036:きょうだい


 彼女の名前は――そう、仮にと呼ぶことにしよう。彼女は世界地図にも載ることのない、小さな村で生まれ育った。
 厳格ではあるが優しい父、尊敬する強い兄・ロイ、そして守るべき人々に囲まれ真っ直ぐに育っていった。

 村はあるもの――神器と呼ばれるを護っていた。
 世界を揺らがしかねない大きな力を持ったそれを、悪しき心を持ったものに利用されぬようにだ。そして彼女の一家はその中心的存在だった。
 当然彼女も日々護り手としての鍛錬や修行を欠かさなかった。一足早く外の世界に修行へ出向いた兄の話に心を躍らせながら、いつか自分も修行の旅に出、そして兄と共に神器を護ってゆくのだと信じていた。

 しかし、ある日。そんな日々は唐突に終わりを告げる。
 圧倒的な力を持つ魔人の女に村は急襲され、人々は逃げ惑い、そして――
 炎に包まれた神殿と動く気配のない倒れた父、自分に「村人を守れ」と言いつけて女に立ち向かった兄。
 言われるがまま村人を誘導し、急いで神殿前に兄の手助けをするべく駆けつけたが、そこには人の姿をしたものはいなかった。ただ耳障りな音を立て、大地に伏している大きな怪物があっただけだ。

 呆然と立ち尽くしているに、背後から声がかけられた。すわ敵か、と半ば反射的に構えた彼女の目の前に現れたのは、兄の親友だというセラと名乗る剣士だった。
 幾度か過去に修行時代の話を兄が話してくれたので、の記憶にその特徴や――黒い髪と鋭い目、そしてどことなく人を寄せ付けぬ雰囲気など――名前が該当した。修行の旅をしていた頃知り合った者で、性格は正反対だったが不思議と気が合った、と。
 その彼の言葉はいちいちの胸を鋭く抉った。何故兄があんなことを言ったかなど判ってはいた。それでもそれを客観的に指摘されれば愕然とした気分にもなった。
 ただ、兄が生存しているのは確実であるという言葉だけが、の心を軽くした。
 彼の持つ剣――月光は確かにロイが持っていた物とどこか似た雰囲気を感じさせた。対であるこの二振りの宝剣は、互いに引き合うのだという。ここにきたのも月光に導かれての事らしい。

 セラは言った。ロイを探す、その気があるならついてこい――と。
 一も二もなかった。は即座に頷いた。
 一人よりも二人、人手が多ければ多いほど良い。
 何よりこの目の前のセラという男は、強い。直感的にそう思った。
 そして兄と組んでいたという話は、何よりにとって信用に値するものだった。それに――悔しいが、一人では兄を探すにしろ、何をどうすれば良いのかもわからなかったろう。

 自分は弱い。情けなくて涙も出ないくらいに、弱い。
 強ければ、兄と共に怪物に立ち向かうことも出来ただろう。背中を任せてもらえなかったことが、何よりも哀しい。
 ぼんやりとそんな事を考えているの視線の先には、黒髪の男――セラの背中が見える。筋骨隆々、というには程遠いが、それでもしなやかさと力強さを兼ね備えた…頼り甲斐のありそうな場所だ。兄と共に、あの背中は多くの戦場を駆けたのだろう。

 ならば、あの背と己の背とを合わせられるほどになれば、きっと――



 そうしては世界への一歩を踏み出した。
 後に多くの吟遊詩人に語られる『無限の魂を持つ者』の様々な物語は、ここから始まったのだ―― 

END


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