さて、彼女の事を少しばかり紹介させていただこう。
 。職業シスター。魔力のコントロールに長け、主にゴーストの浄化などを担当し、日々地方をまわるしがない下っ端である。
 籍をおくのは西方教会本部。王都勤め、とまではいかずとも所属先としてはまあボチボチといったところだ。
 特定のパートナーは持っていないが、それぞれのコンビの助っ人として動いたり、はたまた単独任務を請け負ったりしている。
 この話は、そんな彼女のある一日の断片を描いたものである――


 045:年中無休


 ブラッドレー=ヒューズ。
 落し物はないか、と本部へ訊ねた際、運良く届けられていたそれを拾ってくれた人物の名だ。
 その名を聞いた時から、どこかで聞き覚えのある名前だと記憶の片隅が言っていた。過去の依頼人にそんな名前のものがいたのか、と思い、ここ暫らくの依頼をチェックしてみたが、それらしき人物はいない。
 では一体何処で、と脳内を検索していると――端と思い浮かんだ。あの暴走へイズに追われていた自分に救いの手を差し伸べ、ろくに礼も言えずにいた時の人物がそう名乗っていた。
 確かに場面をよくよく思い出してみれば――あの記憶はちょっとトラウマになりかけていたが――彼の服装は教会から支給されている普通の黒の神父服であった。邂逅場所が本部であったことから、恐らくは自分と同じく下っ端構成員といったところか。

 助けてくれた上に、律儀に落し物を本部まで届けてくれたとは――実にいい人だ。なんと言うか、久々に心が温まる出来事である。
 日々を任務で彩られている中、ささくれた心にジワリと染み入る一杯の酒のような心地良さ。例えが親父くさいとは言わないで頂きたい。

 刺激は人生のスパイスである、とは誰の言葉だったか。
 例えば今こうやって、友人と心地良い午後の一時を楽しむように、降ってわいたハプニングも後から振り返ればなかなか乙な物だ。そう――マイナス面だけでなく、プラス面も等しく自身に降り注いだ場合に限るが。
 そんな事を思いながら、はふと思い立ったように眼前の人物に疑問を投げる。

「ねえ、ウォーベック」
「何かしら、
「ブラッドレー=ヒューズって名前に、心当たりある?」

 べぶっ!

 タイミングがいいのか悪いのか、紅茶に口をつけている最中に問われたウォーベックは、その中身を盛大に噴出した。
 勢いで液体が対流し、顔に大部分の中身が襲い掛かる。ぽたぽたと雫を滴らせながら、彼女はに聞き返した。

「何でそんなことを?」
「うーん、実は赫々云々、これこれウマウマなんだけど」
「サッパリ要領を得ないわ」

 から差し出されたハンカチーフで優雅に己の顔を丹念に拭き上げつつ、冷静にウォーベックは切り替えした。
 有能なるシスターにして良き友でもあるウォーベックはなかなかに顔が広い。ひょっとして、と思って訊いてみたがこの態度からしてどうやらビンゴのようである。
 うーん、と小さく唸ってはとりあえず事の次第を彼女に打ち明けた。先日正体不明暴走ヘイズに追いかけられ、助けられ、慌てて礼も言わず立ち去った自分の落し物を親切に届けてくれた――大体こんな感じだろう。

「と、まあ。そんなことがあったの」
「ヘイズの暴走って事は…パイロン様達かしら? 怪我がなくって何よりだわ」
「ありがと。で…本題なんだけど、知ってるんでしょ?」
「――むしろ知らない方が珍しいと思うんだけど」

 呆れたようにウォーベックは呟いた。その言葉に疑問符を浮かべ、視線で何故? と問い返す。

「…西方教会は、比較的獣人や吸血鬼に対しての取り扱いが大らか…と言うか、前衛的であるのは知ってるわよね?」
「ええ。過去には吸血鬼同士の抗争にも加担したとか」
「じゃあ、一部の獣人を私達と同じく聖職者として受け入れている事は?」
「そういう人もいるらしい、くらいかな? だって実際そういう人を見た事無いし」
「……じゃあ、噂くらいは知ってる?」
「何の?」
「――ブラッドレー=ヒューズは獣人である、ということよ」
「ああ、そうか。それでなんとなく聞き覚えが――って、ええ?!」

 がたたッ、とは勢いよく腰掛けていた椅子を蹴っ飛ばし、力一杯テーブルに両の手をたたきつけた。
 その反応が予測できたのであろうか。特に咎めもせず諌めもせずウォーベックは「ええ」とだけ短く答える。

「まあ、実際のところは噂じゃなくて真実なのだけどね」
「いやいやいやっ! そこはサラッというところじゃないでしょ?!」
「この目で確認してしまいましたもの。認めざるをえないでしょう? それに、教会に仇するものでもないし。
 むしろ私は貴女程の者が実際に会ってみて、それなのに気づかなかったことに感心するわ」
「いや、ほら、そこは…あの時は動揺しまくってたし、ヘイズの気配もあったしー」

 もごもごと言葉を濁らせ、ついでに視線も泳がせは弁解する。
 任務中の彼女の感覚は恐ろしいまでに研ぎ澄まされているというのに、こういった場合で働いていないのは実にらしいとウォーベックは思う。
 結局のところ、殺気や敵意には敏感だが、そうでない場合――例えば好意という類の感情のセンサーは別の方向に奪われているのだろう。

「そっかー、獣人さんかー」
「…怖い?」
「ううん、別に。だって、別にそういう感じじゃない人だったし」

 少なくとも、私には助けてくれたいい人だわ――と、ケロリとした拍子で言うに、ふっとウォーベックは目を細めた。
 彼女の美点は退魔の御使いとしての高い能力ではなく、周囲の言葉に流されることなく己を貫く部分であろう。

「せめてお礼の一言を言いたいんだけどなあ」
「そう日は経ってないのだから、まだこの本部に滞在してるんじゃないかしら?」
「…さっきから気にはなってたんだけど。ひょっとして、ウォーベックはヒューズさんと面識があったりするの?」
「一応ね。ほら、休暇中に巻き込まれたっていってたあの事件で偶然一緒になって」
「あれ? それって、確かラースとじゃなかったっけ?」
「あの金髪猿の相方なのよ」
「……成る程。彼がやたら苦労人に見えたのはラースが関わっていたからか。きっと年中無休で面倒事に関わらざるを得ないのでしょうね…」

 一人妙に納得しているに、ふとウォーベックは思い出す。

「貴女達、確か同じ魔術の先生に学んだのでしたっけ?」
「そうそう。厳しかったけど、イイ先生よ」
「へぇ、そうなの?」
「ええ。少なくとも、私にとっては」

 にこりと微笑む彼女の笑みに偽りは感じられなかった。
 以前ラースが師匠について何事か不可思議な言動を取っていたようだが、まァ人の印象などそれぞれであろうとウォーベックは解釈する。その言葉にふぅん、と否とも是とも取れる相槌を打ってウォーベックは残り少ない紅茶を口につけた。
 君子危うきに近寄らず――などといった言葉が過ぎるのはまあ気のせいだろう、きっと。

「それで――頼んでおいた礼のブツは?」
「まーかせて」

 話の本筋を摩り替えるようにウォーベックが切り出す。
 は不敵な笑みを浮かべてそれに答え、どさりと大きな紙袋二つをテーブルに置いた。反動でカップが僅かに浮き、乾いた音を立てる。

「例の事件のスクラップをまとめて、尚且つ両面コピーの表側には教会に厳しい意見ばっかり並べ立てるいつもの新聞社の記事を前面に出してみたわ」
「短時間の間に…流石ね、
「んっんっんっ… なぁに、他ならぬウォーベックの頼みとあれば。おまけにラースをおちょくれるとなれば尚更よ!!」
「…何とはなしに後半の方が比重高そうな気がするのだけれど、まあ気にしないでおくわ」
「そうして頂戴な」

 提出された袋のうち一つを手に取り、ウォーベックが席を立つ。
 も残された紙袋を下げて、ちゃりっと小銭を代わりにテーブルに置く。
 毎度ー、などと呑気な店員の声に見送られて店を出た。バタン、と後ろ手にドアを閉じ、何となく間があく。やがてお互い顔を見合わせ、そして微笑んだ。だがその笑みとは裏腹に――空気は限りなく殺伐としていた。

「私はあの野生児を――」
「そして私はあいつをダシにするべく――」

 がっし、と手をくみ宣言する。

『お互いビラ撒き頑張りましょう!!』

 通りに響く女二人の声に、罪もない通行人が一斉にビクッと大きく肩を震わせた。
 

END


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