049:竜の牙
冒険者――というものになって暫らく経つ。
自慢じゃないが、世間というものを知らないことくらいは自覚していたから、最初は本当に見るもの体験するもの全てが驚きの連続だった。
閉鎖的だった村にも、一応小さな店や酒場くらいはあったが、それでも外の世界のそれと比べるには規模が違いすぎた。気の良い人もいればその反対の人もいる。それを幸か不幸かさっさと体験してしまった。
そんな日々の中、少しばかり貯えが出来た。ギルドでの依頼料、ダンジョンでの宝物、それらの恩恵である。必要となる薬などを買い揃えても、多少懐は暖かい。こうなってくると、少しばかり欲が出てくる。
基本的にパーティの財布はが預かっていた。こういうものはリーダーの役目だ、とセラに――経験的にも素人の自分より彼がリーダーをやればいいではないか、と進言したが「性に合わない」の一言で蹴られた――教えられたので、それを素直に守っている。
パーティに入ってくる収入は大体に置いて公平に分担していた。宿代や薬代は共通の財布から、それ以外は個人で。それがこのパーティでの約束事だ。
も自分の持ち金は多少はある。しかし、今彼女が欲しているものの金額には――足りない。それも、大幅に。金額以外の面では全ての準備は整っているだけに、店に行くたびに悶々としてしまう。
しかし、かなりの高額なために、こっそりと拝借するわけにもいかない。そもそもそういうことが出来るような彼女ではない。数日考え抜いた挙句、はメンバーに相談することにした。
「…どう思う?」
「個人的には問題ないと思うけど」
「冒険者にとって装備は重要だし…共通の部分で使ってもいいんじゃない?」
「でもでも、私だけってのも――」
「そこまでのお金はまだ貯まってないじゃないか。
それに、はうちの物理攻撃のエースなんだから、そういう準備はむしろ歓迎すべきことだね」
レルラ=ロントンはそう断言した。うっ、と短くうめいて近くにいるナッジに視線を投げると、彼は穏やかな表情のままだった。異論はない、ということらしい。
「まっ、お金が貯まったらボクらの装備も強化してよ。それでチャラだろう?」
「順番が早いか遅いかだけだよね」
「うう、二人共ありがとー!!」
「ボクらはともかくとして、セラは? もう聞いたの?」
「う、うん。一応二人に話す前に聞いたんだけど…お前の好きにしろ、ってさ」
彼の真似なのか、やや斜に構えた格好と抑揚のない声ではそういう。その様に二人は思わず吹き出した。存外似ている。
「じゃあ問題ないよ。善は急げで行ってきたらどうかな、」
「うんっ! 存分に鍛え上げてもらうよ!」
喜色満面を全身でかもし出しながら、は駆け足で宿の扉を開け勢いよく飛び出していった。
その後姿を、ヒラヒラと手を振りながら見送っていると、入れ違えるように長髪の剣士が宿に入ってくる。パーティメンバーの一人、セラだ。
彼はレルラたちの姿に気付いたのか、彼らが陣取るテーブルへとやってくると、先ほどまでが座っていた席に腰を落とした。元々口数の少ない男だが、今日は飛び切りに沈黙が彼を支配していた。何処かで剣でも振ってきていたのか、汗の雫を流している。
「あ、セラ。おかえりー」
「さっきが剣を鍛えに行ったよ。擦れ違わなかった?」
「…ああ、見かけた」
「今日はまた一段と暗いね。どうしたの?」
ざくっと何のオブラートにもつつんでいない言葉で、レルラがサラリと訊ねる。横でナッジが顔色を白黒させていたが、言葉を向けられた当人は気にする風でもなく、ただ大きく息を吐いただけだった。
「これからのあいつのはしゃぎようが目に浮かぶようだ…」
質問への答えはにならない呟きに、残された二人は首を捻る。
「どーいうこと?」
「まあ随分と楽しみにしていたみたいだから、それも仕方ないんじゃない」
はパーティメンバーの中でも随一の肉体派だ。剣を片手に敵陣に切り込み、バッサバッサと切って捨てる。神官の家の出だというが、魔法の類は苦手としていた。スピードこそ平均からはやや劣るものの、破壊力はかなり秀でている。
ちなみに現在のパーティメンバーでは物理攻撃の主力はとセラ。スピードに秀でたセラが先陣を切り、後詰としてが討って出る。レルラが弓とアイテムで、ナッジが槍と魔法とでそんな二人のサポートをしている布陣である。
だからこそ、彼女の物理攻撃力の増加はパーティ増強の面でも大変に好ましい。強くなることを求める彼女の願いどおりではないかと二人が疑問に思っていると、いつも以上に眉間に皺を寄せたセラは、ボソリと呟いた。
「……の本来の獲物が両手剣だとしてもか?」
その一言に、ピシリと場の空気が音を立てたような幻聴が聞こえた様な気がした。
三人の脳裏に、共通のビジョンが思い描かれる。街道で、迷宮の奥で、闇の気配の濃い遺跡の中で。嬉々として大剣をぶん回す、羅刹の如き彼女の姿。新たな獲物を従え、それはそれは楽しそうに。
「英雄の抒情詩としてはいいんじゃないかな」
「らしくって微笑ましいよね」
目を何もない虚空に浮かせながらレルラとナッジはそう言った。何より確実にありえそうな未来を直視するための心構えはまだないらしい。
再びの沈黙の後、セラはテーブルの上にある水の入ったグラスを一気に煽った。その勢いのまま席を立つ。
「――もう少し、剣を振ってくる」
何か決意めいたものを言葉の端に含ませながら、扉に向かうセラの背はどこか煤けて見えた。
それを何もいえないで見送っていたが、彼が出て行って暫しの後、どちらからともなくこう呟いた。
「…負けたくないんだろうね」
「親友の妹に負けちゃ、合わせる顔がないってところかな」
その気持ちはキレイだねー、とノン気に笑うレルラに、ナッジも少し苦いものの混じった笑みを返した。
護るべきもの、と思っていた存在の驚異的ともいえる成長に、誰よりも複雑な心境であるのは、他ならぬセラなのであろう。
その後。
念願である鍛え上げた剣を手に入れ、大層ご機嫌のは、これより快進撃を飛ばし――そう暫らく経たぬうちに『豪腕の大地』と呼ばれるようになった。女性らしからぬ通り名ではあったが、当の本人は誇らしげですらあったという。
さらに活躍は続き、気がつけば二刀流すらも我が物とし、竜を打ち滅ぼした牙の主としてその名を轟かせた。その影で溜息に埋もれる者がいたとかいないとか。
END
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