020:合わせ鏡


 昼下がりの公園で、目の前にいる彼が大きく溜息をついた。

「…こりゃまた思いっきり取り憑かれてるな」
「やっぱり?」

 乾いた笑いを浮かべる。うん、と頷いて一樹は側らのオレンジジュースに口をつける。

「ここ数日夢見が悪かったり、肩がこったりしてたのも?」
「その程度で済んでるんだったら大したもんだよ」
「…んじゃやっぱり私の見間違えとかじゃなくって」
「ああ。はっきりキッパリ、悪魔が君に取り憑いてる」
「――勘弁してよー!!」

 とひょんなことから茶飲み友達となった退魔師(見習い)の一樹。攻撃力といった点ではまだまだひよっこだが、視る目・護る力はそこそこの実力を持っている。
 最近どうにも調子が悪い、何か肩の上にいる、とぼやく電話口のをきちんと霊視しようということになったのだが…
 待ち合わせ場所に来た彼女を見るなり、はっきりと感じ取れるほどの力を持った魔物がの肩に座っていた。

「相当魔物に好かれやすいんだろうな、ちゃん。知り合って何回目だっけ?」
「えっと…かれこれ五回は」
「俺と会う前はどーしてたんだよ…」
「消えるのまで何とか誤魔化すって事が殆どかな? あたしは何も出来ないよって、念じつつ」
「うーん… ここまでくると、一度ちゃんと祓ってもらう方がいいかもな」
「え、今回の魔物、一樹君の手におえないくらいの力もってるの?」

 冷や汗をたらしつつ、がそう訊ねてくる。その問い掛けに、一樹は首を横に振って答えた。

「いや、追い払うくらいなら十分俺でも何とかなるレベルだけど…
 何か根本的に、君が狙われる理由があるんじゃないかなーって思って」
「でもでも、あたしお金もってないよ!」
「大丈夫だって! 足りない時はウチでバイトをすれば」
「経営者じゃない一樹君が言ったってー!」
「よし、善は急げ。早速ウチに案内するよ」
「人の話を聞いてよッ!」

 当事者のの抵抗空しく、一樹はそのまま彼女の手を取って半ば引き摺るような形で事務所へと進んでいった。



「憑かれてるね」
「憑かれてるな」
「だろー?」
「…いや、それはもう十分判っているのですが」

 事務所につれてこられるなり、大の大人三人がかりで見つめられて、すっかり蛇に睨まれた蛙の状態の
 真正面には黒髪・ツリ目・黒スーツの男、右斜めに前はパツ金・タレ目・逆毛の男。そして左斜め前に一樹。
 特に黒ずくめの男について事前に一樹に色々吹き込まれているせいで、は怖くてたまらなかった。そりゃ脂汗の一つもかこうってモンである。
 曰く、人妻好きの節操なし。曰く、無限食欲魔人。曰く、阪神凶徒。
 は守備範囲外だから大丈夫だと、能天気に一樹は言っていたが…それでもやはり怖い。だって目付き悪いし。

「しかし…これまた珍しいのに取り憑かれたねー」
「どういう事、ですか?」

 金髪の男――確か若菜とかいったか。そう思いながら、不安げには聞き返した。

「君に取り憑いてるのは、バグスという霊さ。別名はバグベアー。直訳して悪魔の熊って言う意味」
「元々そんなに強いヤツじゃないんだが…コイツは子供によく取り付く悪霊でな。そう言う点で珍しい」
「――つまり。あたしが子供っぽいと?」
「まあそうなる」

 黒ずくめの男、トオルはそう言ってつまらなさそうに煙草を取り出した。人妻以外だとやる気ゲージが上がらないらしい。

「多分君は…霊に対するセンサーが敏感なんだろうね。
 霊視した限りじゃそう霊力も強くないし… 視たり感じたりする力だけが突出しているようだ。その辺に原因があると思うよ」
「それって、治せます?」
「うーん… 一朝一夕じゃ、どうしてもね。まずは自覚してその力を使えるようにしないと」
「うわ、大変そう」
「でもそうしないと、ちゃんこれからもあれこれ取り憑かれちまうぜ?」
「うっ、それはヤダ!」

 今は程度の低い者達に纏わり疲れているだけですんでいるが、いつ自分の手におえないものがくるかは判らない。それこそ運なのだ。

「ハイハイ、それじゃこの鏡もってー」

 やる気ゼロの黒男とは違い、若菜の方はテキパキと準備をしていた。
 学校のトイレとかによくかけてある鏡と同じくらいのサイズの板状のそれをに差し出してくる。意図はよく判らないが、本職の言うことだから何か意味があるのだろう。無言で頷いてそれを受け取る。

「面を合わせた鏡の中には無限に平行世界が広がるんだ。その歪みを利用して、バグスを取り除くんだよ」
「はー。んでその原理は?」
「力ずくでぐいっと引っ張り出す」
「あ、やっぱり」

 一樹の解説に茶々を入れれば、予想した答えが返ってきた。初対面の人たちにこうした感想を抱くのは不謹慎なのだろうが…多分この人たち繊細な作業とか絶対向いてない。
 そこはかとない不安に駆られながらも、には彼らを信じる他ない。ごくん、と唾を飲み込んで鏡を持つ手に力を入れた。彼女の後ろでは同じように一樹が鏡を持っている。合わせられた鏡の奥には無限とも思える世界が広がっていた。マジマジと見ていると、まるで引き込まれそうな――

 その鏡に、若菜が無造作に手を突っ込む。彼の手はしっかりと鏡面に入り込んでおり、想像世界でしかありえない光景がの眼前で繰り広げられる。
 ぷつぷつと、彼は何かの言葉を紡いでいた。しかしにはよく判らない単語の羅列で――何となく古語っぽいなァと思うくらいだ――その意味までもは理解できない。その得体の知れなさに本能的に毛が逆立つ。
 呪文が事務所内を支配する中、若菜の手がゆっくりと鏡から引き抜かれようとしている。肘ほどまでずっぽりと沈んでいたのが徐々にその姿を表し、手首まであと少し――としたところで、バチンッ! と静電気の溜まり場に触れた時に感じた刺激に似たものがの神経を焼いた。

「――ッ!!」
ちゃん?!」

 声にならない声を上げ、背中が弓なりに撓る。慌てたように一樹が声を上げた。

「…………ったぁ」

 視界が歪んでいた。恐らくは生理的に滲み出た涙が原因だろう。痛みは一瞬だったが、そのショックは結構なものがあった。反動で鏡を落とさなかった自分自身を褒めてあげたいくらいだ。
 しかしその鏡は、細かい罅が全面に入っていた。驚きに目を見張る。細分化された鏡面世界は、より眩暈を起こさせる様な細かさを作っていた。手の中の乱反射する鏡越しに見える後ろの鏡も同様に、粉々とまでは行かないが鏡本来の役目を果たせそうにないほどには亀裂が入っている。

「――えーっと。さん」
「…なんでしょう」

 若菜が声をかけてくる。その色はなんだか物凄い戸惑いのそれが含まれていた。第六感から警報が発せられる。ロクな事態になっていない、と。
 振り返って話を聞くべきなのだろうが…振り返るなと第六感がビシバシ警告を発している。

「今更言うのもなんですが。俺達は浄霊が大の苦手なんだ」
「本気で今更ですね」
「で、たいした奴でもないし何とかなるかなーって思ってました」
「はい」
「一応成功はしたんだけど……」

 そこまで言って口ごもる。声から察するになんだか明後日の方向を向いているようだった。

「――随分と愉快な事態になったようだな」

 ほれ、と今まで静観を決め込んでいたトオルが横槍を入れてくる。窓を見ろ、と促され、言われた通りに窓辺へと近付けば――
 磨かれたガラスに映っていたのは、虎耳付きの自分の姿だった。

「…………何よこれ――ッ!!」
「いやホントゴメン! 終了間際に呪いかけられた!」
「若菜の馬鹿ー!! 俺らまで巻き込むんじゃね―よ!」

 一旦絶句した後、絶叫を上げながら退魔師にクレームつけようと振り返れば――彼らも同じく虎耳付きの愉快な姿になっていた。若菜に至っては髭っぽいものまで生えている。
 この中で難を逃れていたのは、離れたところで静観していたトオルだけのようだった。彼は無駄に爽やかな笑顔をつけ、どこからともなく阪神応援セットを取り出す。

「よかったな三人とも。半被着てメガホンもって甲子園にいけば人気者になれるぞ」
「そんなん若菜だけしか嬉しくないよ!」
「俺だってこれは流石に! だって髭だし!」
「そぉ言う問題じゃないでしょ、このヘッポコー!!」

 うわぁん、と泣きの入った三者三様の有様は、ある意味阿鼻叫喚といえなくもなかった。
 悪戯大好きバグベアーの最後のお茶目は概ねその効力を最大限に発揮しつつ、解呪するまでに無駄に手間取った事を付け加えておく。
 当然ながら、仕事料は反故――おまけに慰謝料もブンとる事が出来た。懐の暖まった後で、ちょっと得したかもしれないと思い直すだった。どっとはらい。

END


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