076:影法師



 はさほど人気の無い廊下を、供もつけずに大股で歩いていた。
 司令部のその一角だけは、赤絨毯がひかれており、他とは一線を隠した雰囲気を醸し出している。
 突き当たりにある目当ての部屋の前まできて、大きく一つ深呼吸をした。

 これから会うのは、新しく中央から赴任してきた大佐だ。
 風の噂ではその有能さ故に首脳部から疎まれてきたとか何とか。
 事務方総括として挨拶して来いと、上司から言われたのではそうせざるを得まい。

 気は進まないが、これもまぁ仕事のうち。
 そう自分に言い聞かせては目の前のドアをノックした。

「失礼します。東方司令部、事務方統括と申します。階級は少佐です。
 新任の挨拶に参りました」
「ああ… これは丁寧にどうも」

 敬礼をして名乗りを上げるに、目の前の男はどうでも言った風態で返す。
 資料によれば、この男は先のイシュバール内戦においてかなりの戦果をあげたという。とてもそうは見えないが。
 見た目は単なる童顔の優男に見えるのだが、国家錬金術師というモノはその内にとんでもない力を持っている。自分の同期のとある人物を知っているにとって、それは身に染みて理解していた。

「マスタング大佐は先の内戦において相等の戦果を上げられ、その際の功績でこちらに栄転されたとうかがっております」
「…栄転ね」
「階級が上がっています」

 皮肉気に言うロイに、真顔では言った。
 無論、それが表面通り「栄転」ではないことなぞ百も承知している。

「長くはおられない東方ではありましょうが、どうぞご活躍のほどをお祈り申し上げます。
 何か不明な点があれば、私の方まで。私の判る範囲でよろしければお答えします」
「――君に聞くことか」
「はい。少なくとも大佐よりは私のほうがここについて長いですから」
「ふっ、むしろ君も私と同じでそう長く東方には居付かないと思うがね、少佐」
「…どうでしょう。少なくとも軍属の私は、上の命令に従うだけです」

 仕返しとばかりに揶揄するような口調の彼に、無表情には返した。
 確かにどちらかといえば、ロイの境遇と似ていなくも無い彼女の背景ではあるが、にしてみれば自分がどう扱われようと、その地でやることは決まっている。

「――戦争において、最も重要なことは圧倒的な攻撃力ではないと私は考えています。
 補給と休息の充実無しに、勝利を得られることは実に稀です。逆にそれが不足すればその戦は敗北が目に見えています。
 有能なるマスタング大佐であれば、その事程度は重々承知していましょうが、どうぞお心に止めていただけますよう」
「それが…君の仕事かね?」
「はい。影法師のように前線を支えるのが、私の仕事です。
 ですからくれぐれも、大佐お一人でこの東方を背負っているなど思わないで下さいませ。東方は色々物騒ですからね」
「ご忠告、ありがたく聞いておくよ」
「お願いします。少なくとも無能な上司の下に付くよりは、大佐はマシだと思ってますから」

 不敵に笑うとは「それでは」と一言残し、その場を立ち去る。
 思わぬ客に、ロイはやれやれと苦笑した。噂に聞いた東方の女傑は、それに違わず相等の度胸の持ち主だ。
 仮にも上司に対してあそこまで慇懃無礼に、且つ言いたいコトを言っていく部下は中々いない。
 
「あ、言い忘れてました」

 ロイの物思いなどお構い無しに、再び開けられたドアからがひょっこりと顔だけを出している。
 フツー、仮にも上司に対してそんな態度はとらんぞ――などと思いながら「何かな?」と一応聞いてみた。

「ようこそ東方へ、マスタング大佐。
 それなりに歓迎しますよ。今度一緒に食堂でお食事でも食べましょうね」

 にっこりと笑い、言うだけ言って改めてはドアを閉めて去っていった。
 思わぬ台詞に呆気に盗られたが、やがてくつくつと笑い始める。

「――成る程。東方にも、中々面白いのがいる」

 誰に言うでもなく、ロイはそう呟いた。

END


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