040:小指の爪
「ヤマト様、そろそろおやすみなさいませ」
「――か」
各地より寄せられたデータ類を前に、集約と分析に没頭していたヤマトへそっと声がかけられる。耳馴染んだそれに顔を上げると、いつの間に自室に入り込んだものやら自身の世話係である女がそこにはいた。
幼少時より身の回りの世話を担当していた彼女は、今日も変わらぬ微笑みを浮かべて穏やかに佇んでいる。自室はオートロック式で鍵のあいた気配や、誰かが室内に入り込めばその気配でたいていは気づくのであるが、彼女ときたらふと気がつけば隣に佇んでいるのが常であった。今回のように声をかけられるまでその存在に気が付かないこともままある。
「少しは気配を立てろ」
「隠形の一つや二つ、メイドの嗜みというものです」
「私の前でする理由がないだろう」
「陰ながら主様をお護りするのも、わたくしの役割のうちかと」
言っても返ってくる答えが解りきってる為、時間の無駄であるとはヤマトも理解しているが、集中を妨げられた腹いせについつい口が滑る。
「お前は――誰のものだ?」
「わたくしは主様のものでございます」
「その主に口出しが出来るほどの立場か?」
「滅相もございませぬ。
ですが――」
ゆるく弧を描く唇はそのままに、あくまでも穏やかには言葉を返す。
「ヤマト様がお倒れになられては、来るべき災厄への備えがままならぬことも、懸命なる我が主様でございましたらお分かりになられるかと」
「……わかった。今日はこれを片付ければ休もう」
「ようございました」
「もっとも、解析に出しているデータが出揃わなくては目処もつかないが――」
「それでしたら、先程いただいております」
さらりとした言葉とともに、は自身の懐に手を伸ばす。ブラウスの隙間に指を滑らせたかと思うと、次の瞬間にはその指先には小指の爪先ほどの小さなチップが姿を表していた。
差し出されたそれを受け取り、手元にあった端末で読み込む。その中には各地のタワーにおける最新の情報が揃っており、今まさに欲していたそれであった。
「ふむ――これならば問題は無さそうだ。流石だな」
「勿体無いお言葉にございます」
ヤマトからの言葉に、は微笑みを浮かべつつスカートの裾を持ち上げてそっと頭を垂れる。
「その御身はかけがえのないもの。どうぞご自愛くださいますよう」
「まったく……お前は心配症だ」
ほろ苦い何かを噛み砕くように、ヤマトは口の端を歪める。
しかし彼女の言うとおり、ここで自身が倒れては来たるべき災厄への備えが滞ることもまた事実。おとなしく諫言を受けることもまた当主としての心得か、と自嘲しつつ、端末のシャットダウンを選択した。
END
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