083:雨垂れ



 シトシトと、東方の空に天からの雫が降り注ぐ。

 ジメっとした空気に、人の心までカビが生えそうだ。
 人一倍雨の日が嫌いな某大佐を筆頭に、退屈なデスクワークに皆の心は鬱方向へまっしぐら。

 そんな中。たった一人、妙にハイテンションでご機嫌な女性が一人。
 。東方司令部勤務の事務官統括。階級は少佐。
 そわそわと仕事をこなし、そわそわと空を見上げ、そわそわと動き回る。
 窓の外、樋から落ちる雨垂れを見てにまぁーっと時折笑う姿は、部下たちの寒気を誘った。

 ――何か企んでるッ!!

 全員同じ事を心で叫んで、どうにか見なかったことにして仕事に無理やり集中した。

 そして終業時間。雨は未だに降り続いている。
 キンコンとなるお仕事終了の合図に、は「お疲れ様〜」と浮かれたステップで職場を後にする。
 その後姿を気色悪そうに眺める人々は、彼女の視界に入っていない。
 廊下ですれ違う同僚に白い視線に晒されようと、今の彼女にとっては些細な問題にすらならなかった。

 すったかたー、と踊る足取りで訪れたのは東方司令部、司令室。
 念のために言っておくと、早々簡単には入れはしない場所だ。
 がしかし。残念ながらと言うか何というか、はその資格を有している。
 今日一日の報告書を手に、元気一杯に彼女はその扉をどーんと開けた。

「本日の報告書を持ってまいりました、無能大佐!」
「――ご苦労様」

 出会い頭いきなりの暴言にも、彼はピクリと小さく眉を上げただけで抑えた。
 がしかし、のマシンガントークはここからが本番だった。

「雨の日ですからかね? 今日の司令部は大変静かで平和で結構なことです。
 どこかの無能大佐が、警邏と称したナンパをしたり、うっかり居合わせた犯人追跡劇の最中の謎の爆発とか起きてないからでしょうか。
 いやぁ、平和なのはいいですね実に!」
「…そぉだな」

 大佐、そろそろ額に四つ角の筋が一つ二つ浮かび上がってきている模様。

「ああ、今日ならば以前より某無能大佐に誘われまくっていたお食事の件も、うっかりOK出してもいいくらいに今私は清々しい気分で一杯です。
 なにしろ理不尽な指パッチンの無差別暴力に怯えずにすみますし、例えそれで脅されよーと無駄ですからね、なにせ無能ですしッ!」
「…食事の誘いに了承をもらえるのは、私としても嬉しい限りなんだがね。
 流石にそう”無能”と連発するのは――」
「お黙りやがって下さい、無能大佐」
「なっ――!!」

 爽やかな笑顔で、は言葉のナイフでロイの肺腑を抉った。
 尚もは畳み掛けるように言い放つ。

「雨の日の任務完遂率は限りなくゼロに近く、根拠の無い自信から起こる無意味なミスは何処までも部下に迷惑をかける。
 水子は一人見かけたらその後次々と発覚して既に三十人を突破! 何かにつけて女性を口説いて、善良な人々の人間関係に亀裂を入れさせる様もはや犯罪の如し!
 今日も今日とてカップルや夫婦の絆を殲滅轢断! 正に人災権化!
 何ゆえ政府はこのような無能大佐に国家資格と給料を払うのか!? 人民は悲痛に叫ぶ――私の税金を返せー! 私の税金を返せー!」
「そ、そこまで言うか! 仮にも上司に対して?!」
「五月蝿い無能! お黙り無能! 無能は無能ですから、無能っていうんです!
 いいですか、無能! 無能の分際でいつもすましてるんじゃありませんわよ! 無能は無能らしく、雨の中虚しく指パッチンでもしてやがっててください!
 なぜならそれが無能であるからよ! OK、無能大佐?」

 これでもかっ!と言うほどこき下ろされまくって、流石の面の皮の分厚いロイもかなりの勢いでヘコみまくっている。
 そんな彼をふふんっと見下し、は勝ち誇ったようにいった。

「そんなわけですんで、この書類どうぞヨロシク。無能マスタング大佐」
「失礼しまーすっと――あれ、少佐」
「あ、ハボック少尉。丁度良かった、私これで仕事終わりなんですけど――一緒に夕飯でもどうです?」
「俺でよければ是非に」
「ハボック少尉がいいんですよ。それじゃ、玄関で待ってますね」

 あくまでロイに対して以外は、は階級が下のものであろうと基本的に丁寧に受け答えを返す。
 にっこりと笑うと、は楚々とした足取りで司令室を立ち去った。
 それをちょっぴり鼻の下伸ばしながら見送ったハボックは、後ろからの強烈などす黒い何かに気付き、ハッと振り返った。

「ハ〜ボ〜ッ〜ク〜〜〜〜〜〜」
「ななななななな、なんスか、大佐」
「いいなぁ、お前は。に食事に誘われたようで。何よりだなぁ」
「は、はぁ…まぁ。大佐だって随分と声をかけてましたから一度くらいは――」
「連敗記録更新中だ、この私がッ!」
「……そぉですか」

 妬ましげな視線で自分を睨み続けるロイに、薄ら寒いものを背筋に感じ身震いする。
 と夕食を共に出来るのはこの上なくOK!な感じだが、この視線は流石にいただけない。

「まぁいい。ふふふ、彼女に伝えておいてくれ」
「――何をです?」
「晴れたときを楽しみにしておきたまえと。
 散々コケにしてくれた事を、ジー――――――ックリとッ!!後悔させてやる――とな」

 くっくっくと、まるでどこかの悪役のように咽喉で笑うロイから離れる様に、ハボックは後ずさりをする。
 持っていた今日提出分の書類を投げ渡すように提出し、転がるように指令室を飛び出した。

 …少佐には今度携帯用の霧吹きでもプレゼントしてやろう。

 重苦しいプレッシャーから開放されたハボックは、恐らく雨の上がった後に大佐の報復にあうであろう彼女のため、胸の内でそっとそう決意した。

END


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