073:煙
天高く、馬肥ゆる秋――
秋の日は釣瓶落としとはよく言ったもの。目に見えて夕暮れの早まってきた今日この頃。
はるか上空には鰯雲が赤く染まり始め、美しい紅のグラデーションの中よいアクセントになっている。吹き流れる風もだんだんと身に差し込み始め、あと暫らくすれば木枯らしといえるものになりそうだ。
色付いた木々の葉がそれらに乗せられて舞い踊る。褐色の葉はかさかさと音を立てながら縦横無尽に庭を跋扈していた。
そんな季節ならではの厄介者を箒で掃きつつ、ぼんやりと文世は黄昏時の空を見つめていた。
炎を思わせるような鮮やかな紅色の西空。東から緩やかに色の変わるそれに目を細める。
不意に、風の向きが変わった。冷気がビュウと流れ込んでくるその空気の中に――焦げ臭さが混じっている事に気付く。
風の方角に身体ごと向き直れば、もくもくと白煙が立ち上っているのが見えた。長屋の密集している一角。あそこには今日のこの空の色のような住人がいる。
――あれはさんの入居している
文世の脳裏に、爆ぜる炎を前にひゃっほう! とはしゃぐの幻視が浮かぶ。
何しろ彼女は以前の住居でことごとくボヤ騒ぎを起こして強制退去させたれたという剛の者。おまけに炎大好き! と公言している。それゆえにには『火の元注意』を強く言い含めているが――備え付けのガスコンロ等から、という可能性もある。
とりあえずその妄想を振り払い、炎に巻かれでもしたら大変だ――そんな事態になっても喜んでそうな気もしたが――と思い直し、自宅に設置している消化器を引っ掴んで現場に駆けつける。
文代宅からそう離れていない場所に辿り着いてみれば――
「あれ、大家さん」
どーしたんですかー? と、呑気に焼き芋を頬張っているの姿があった。周囲には顔なじみの北見・米倉・高田の通称三爺達。彼らはといえば、
「そっちの焼き具合どうじゃー」
「あと少しといったところかの」
「丁度落葉が燃え尽きる頃に食べごろではないか?」
と、大変ほのぼのとした様子で落葉焚きをしていたのであった。
何故か無性に消火器のノズルを彼らに向け、トリガーを引きたくなったがそこはぐっと堪えた。
それを知ってか知らずか、常より深い三本線を眉間に作っている文世に、は少しだけバツが悪そうに言い訳する。
「え、えっと。私ちゃんと大家さんの言いつけ守ってますよ。火はおじいちゃん達が――」
「……まあ、庭で落葉焚きをしないで下さいとは言ってませんしね」
「そ、そうですよね。あは、あははは! あ、お芋どうですか。美味しいですよ!」
はいっ! と彼女がほかほかの芋を押し付けてくる。ちゃっかり二つキープしていたらしい。
ふう、と溜息一つついてそれを受け取る。ちまちまと皮を剥くと、ほっこりとした湯気と暖かな色合いの黄色の中身が見えてきた。それにかじりつく。程よく甘く、そして上手く火が通っていて、の言葉通り確かに美味しかった。
「なんじゃ、いつの間にきたんじゃ大家さん」
「お二人さんいい雰囲気じゃのー」
「熟年夫婦じみとるな」
焚き火弄りの手を休め、ニヤニヤと笑いながら三爺がそうからかってくる。その言葉にはごふっといやに濁った音を立てた後、盛大に咳き込んでいた。芋を咽喉に詰まらせたらしい。
一方、からかわれた片割れの文世はというと――
「それはどうも。でもそうやってさんをからかわないでやってください」
サラッとそんな言葉を吐きながら、の背をトントンと叩く。大丈夫ですか? と尋ねると、は息苦しいのか真っ赤な顔で――それこそ火でも出さんほどの色だ――頷いていた。
そんなやり取りに高田が半眼で、
「…判ってやっとるじゃろ、大家さん」
「何の事ですか?」
突っ込みの言葉にもしらっとすっ呆ける大家。しかし言葉の穏やかさとは対照的に、むけられた眼差しは有無を言わせぬ強い光を放っていた。
それを目の当たりにした店子達は、ごくん、と息と言葉を一緒に飲み込む。これ以上茶々を入れるとあとが恐そうだ。
咳き込み倒すが復活するまでには、相当時間がかかった事は言うまでもない。
END
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