033:白鷺


 白鷺。もっともこれは正式な鳥の名ではない。案外知られていないが白鷺というのは白いサギ類の総称で、ふつうはコサギ・チュウサギ・ダイサギなどのことをいう。
 ついでに参考までに言っておくと、元々はコウノトリから派生したものらしい。彼らの中には夏鳥として渡ってくるものもいるが、暖冬化が進んだためか近頃では一年中姿を見ることも多くなった。

 ――閑話休題。
 今の状況の描写を再開しよう。その通称白鷺が、ちょこんと文世の眼前に佇んでいるのが今の状況だ。
 ガンガンと少々乱暴に引き戸を叩かれ、聞き慣れた声で『大家さーん、いらっしゃいますかー?』という呼びかけがあったから出向いてみれば――玄関前にいるのはなんとびっくり一羽の白い鳥。ガラス細工のような眼差しとばっちり視線がかみ合い、思わず硬直してしまった。

「大家さん、今月分のお家賃なんですが…」

 鳥が喋る。否、正確には鳥の嘴がパクッと開いて、その奥から声が聴こえる。
 その声は文世の管理している長屋の店子が一人、陰陽師見習いのものと同等で、先刻けたたましく自分を呼び出していたそれと同じだった。
 文世の戸惑いを察していないのか、白鷺の口から続けて言葉がおずおずと飛び出る。

「あ、あとちょっとお待ちいただけると嬉しいかなー…なんて」

 鳥が自身の瞳をばさっと己が翼で覆い隠す。これは恐らく、人間に置き換えれば照れている動作かそれに類したものなのだろう。
 はっと文世は我を取り戻すと、はあと大きく重い息を吐いた。人語を紡ぐのもそうだが、普通の白鷺がここまで人間臭い器用な真似が出来る筈はない。
 は見習いではあるが陰陽師である。ならば十中八九、これは式神だ。そう文世はあたりを付けた。

「…さん?」
「はい?」

 こきり、と白鷺が首を小さく横に傾け、疑問に肯定する。動きはまるで出来の悪い動物コメディ映画のキャラクターじみていた。
 その仕草に、文世の脳の片隅が僅かに痛む。まあ確かに多少は愛らしいものかもしれないが…本人がやるものに比べれば数段見劣りがした。ぺち、と白鷺の頭に乗せると、訥々と諭すように文世は言う。

「家賃滞納は叱りませんから、せめて言い訳くらい堂々となさい」
「……こ、個人的には会わせる顔がないのでこういう手段に出たのですが。だってほら、先月も、先々月もその……」
「《式》で代理を立てるより、さんご自身で伝えた方が誠意は伝わりますよ?」

 文世の言葉に式神がうっと言葉を飲んだのが判った。どうやら推測は正しかったらしい。無駄に表現力溢れた使い魔だが――なんとも彼女らしいと僅かばかり笑む。もっとも、それは砂漠に落ちた金砂程度の変化なので式たる白鷺には読み取れなかったようだ。
 白い鳥は萎縮したように首をうなだらせ、モジモジと羽を擦り合わせる。

「わ、判りました… 後ほどお伺いしますです、はい」
「ええ。淹れたお茶が冷める前にいらして下さいね」

 その台詞がまるで合図だったかのように、白鷺は唐突にその姿を消した。代わりにヒラヒラと薄っぺらい一枚の紙が空を切り、はらりと地に落ちる。それをそっと摘み上げると文世は口元を緩めた。
 恐らくは集中が途切れたのでただの紙に戻ったのだろう。途切れた理由は考えるまでもない。今ごろはあたふたと身支度でもしているに違いあるまい。

 さて――さんが来る前にお茶と…ああ、そう言えば頂きものの最中があった。あれも用意しなくては。

 くるり、と身を翻すと、文世はいつもと同じ足取りで台所へと歩を向ける。玄関は開けたままだが、すぐに客人が来るだろうから問題ない。

 賑やかな彼女と穏やかな時間を過ごすのも悪くないか――

 ただの紙に戻ってしまった元白鷺を手の中で弄びながら、そんな思いを胸の奥で呟いた。

END


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