019:ナンバリング
老若男女問わずぞろぞろと歩く人の群れ――あるものは笑い、あるものは怒り、またあるものは嘆き悲しむ街。それが東京だ。様々な人々が多種多様な表情と足取りで歩む様は、まるで一個の大きな生物のようにも感じる。
しかし、華やかな表通りから一歩足を踏み入れればその雰囲気は一変する。ゆったりとした時間が流れているような気配もあれば、生臭い欲望渦巻く場所もあった。
そして彼――千庭岩秋がいる場所はその後者である。少年と青年の狭間、優等生然とした佇まいに隠れる毅然とした態度とレンズの奥に潜む鋭い眼光。二律背反でありながら、それは酷く彼に相応しい。
そんな千庭の眼前にはくちゃくちゃと嫌な音を立てながら極彩色のガムを噛んでいる男がいた。だらりとシャツを中途半端にはみ出させ、地面につかんばかりのパンツの裾は酷く他人に不可解なイメージを抱かせる。それは千庭にとっても同様であるらしく、その眉間にはくっきりと深い谷が刻まれていた。
その睨みあいの発端は数瞬前の僅かな接触だ。雑然とした裏道を颯爽と歩いていた千庭と、ふらついた足取りの男の肩とがぶつかったのである。声高に批難する男に対し、千庭がある一言を言ったことによって視線の火花は見事苛烈さを増したのだ。
パチン、と幾度めかのガムの破裂音と共に男は口を開く。
「――テメェ、なんつった」
「謝るのは君だろう? といったはずだが」
「チョーシこいてんじゃねぇぞ、アァ!?」
血走った眼で男は千庭をドスと共に睨みつけた。しかし千庭はそれに対し眉一つ動かす事無く、逆に酷く醒めた視線を男に送っている。こんなチープな脅し文句や殺気に怯むような繊細な神経は残念ながら持ち合わせてなぞいない。
千庭の無反応っぷりに男は更に苛立ちが募ったらしく、ザッと片手をパンツのポケットに突っ込ませると、そこから一振りの折りたたみナイフを取り出した。
ぱちり、と音を立てて刃を覗かせると、見せ付けるようにそれを千庭へと向ける。鈍い光沢を放つ刃にようやく千庭の表情に僅かな変化が現れた。男はそれを怯えと受け止めたらしく、絶対者の優越感でも抱いたのかニタリと粘ついた笑みを浮かべる。
凶器の出現によって、事態の天秤はどちらかに傾いたのか――その答えはYESである。流れはナイフの出現によって確実に千庭へと矢印を向けた。
千庭岩秋は『忍者』である。
忍者とは人にあらず――街に放たれた刃なり。
時代小説の中の作り話などではなく、忍者は現代にも生き続けている。
忍者はその多くのものが隠密を生業とし、そのために代々世間に知られぬよう生を紡いできた。そしてそれは現在においても変わる事はなく政治の裏として隠密として現役である。故にその存在は政府上層部では公然の秘密となっている。
忍者とて様々な生き方を送っている。彼らの力は強大で、故に『忍術』の行使は平凡を望むものにとっては大きな枷となりうり、その使用を自ずから戒めている。
だが、近年問題になっているのは己の欲望に任せ鍛えられた術を悪用する者の増加である。彼らの使う『忍術』は無論現代社会においても大変な脅威となり、通常の対処では解決困難だ。
そこで先日警視庁に新設されたのが特別区域機動隊――略して『特区隊』であり、それに合わせて施行されたのが『特区法』である。特区隊に認証された忍者は、特区に限り忍術を自由に扱っても良い。悪の道に走った忍者、通称『悪忍』からの正体不明の無差別な恐慌に対して備えられたこれらの組織に千庭は認証されている。
眼前の愚か者は悪忍でもないし、千庭が忍者であることなど露ほども知らないだろう。
だが千庭岩秋という人物は、己に向けられた刃に対してのうのうとしていられるような人間ではない。突きつけられた刃は、同じく刃で持って制するのみだ。
すっと半身を傾けると、僅かに右足を後ろへとずらす。両肩の力を程よく抜き、神経を研ぎ澄ました。
急所を見せぬ構えに移行した千庭に、男は寄りその口元を三日月の方に近づける。及び腰にでもなった、と思ったのだろう。実際はまるでその逆なのであるが。
さて…どうしてくれようか――
いくつかの対処法を考え、とりあえず肩関節の一つでも外しておこうと一歩踏み込んだ次の瞬間。
ププー―――――――――ッ!!
酷くけたたましいクラクション音がその場を一瞬にして支配する。二人揃って何事かとその音の発信方向へと首を向けると、そこには黄色に黒字のナンバープレートをつけた白黒ツートンカラーの車があった。その車の頭上にはちょこんと赤いランプが一つ乗っている。
バタン、と運転席のドアが開いてそこから一人の女性が下りてきた。カツカツと靴音を軍歌の如く高らかに奏でながら徐々に近付いてくる。
「こーら、そこの君たちッ! こんな道路のど真ん中で喧嘩なんてしなーい!」
その台詞で、ようやく千庭は今自分らがどのような場所にいたのかを再認識させられた。
裏路地とはいえ、確かにこんなに中央で立ち止まっていれば車にとっても他の歩行者にとっても迷惑であろう。とはいえ、今この場には車一台と人二人しかいないわけだが。
「…ちっ、逃げ足早いわね。君、大丈夫?」
「ええ、まあ。助かりました、ありがとうございます」
その言葉通り、千庭と対峙していた男はいつの間にやらその姿を消していた。何か後ろ暗い事情でも持っているのだろう。気付いてはいたが、追うほどの事でもないのでそのまま放置しておく。
千庭は小さく息を吐きつつくい、と眼鏡を上に上げた後、ぺこりと頭を下げた。その態度に、彼女は「いいのよ〜」とにこやかな言葉を返す。
だが――
「…公務執行妨害でしょっ引いてやろうかと思ったのに」
ぼそり、といきなり物騒な台詞を吐き出した。さしもの千庭もギョッとしたように、首をバネ仕掛けのように跳ね上げた。紺の制服を身に纏ったその婦警年の頃は二十代半ばといったところだろうか。腰に手を当ててむくれている仕草だけなら可愛らしいといえなくもないのだが、如何せん言動が危ない。
「……公務執行妨害って」
「ああ、いやいや。言葉のアヤだからおおむね気にしないよーに。
違法駐車の取締りが面倒くさくって八つ当たり気味だなんてそんな事は欠片たりともないから。ね?」
呆れたような千庭の問い掛けに、婦警はパタパタと片手を振りながら答えた。
…八つ当たりなのか。おい。
突っ込みの言葉を胸で呟いて、「はぁ」と気のない相槌を返す。彼女は誤魔化すためか、ここぞとばかりにぐっと調子を強くした。
「とーにーかーくっ! 何もないのが一番よ。ああいう輩はテキトーにあしらっときなさいな、少年」
「…そうですね」
「うん、人生の先達の言葉は素直に聞くのが一番よ〜」
言って女性はコクコク頷く。
「んじゃ、私これからまたパトロールにでなきゃなんないから。君も早くこんな物騒なところから出ることね」
「はい」
「結構。じゃ、気をつけて」
女は屈託なく笑うと、足早にミニパトカーへと戻っていく。
あんな警官もいるんだな、と苦笑しながら千庭も最寄り駅に向けてその足を向けた。後方からバタン、とドアが閉まる音がする。ややあってから車の気配が近付いてきた。
追い抜き際に先刻とは質の異なる軽いクラクション音。人好きのする笑みを浮かべて手を振る先刻の婦警に、苦笑いにも似たぎこちなさを伴ないながら千庭も片手を上げる。
「――あ、そうそう少年。もう一つだけ」
婦警はパトカーを彼の脇で一時停止させると、開いていた窓からひょいと軽く上体を突き出した。
わざわざ車を止めてまで何事かと千庭は僅かに首を傾げる。少女のような仕草で片目を小さく一つ瞑るとこう言った。
「街中なんだから気配とか足音くらいは立てておいた方がいいわよ。
でないと、コレもんの方々に睨まれちゃうわよー」
台詞に合わせて、彼女はすっと眉間から鼻筋、そして目元にかけて左から右へと斜めに人差し指を肌に滑らせた。冗談じみた忠告紛いの言葉もそうだが、何よりもその仕草が千庭の第六感を明確に刺激させる。
一応ではあるが、彼女の言っている事は正しい。千庭は世間的には高校生であり、普通は完璧に足音や気配を遮断することなぞ出来ない。出来るとすれば、それこそ特殊な訓練を受けたものであろう。
一般的に『特殊な訓練』といわれ、ぱっと思いつき、かつ非合法ではないものといえば武道であろうが――もう一歩非現実に考えを廻らせれば暴力の世界に生きる場合だ。
先刻彼女が行った動作はそういった連中――脛に傷持つ輩だ――を表すものとも考えられるが…しかし千庭の脳裏には己の上役が真っ先に思い浮かんだ。婦警がなぞった指の流れは、まさに彼――警視監・杖承枯止その人の傷痕だったからである。
一瞬息を飲み、その台詞の真意を訊ねようと口を開いた時には、彼女の乗っていたパトカーは派手なアクセル音を残してさっさと街の雑踏の中に溶け込んでしまっていた。
無論、追いかけようと思えば追いかけられるだろう。だが、それは出来ない。『特区』も認証されていないのに、超人じみた体術、ましてや忍術なぞ使えるわけもなかった。
一抹のやり切れなさを胸に残しつつ、千庭はチッと鋭く息を吐き出す。すると、まるでそのときを見計らったかのように彼の制服のポケット内部が震えた。携帯電話の着信を告げる震えである。
よどみない動作で携帯電話を取り出し、さっと液晶パネルに目を落とす。着信者は――間がいいのか、悪いのか、特別区域・機動隊が隊長の杖承氏だ。
「――はい、千庭です」
「や、お疲れさん。今大丈夫?」
「はい、構いません」
「時間が大丈夫ならでいいんだけど…今からこっちに来れる?」
「ええ、大丈夫です。丁度模試があって東京にいますから。新宿駅の近くなので…そうですね、二十分ほどで。何か事件でもあったんですか?」
「いや、事件ではないけど――会わせたい人がいてね」
そういう彼の声はどこか悪戯を企んでいる子供のようなトーンだった。
杖承は常より少々掴み所のない――悪く言ってしまえば昼行灯のような――人ではあるが、こういう勿体つけた言い方をする場合は、何かしらの事情、あるいはカマをかけている場合が多い。
ふむ、と瞬きほどの時間だけ諮詢すると、千庭はもっとも可能性のある回答を口に出した。
「新しい人でも配属された…という事でしょうか」
「うーん、まあ似てるといえば似てるかな。署に来たら判るよー」
「……判りました。ではその時にお願いします」
当たらずとも遠からずか、と思いつつも、これ以上会話をしていても実りがなさそうだったので話題を切り上げる。内臓のスピーカーから「じゃあよろしくー」というやや呑気な声が聞こえてきたことを確認して、千庭から受信を断ち切った。
宣言通りキッカリ二十分後――警視庁渋谷東警察署のある一室。千庭は、自分でも人生で一番なのではないかというほどに絶句していた。
特区隊に割り振られた一室へ入るためのドアを開けた次の瞬間、彼の視界に入って来た人物は、予想していた隊長である杖承ではなく――先刻の婦警だったからである。
「やっ、少年。二十分ぶり」
しゅたっと勢いよく挙げられた片手にも言葉にも応えられず、千庭は無表情で硬直している。
そんな彼の肩にぽん、と大きな手が乗った。ようやく我を取り戻した千庭が振り返ると、そこにいたのは長身の壮年男性、杖承がいつものにこやかな笑みを湛えている。
「おや、二人は知り合いかね?」
「い、いえ。そういうわけでは…」
「袖で振り合うもってヤツです、警視監」
がたり、と立ち上がると彼女はしゃんとした姿勢で杖承に向けて敬礼を行った。それに応えるように杖承も同じ仕草を取る。
「さて、どう紹介したものかね。今はどう名乗っているんだっけ?」
「…ということになっております。出来れば、お呼びいただける場合はこの名で」
「はいはい。判ってますよー、君」
「すいません、面倒をかけて」
言って苦く笑う。そんな彼女に「気にしてないよ」と一声かけて、杖承は千庭へと視線を送った。
「彼女も一応忍者…なんだけど、少々事情があってね。正式にうちの隊に配属や認証されているわけじゃない。現在は交通課に配属されている不良警官だ」
「――ああ、成る程」
「何でそこで物凄く納得するかなー!」
杖承の説明がコトリと音を立てて心の一辺に収まる。本人からのブーイングも気にならぬほどに「不良警官」というその表現は的を射ていた。
「しかし…「一応」というのはどういう事で?」
「……千の名を持つ者、無貌の者、名状し難き者、デモラライズマスター… さて、君はどれがいいかな」
「あの、真ん中二つだと私とんでもない存在じゃないですか! フツーに『意刈』でイイじゃないですか!」
杖承への抗議の台詞に内包された単語に千庭の背筋に電流が走る。
だがそんな彼を余所に、警察官二人はなおも次元の低い言い争いを続けていた。
「えー、折角面白おかしく考えたのに」
「しなくてイイです、いいですからッ!」
「――待って下さいッ! 『意刈』って、本当なんですか?!」
「んー、まぁ、一応?」
僅かに肩を竦めるような仕草で彼女――は応える。その言葉に千庭は僅かに戦慄した。
――意刈。『意』を『刈る』と書く忍びの者。
忍者の間でも、その名は半ば伝説のように伝えられていた。
彼の者は取り立てて大規模な破壊が出来るわけでもなく、優れた隠密術を操るわけでもなく。だがしかし、あることに特化した系譜であった。
あることとはその本名が示すように――あらゆる意欲を刈り取る術を持っているということ。『何か』を『しよう』とする意志そのものを挫くのだ。
例えばこうだ。一人の男が殺意を持って対峙している。その男に一言『やめろ』というだけで、その『殺意』は霧散してしまう。その原理等は秘匿中の秘匿。『言霊使い』だとも『瞳術使い』だともいわれているが、あくまで噂でしかない。
唯一つ判っている事は――その術の絶対的な発動条件は、対象の『本名』を知っている事である。それさえ判れば、少々無理のあることも出来るのだ。
そう…『心臓を動かすのを止めろ』などという無茶な要求ですら。
それ故か彼らが表舞台に出てくる事は殆どなく、故に一部では幻の血脈などと揶揄されてもいた。その存在は特別に隠匿され、ただ口の端に登るだけの伝説――の、筈なのだが。
「私はですねえ、妙ちきりんな呪文でポーンと出てきたりしませんし、ましてや見ただけで気が触れるよーな存在でもないですからっ!」
「随分と博識だなあ君は」
「そういうことで構いませんから、変なあだ名つけないで下さいよ!」
杖承に対して伝説の生物がバシバシと机を派手に叩きながら抗議の声を上げている。
批難された側である警視巻は、懐から愛飲している煙草を取り出すと、それにかちりと火をつけた。軽く一息吸い、ゆっくりと煙を吐き出しながら少しだけ拗ねたような口調で指摘する。
「だって、君がそもそもの発端じゃないか」
「私の場合は止むを得ずが七割ですもの。本名を乗せた私の『言葉』の強制力を抑えるにはそれが一番手っ取り早いんですから」
「…じゃあ残り三割は?」
「趣味です」
きっぱり。そんな書き文字が彼女の背後に透けて見えるようだった。問い掛けた杖承もやれやれとばかりに天井に棚引いてゆく紫煙を見つめている。千庭はいよいよ眩暈のする思いだった。伝説が、僅かな憧憬すら抱いていた存在がガラガラと音を立てて瓦解してゆく。
暫し流れる無言の一時。それを破ったのは老獪な男の一言だった。
「…あー、まあいっか。君が協力してくれるのは助かるし」
「そーですそーです。感謝して下さいね。お給料上げてくださいね」
「それはもっと上か別の部署の人に頼みなさい」
「減俸処分なら何とかなるんだけど昇級はなー…」
伝説は伝説のままの方が良い。
そうしみじみと思いながら、なおもブツブツとぼやくの方はあえて見ないようにして、すっと千庭は半身だけを後ろに切替す。
「…あの、杖承さん」
「うん、なにかな?」
「結局その人はどういう扱いなんですか?」
「あ、言うのうっかり忘れるところだった」
「言わなくてもいいじゃないですかー。なあなあでいきましょうよー」
「ダメダメ。こういうのはきちんと言っておかないとね」
「…ちぇっ」
伝説の存在から漏れ出る生臭い会話。世の無常さについてうっかり悟りでも啓けそうだ。
僅かばかり遠い目をしている千庭に気付いているのかいないのか、杖承はコホンと一つ空咳をして婦警を指し示す。
「えー… 彼女は君。事情あって仮初の名前を使っている。
さっきも言った通り『意刈』の一族で…言うなれば――マイナスナンバーだな」
「警視監、前からナンバリングなんていらないっていってるじゃないですか。今の私は街の交通安全に努める働くおねーさん!」
「はーいはい。んでもって、こっちはうちの特区隊所属の千庭岩秋君」
「――よろしくお願いします」
「ん、よろしく少年……じゃない、イワッチ!」
再びの沈黙が場を支配する。海底のように静まりきった空間の中で、だけがニコニコと笑っていた。
グラグラと眩暈と頭痛を同時に味わいながらも、何とか正気を保ちつつ千庭が答える。
「…すみませんが、普通に呼んでいただけませんか?」
「え、でも… イワッチはいや?」
「イヤです」
きっぱり。先刻のに負けないくらいに千庭の言葉ははっきりと拒絶を示していた。
彼の言葉にうー、とかあーとか、酷く決まりの悪そうに呻き声をあげながらは視線をあちらこちらに彷徨わせる。そして暫しの後、コクリと小さく咽喉を鳴らした。
「じゃあ……岩秋君?」
おずおずと下の名前をが唇に乗せる。瞬間、頭の中にかすかな靄がかかったような錯覚に陥った。脳を直接掴まれるような不快さと、それと同等の甘やかな『何か』。焦点が合わなくなりかけた視界の真正面で、不安そうに己を見つめるの顔が眼に入った。
ぐ、とこめかみに力を込める。ドロリとした嫌な脂汗の感覚を覚えながらも、千庭は口を開いた。
「――はい。それでお願いします」
「だ、大丈夫?」
「問題ありません」
淡々とした応えと彼の心情とは多少食い違いが存在している。
問題は――ある。彼女の忍術は予想以上に強制力を伴うことを身をもって実感していた。
だが、本名で呼ばれてないからか、決して抗えぬ程のものではない。正常心を持ち、精神をしっかりと保つことに専念すれば防げぬ事はないだろう。
つまりそれは、防ぐことのみに意識を集中させればである。同時に何かを行う事は難しそうだ。万一、彼女と退治することとなれば、倒す事は難しいといわざるを得ない。
――名を呼ばれることがこれほどとは。呼びたがらないはずである。伝説は伊達ではないというところか。千庭はぐっ、と眼鏡を表情を隠すようにして押し上げた。
「…多少初めのうちは不自由があるかもしれませんが、慣れれば大丈夫でしょう」
「そ、そっか… よかった」
言っては、心の底から安堵したのだといわんばかりに息を大きく吐き――そして微笑んだ。
その表情を真っ向から受け止める羽目になった千庭は、どうしたら良いものかと思わず自分の後ろにいる己の上司に助けを求めるように振り返る。しかしそんな困りきっている青少年に対し、杖承はなんだかとてもよい表情で、ただぐっと力強く親指を立てるだけだった。
「いやぁ、流石は忍者だねー。僕なんて名前で呼ばれようものならどーなることか」
「え、いや、その、そうではなくてですね」
「彼女も色々大変だろうから、千庭君もちょこっと気にかけてやってね」
「は、はあ…」
バシバシと手加減抜きで杖承は千庭の両肩を叩く。手荒く優しい叱咤を受けながら、千庭は未だ網膜の奥に焼きついたままのの微笑みに僅かな眩暈を覚えていた。
――マイナスのナンバリングを受けた『意刈』との出会いは概ねこのような経緯であった。
END
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