056:踏切
カンカンカンカンカンカンカン――
ここは近所でも評判の「開かずの踏切」
兎に角開かない。ひたすら開かない。通勤・通学時間なぞ、絶望的なまでに開かない。
そして、もう一つ。ここの踏切には異名がある。
正直…ありがたくないその名前は「飛込踏切」
そう、兎に角ここの踏切は呆れるくらいに飛び込み自殺者が多い。
そんな踏切だから、ご近所の評判はすこぶる悪い。まぁ当然の結果だ。
ついでに蛇足を。
あたしは、色々と”見えちゃう”人だったりする――
(あー… また飛び込んじゃった人、増えてるなぁ)
買い物帰りの踏切。ここを通れば自宅への近道になるのだが…
あんましお近づきになりたくないトコでもあったりする。
大きく道を分断している踏切の、大体中ほど右よりのあたりに「それ」はある。
最初に気付いたのは半年前。ふとした違和感からだった。
何か一部分だけ霞みがかった空間が”見”えた。ゆらゆらと空気が歪んでいるようにも見える。
始めは疲れ目か何かかと思っていたのだが…残念ながらそうではなかった。
その踏切で事故が起きる度にその歪みは大きく膨れていった。
ほんの握りこぶし大ほどの大きさだったそれは、今は人の頭ほどのサイズに成長した。
そのせいだろうか? 最近ここで命の糸を切る人が多くなってしまったのは。
よく死者が”呼ぶ”何て言われているけど、ひょっとしたらそれは事実なのかもしれないと今では思う。
なるべくそちらの方を見ないように、あたしは踏切が開くのを待った。
午後の買い物時ならば、大体十分程度で踏切は開く。それまでの辛抱だ。
心に詰まった重い感情を息に含め、細く長く吐く。最近ではここに立つと少々気分が沈んでくる。
ならばどうして道を変えないのか。
まぁ、その…あれだ。理由とか聞いたらきっと皆呆れてしまうだろうけど…
ここでは低確率だけど、あたしの好きな人と会えるからだ。ああ、我ながらなんて単純な理由。
この踏切が開くのを待っている間の僅かな時間、たったそれだけがあたしに与えられた彼と一緒にいる時間。
実は今、その彼が目の前――とは行っても25メートルほど向こうの踏み切りの向こう側だが――にいる。
長い髪を上の方で束ねて、ストリート系の服装を好んで着ている。そして時々ちょっとタレ目の逆毛のお兄さんや、あからさまに一般人とは異なる気配の黒スーツの男性がいたりもする。
今日は一人で買い物荷物を両手に下げて、周りの人と同じように踏切が開くのを待っていた。
暫らく待った後、ようやく踏切が上がった。
足早に行く波に流されるように、あたしも対岸へと歩いてゆく。
踏み切りの真ん中よりちょっとだけ私がいた側よりで、名も知らぬ想い人とすれ違う。
ほんの一瞬の邂逅。
ああ、今あたしは笑顔でいたかしら? 沈んだ顔なんてしてなかったわよね?
そう思いながらも、周囲は立ち止まらせることを許してはくれない。
今度会えるのはいつの日なのか――そう考えていると、いつの間にかあたしは踏切を渡りきっていた。
後ろでは早くも次のアラームが鳴り響いている。彼の姿は、もう見えない。
その日から暫らくして。久しぶりにその件の踏切で、あたしはいつもと違うことに気がついた。
あの違和感が消えていたのだ。それはもうスッパリと。
歪みがあった場所を、いくら目を凝らして見てみても何もない空間しかなかった。
そういえば、暫らくここでの事故の話を聞いていない。
(誰かが除霊なり浄霊なりしてくれたのかなァ?)
あたしはただ”見る”事が出来るだけで、それをどうこうできるほどの力はない。
それが出来たとしたら、さっさとそうしてるってもんである。
今日はいい日になるかもしれない。プチ鬱になる原因は消え去るし、運良くまた彼も対岸にいる。
思わぬ二つの幸運に、あたしは鼻歌交じりに踏切が開くのを待った。いつもは長々と感じるその時間も、今ばかりはなんだか短くさえ思う。
今日は擦れ違う時にこの笑顔でいられるだろうと思えば、ますます笑みは深くなるばかりだ。
踏切が開いて、待ちわびた人々が我先にと足を出す。
あたしはその中をかなり浮かれた足取りで進んでいく。
いつもすれ違うポイントよりも、少しばかり彼の方に寄った場所だった。
やっぱり今日のあたしは相当気分がいいみたい。
「あ、なぁ!」
「はい?」
不意に、後ろから声をかけられた。
笑顔のままあたしは振り向いたが、その先で思わずその顔のまま硬直した。
か、か、か、彼ですよ! あたしの遠くから見つめていた名も知らぬ彼ですよ!!
うわー、近くでジックリ見るなんて初めてだー!!
「な、な、なんでせう?!」
「ひょっとしてさ…君、あそこにあったモノ、見えてたりした?」
そう言って彼が指し示した方向は、以前まで歪みがあった空間。
コクコクと張子の虎の如く首を縦に動かすと、彼は”やっぱりな”と頷いた。
「あんまりああいうの見つめないほうがいいよ。下手すると”連れて”いかれる時もあるからさ」
「…ひょっとして、貴方がアレを?」
「いや、オレは見習だからトオルと若菜が…って、言っても知らないよな。
兎に角オレの知り合いが、パパーっと除霊しちまったからもう大丈夫だよ」
「あの、もしかしなくてもあたし…ヤバかったりした?」
「おう。こっちに相当強い思念があったから連れてはいかれなかったみたいだけど…それじゃなかったら、あの霊団の仲間入りしてただろうな」
あはははー、と軽く笑う彼の言葉に思わず背筋に寒気が走った。
そ、そーか… 実は大ピンチだったのね、あたしって。
カンカンカンカンカンカン――
「ヤバ! 早くしないと電車きちまう」
「ホントだ!」
ちょっと話し込んでいる間に、もう次の電車が近くまできているようだ。
警報に追い立てられるように、あたしと彼はダッシュで渡りきる。
…あ、しまった。元のほうに戻ってきちゃった。
「あはは… また暫らく待たなくっちゃ」
「ドジだなー、お前」
「たはは…」
からかう様な口調の彼の台詞に、何も言い返せないあたし。
――まてよ、でもこれは実はかなりチャンスでは?!
「あ、あの… さっきの話の続きなんですけど」
「何だ?」
「つまりはあたし、助けられたって事ですよね」
「…まぁ、そうなるのかな? 結果的に」
「――お礼をさせて下さい!」
「はいぃ?!」
あたしの唐突な言葉に、彼は仰天した声を上げた。
まー、無理はないよね。ホントにいきなりだし。
でもさ、こんな機会でもなきゃ見てるだけから脱却できそうにないし!
「せめてお茶の一杯でも奢らせてもらえませんか?
あたしの命を救ってもらったお礼といっては安過ぎる気もしますけど――」
「いや、でも、オレそんなつもりで…」
「ダメ…ですか?」
じっと上目遣いで彼の目を見つめる。案の定ちょっとうろたえた様に、視線を彷徨わせる様子を見て内心ガッツポーズをあたしは取った。
「じゃぁ、お言葉に甘えさせてもらってもいいかな?」
「勿論!」
よっしゃー!! OK出た!
思わず小躍りしそうなほど嬉しいのをぐっと抑えて、感情を表情に出すだけに何とか抑える。
「あ、まだ名乗ってませんでしたよね。
あたしの名前はって言います。どうぞヨロシク」
「ちゃんか。いい名前だな。
オレの名前は篠原一樹。一樹でいいよ」
あたしの差し出した手に、一樹君も軽く握り返してくる。
可愛い顔してるけどやっぱり手とかは男の子らしく結構ゴツゴツしてるんだなぁ〜
「じゃぁ一樹君、これから時間大丈夫ですか?」
「ああ。俺のオススメの店があるんだけど、そこでどうかな?」
「あ、行ってみたいです!」
「それじゃそこで決定な」
明るく笑う一樹君に、思わず一瞬見惚れてしまう。
知らぬ間に命を狙われてしまったあたしだけど…それで一樹君と知り合えて、尚且つお茶まで出来るようになるんだから世の中何がどう転ぶか判らないもんだ。
次なる目標は…そうだなぁ、とりあえずお茶し終わった後にメアドを交換してメル友になること!
よっし、がんばるぞっ!
そう心に誓って、あたしは一樹君ににっこりと微笑み返した。
END
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