佐」
      「いえ、私ではなくて東方全土――ひいてはこの国全部を」
      「…判ったよ。君を護るついでに、そちらも検討しよう」
      
       国が個人のついでかい!――などとは思ったが、そこはあえて突っ込まずにいた。
       だって学習能力はあるのだ。ここでそんなことを言おうものなら、ロイの”いかに私が君を愛しているか”の長台詞が待ち受けている事を、経験上悟っている。
       だからこそ溜息を一つ――しかもあからさまに――つくことでその台詞への返答としたのだが…
       なんだか妙に寂しげな顔のロイに、思わず心の中で苦笑してしまっただった。
END
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