077:欠けた左手
ある晴れた日。不意に響いた破砕音。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
「…いや、大丈夫ですよ先生」
そのきっかけは些細なものだった。3−6組の教育実習生であるは担当クラスの生徒と共に談笑しながら山道を歩いていた。
今日は青春学園秋の鍛錬遠足の日である。片道十キロほどを二時間ほどかけて目的地の公園まで歩くの
だ。事前に心配されていた天気だったが今日はすっきりとした秋晴れである。
「先生大丈夫?」
「うん。何とか――大丈…夫?」
「何で自分のことすら疑問形かにゃー」
目的地まであと少し。終盤の坂では今にも死にそうな声音で応対した。
「先生がここまで体力無いとは僕思わなかったな」
「でも俺、部活のときはもう少し体力あると思ってたんだけど――」
大概教育実習生というものは自分の母校に実習に来るもので、も例に漏れず母校である青春学園に赴任してきたのだ。そこで恩師である男子テニス部顧問の竜崎氏に頼まれ、彼女のサポートをしている。
菊丸と不二の二人はその点もあって同じクラスの他の生徒達よりも仲がよい。
「うるさいぞー… 先生は先生でお付き合いがあるのだから、仕方ないのー」
「あ、それってひょっとして飲み会?」
「遠足の前夜祭ってことで実習仲間に三次会まで付き合わされてねー」
興味しんしんといった菊丸に対し、気だるそうに答える。秋とはいえ、まだまだきつい日差しを浴びながら彼女は一つ欠伸をした。まあ要するに軽い二日酔い、かつ寝不足なわけである。
「それは大変だったね、先生」
「ははは… サンキュー、不二君」
「体調が悪くなったらすぐに僕に言ってよ。ちゃんと介抱してあげるから」
「だ、駄目にゃ! 先生! 不二なんかに言ったら美味しく戴かれてしまうにゃ!」
なにやら黒いオーラ全開で言う不二に菊丸は半泣きでを庇った。
彼女の進行を邪魔するかのように割って入った菊丸に、当然のことながらぶつかってしまう。
「うひゃっ――」
ぐらりと傾くバランス、揺らぐ視界。そこに体調不良、更に坂道が重なりそのまま後ろに倒れこんだ。
どさっ――
当然あると思っていた衝撃が思ったより少ないのと、アスファルトにしてはいやに硬さのない手触りを不思議に思い、は自分の置かれた現状を確認した。
「やあ、先生」
「――乾君?」
クルリと視線を後方に向ければ、の身体はまるで乾に抱き込まれているような状態だった。通りで痛くも何ともないはずだ。恐らくは運悪く巻き込まれてしまったのだろう。
「怪我はありませんか?」
「あああああ、いいいいや――だだ大丈夫!」
少しばかり恥ずかしすぎる体勢に、慌てて立ち上がりぱっと飛びのく。その瞬間――
ぐがしゃ!
「……へ?」
何かが砕ける音に恐る恐るは自分の足をどけてみると、見事にフレームまで折れた元眼鏡らしき物体
がそこにはあった。ぱっと顔を上げると、持主も気付いたようで、僅かに眉を顰めている。
ざぁッと血の気が引いた顔で、はひたすら平謝った。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
「…いや、大丈夫ですよ先生」
というわけである。
おろおろと取り乱しているの横で、未だ座ったままの乾が、自分の元眼鏡のフレームをもてあそんでい
た。
「しかし…流石にここまで壊れると買い替えだな」
「ああああああ… ごめんなさいごめんなさい!」
「いや、先生のせいじゃないですよ。むしろ――」
視線をの後ろへと向ける乾。その視線に二人は耐えきれずに目をそらした。一応自覚はあるらしい。
「いやー… だって不二があんな危ない発言をするから、俺先生が心配で…」
「そもそも英二が僕の邪魔しなければこんなことにはならなかったんだよ」
互いに責任を押し付けあっている様子。それを見て乾はため息を一つ落とした。
「結局は二人が原因だろう? 後でそれ相応の事は覚悟してもらおう」
「うげっ! まさか野菜汁とか!?」
「僕はそれでもいいけどなー」
「まぁ、おいおい考えるよ」
にまりと口の端に笑みを浮かべる乾。眼鏡がない分、多少凄みは無いが、それでもゾワリとしたものが菊丸の背筋を伝った。そんな彼の心情を知ってか知らずか、涼しい顔をして乾はようやく立ち上がりジャージのほこりを払う。
「い、乾君… 眼鏡なくて大丈夫?」
ようやくパニック状態から脱したのであろうが、恐る恐るといった感じで聞いてくる。
ふむ、と一拍おいて、乾は淡々とした口調で事実を告げた。
「――取りあえず、この距離で先生の顔がはっきり識別できませんね」
「ええええっ! 一メートルも無いのに!?」
「自慢じゃないですが、俺の目はかなり悪いですよ」
「大変じゃないの、それじゃあ!」
そう言って再びどうしようどうしようと頭を抱え込んでしまった。そんな彼女の様子を見て、乾はかすかに笑っ
た。
…とても七歳も年上とは思えないな。興味深い実習生だ。
「――決めた!」
ふと、物思いに耽っていた乾をその声は唐突に現実に引き戻した。は次なる爆弾発言をぶちまける。
「今日一日、私が乾君の目になります!」
『……は?』
「乾君はとっても目が悪い。でも眼鏡は私が壊してしまった。そうすると今日一日とっても困る! ならばどうするか! 私が目になりましょう!」
ぐっと握りこぶしを作って熱く語る。呆気にとられる三人を尻目にどんどんヒートアップしていく。びしぃっ、と乾を指差すと、
「乾君! 貴方この距離で先生の顔の識別が出来ないといったわね?」
「え、ええ。まあ」
「それでは少々尋ねますが、この状況で無事に公園まで辿り着いて、かつ家に帰り着く自信は?」
「――データで言えば無理だと思いますが」
「なら決定! んじゃ取りあえずは遠足の目的地へ向かってGO!といきましょう」
パシッと乾の左手をとり、にっこりと笑顔を向ける。乾は何か反論しようとしたが、彼女の笑顔を見た途端その考えは霧散してしまった。
「…それでは、お言葉に甘えさせてもらいます」
「よろしい」
そうやって二人は手をつないだまま山道を歩いていく。そして、その場に取り残されたきっかけの二人組。
「……なぁ不二」
「なに?」
「先生って結構積極的だにゃと思って」
「いや、むしろ僕は乾のあの態度が…ねぇ。確かに原因の一端は僕等にあったかもしれないけどさ」
「あの、不二? 何だか御開眼してない?」
「気のせいでしょ」
キッパリと言い切った不二の言葉に菊丸は一人一足早い冬の寒さを感じた。
二人は互いの手を繋いだまま、暫くの後に目的地である公園に到着した。回りの視線が妙に突き刺さるよう
な気はしたが、そこは二人とも綺麗に無視を決め込んでいた。
しかし到着後はクラス別に整列しなくてはいけないので、乾の担当クラスではないはどうしても離れざる
を得なくなった。
「乾君、お昼は誰かと予定でもあるの?」
ふと思いついたように、未だ手を繋いだままの彼女は問い掛けてきた。
「ええ、まあ。うちの部員たちと一緒に食べる予定ですけど」
「じゃあ私もいっしょにいいかな? お弁当」
「かまいませんよ。皆喜ぶでしょうし」
実のところ乾本人も嬉しかったりするのだが、そこは表情に出さずに言う。それを聞いては「良かった
〜」などとぶんぶんと腕を振りながら、次にこう言った。
「それじゃあ解散したら迎えに来るからここで待っていてくれる?」
「はっ!?」
さも当たり前のように言う彼女のその台詞に、乾は本日二度目の拍子抜けた声を出した。
「こうなったのは私の責任だからね。今日一日はきっちり面倒見させてもらいます!」
「はあ…」
「それじゃ約束ね」
にっこりと笑って手を離すと、彼女は上機嫌で自分の担当クラスの列へと歩いていった。
何となく一方的に流されているような気がして腑に落ちない乾だったが、もうこの際どうでも良いかなどと彼にしては珍しく諦めにも似た気持ちでの背を無言で見送っていた。
「やあやあ、テニス部の皆。私もお弁当ご一緒させてもらっても良いかしら?」
自由時間になり再び合流した乾とは、彼の指示のもと男子テニス部の集合場所までやってきた。そこは公園の中でも見晴らしの良い丘で、既に何名かの部員が集まっていた。
わいわいと騒がしく昼食の準備をしている生徒にが声をかける。それに答えたのはテニス部の母こと副部長・大石。
「あれ? 先生いかがされたんですか? あとなんで乾と手なんか繋いで…」
訝しげに尋ねられた彼女は少々照れながら理由を話す。
「うーん… 話せば長くなるのだけどね、先生が乾君の眼鏡をうっかり壊しちゃったものだから、そのお詫びに
今日一日私が乾君の目になることにしたからよ。わかった、大石君?」
「ああ、それでですか」
「先生、ちっとも長くないッスよ」
「越前君突っ込み禁止!」
繋いだ片方の手はそのままに、ぺしっと空いている手でリョーマのおでこをはじく。子ども扱いされて――い
や、実際子供なのだが――むっとしたのか、リョーマは少し頬を膨れさせてしまった。
そんな様子を見てが「可愛いねー君は」などと言いながら頭をぐりぐりと撫でるものだから、リョーマは余
計に機嫌が悪くなってしまった。
「おーい! そんなところで話してないで早くメシにしましょうよー! 俺もうハラ減りまくりッスよ」
胃の辺りを手で抑え、情けない声で昼食を促す桃城。食欲魔人の彼の胃袋は限界が近いのだろう。
「ということなので、手塚君。私も一緒に良いかしらね?」
「まあかまいませんが… 本人の了承は?」
「ああ、それなら眼鏡割っちゃった直後にもらっているし大丈夫」
「そうですか。なら問題ありません」
「んじゃ部長さんの許可も頂けた事だし、ご飯食べよっか乾君」
ここでやっと乾の左手を解放し、は自分のかばんを下ろして昼食の準備をはじめる。久々に訪れた両手の
自由に乾はふと物足りなさを感じた。まるで先ほどまであった左手が掛けてしまったような――そんな自分の心情に軽く驚く。
「何ぼんやりしてるの、乾」
「――不二か」
「君にしちゃ珍しく振り回されてるみたいだね」
「そう…だな。しかし、悪くはない気分といったところか」
ひらひらと先ほどまで繋がれていた左手を振る。そんな乾を見て不二は例の笑みを浮かべつつこう言った。
「ふふっ、それなら僕のほうも本気出さないとね」
「……なにをだ?」
「さぁ?」
相変わらずの何を考えているか判らない笑顔の不二。毎度のこととはいえ薄ら寒さを覚える。
「ほらほら二人とも! なーにやってるの。早く準備して皆と一緒に食べましょ!」
少し離れたところで既に昼食の準備万端のが二人に声をかけた。その様子を見て、申し合わせたかのように二人同時に苦笑する。
「今行きますよ、先生」
そう言って歩き出す乾。不二も笑顔でそれに続く。
「よっし。んじゃ乾君は私の隣ね」
ぱむぱむと空いている自分のシートの横をたたく。それを見た不二が、
「あれ、僕じゃダメなの先生?」
とやや不満そうに眉を下げる。しかしはそんな不二に人差し指をちっちっと左右に動かしながら一言。
「当然ダメ。今日一日は私乾君の目ですからね。目が側にいてやらなくてどーするの」
「…それ、とらえようによってはかなり意味深ッスよ」
ちょうどの真向かいに座っていた桃城が半分呆れた風に言ってくる。言った当人は「私何か変な事言っ
た?」と不思議そうにしている。
――ああ、やっぱりこの先生自分が天然な事自覚してない。
その場にいるテニス部員の心内が密かに一致した。
「へへっ、不二〜。先生にフラれたな♪」
こっそり狙っていた隣の席をゲットできずにいた不二に、菊丸が何処か楽しそうに声をかける。
「まあ今日は乾に譲ってあげるよ。眼鏡の件は…菊丸も、僕も悪かったことだし」
「すいません不二様今の発言は失言でしたのでお願いですから今にも呪い殺しそーな笑顔を止めて下さい」
まさに蛇に睨まれた蛙の様にだらだらと脂汗を流しながら菊丸は懇願する。今の不二の後ろには効果音付きで何か得体の知れないものが感じられるほどだ。その気配を察してか近くにいた海堂と河村は慌てて避難する。とばっちりは喰らいたくないらしい。
さて、そんな異界の扉に繋いでいそうなヤツがいるのを、ぼやけた世界の中何となく気配で察した乾は、触らぬ魔王に祟り無しとばかりに昼食中であった。
しかしやはり激悪視力のためか、ご飯を箸で掴もうとして弁当箱の縁に当たり、オカズを食べようとして取り落としてしまうという、まるで小さい子供のように悪戦苦闘していた。
……流石にこれはちょっとみっともないな。
そう思いつつも何とか食事しようと再び弁当箱に向かう。――が。
いつの間にやら自分の手元から弁当箱が消えていた。
「――先生、何のおつもりで?」
苦笑しながら自分の隣に顔を向ける。彼女の手には食べかけの乾の弁当。
「口を開けなさい」
「は?」
「いーから開ける!」
勢いに押されて口を開ける。そしてそこへ無遠慮に箸が突っ込まれた。
口の中に広がる、慣れた味。これは…唐揚げだ。取り敢えず口の中のものを味わって飲み込む。
一体何なのだと彼女のほうを見ると、何故か満足げな顔をしていた。
「先生… 流石にこれは――」
少し、いやかなり恥ずかしい。何とはなしに自分の頬が熱い様な気がする。
目が良く見えないので――今はこれが幸いにすら思える――皆がどういった表情をしているか判らないが、ざわめきで周囲の状況くらいは察することは出来る。
つまりは注目の的。
どこからか黒い気配と怯える猫の声が聞こえた気はするが、それは軽やかになかったことにして。
…さぞかし、手塚の眉間の皺が増えているだろうな。
そんなどうでもいいことを考えてみたりする。乾の心情や周りの事など歯牙にもかけず、はぴしりと一言。
「満足にご飯も食べられないような人が文句を言う権利はないの。大人しく食べさせられなさい」
「いや、主にこうなったのは先生たちのせいでは…」
「そうよ。だから先生がこうやってご飯食べさせるって言っているじゃない」
タマゴが先か、鶏が先か。まさにそんな気分になった。抗議しようと口を開けた瞬間、またも口の中に箸が割って入る。今度はアスパラのベーコン巻きだ。
よく噛んで飲み込んで、ため息を一つ。多分抵抗しても無駄だろうと今日一日のデータから推測する。この女性――は案外頑固者だと。
ならば楽しむしかない。多少恥ずかしくはあるけど。
「…わかりました。好きにして下さい」
「よしよし、人間諦めが肝心よね。それじゃあ何か次に食べたいものは?」
「そうですね…」
自分の弁当箱に目を向けるも、眼鏡がないので色とぼんやりとした形しか分からない。少々困惑する中、ふと目を向けたところにあった小さな箱に入っている黄色い物体。
小ささと位置的に見ておそらくはの弁当だろう。そしてお弁当のおかずの中で黄色いものといえば――
「卵焼きがいいです」
特に食べたいというわけではないのだが、何となく気になった。
「えっ? でも乾君のお弁当には卵焼き入ってみたいだけど…」
「先生の弁当に入ってるじゃないですか。それが食べたいです」
駄目で元々。そんな感じだが。
その台詞にはうーんと声を上げて悩み始める。ややあっておもむろにこう切り出した。
「んじゃあ、先生にも乾君のオカズ頂戴? そしたら卵焼きあげる」
「ええ、いいですよ」
その仕草に少し笑いながら快諾する。「この唐揚げ気になってたんだよね〜」と嬉しそうに乾の弁当から唐揚げを一つ取り出し、自分のほうへ移動させる。乾もこの唐揚げはお気に入りなのでちょっと惜しい気はしたが、卵焼きとその笑顔と引き換えならば悪くないと思った。
「はい! じゃあお待ちかねの卵焼き」
満面の笑顔では卵焼きを乾の口元まで運ぶ。今度は箸を口に突っ込まれる前に自ら進んで口へ入れる。そして、一噛みして――
げふっ!
むせた。
「あああっ! 乾君大丈夫!?」
慌てては自分の魔法瓶から麦茶を入れて乾に渡す。乾もむせながらも何とか飲み込もうとその麦茶をもらい、飲む。
ぶふぅっ!
盛大にむせた。
「ななな何でーっ!?」
相次ぐ乾のむせっぷりに混乱する。必死にセキを抑えようとする乾。
流石に騒ぎが大きくなり、他の部員たちもなんだなんだと注目する。
「い、乾君… 大丈夫?」
「何とか――大丈夫です」
セキの発作が収まったか、まだ多少息は荒いもののそう答える。
「でもなんでまたそんなに――」
「卵焼きが甘かったんだ」
『はい?』
心配そうに尋ねてくる河村に、やや眉をひそめながら乾はそう答える。その答えにを除く全員が訝しげに言った。しかし、当のはきょとんと目を丸くしていた。
「え、そりゃダシ巻きじゃないんだから甘くて当然でしょ?」
「ついでに麦茶まで甘かった…」
「――普通は麦茶に砂糖入れない?」
『入れないです』
ここは即座に否定する部員一同。
「…つまりは先生が言うところのダシ巻きだと思って食べたけど、予期せぬ甘さにむせて、更に飲んだ麦茶がこれも予想外に甘かったからむせた、と」
状況をまとめる不二。これであってる?と乾に尋ねると、肯定だとばかりに首を縦にした。
「むぅ… まさかこんなに驚かれるとは思わなかったわ。先生の家じゃこれが普通だったから」
「――まぁ、家庭の味というのはそれぞれですから」
苦笑しながら乾はをフォローする。
「それに、味事態は悪くなかったですよ。砂糖入り麦茶は俺の新しい特製野菜汁のいいヒントになりましたし」
何気なく怖いことをさらりといい、周囲の人間はあからさまに嫌な顔をする。
あれ以上あの汁を凶悪にしてどーする。
誰も口にはしないが不二以外の人間の素直な感想だろう。
「とにかく、ごめんね乾君。吃驚させちゃって」
「いえ、気にしないで下さい」
何とはなしに良い雰囲気が二人の間に漂う。特に乾が妙に優しい目をしている。それを見た部員たちは付き合ってられんとばかりに、それぞれの場所へ戻っていった。
そんな中、一人不穏な雰囲気を発しているものが。
「……手塚、どーしようか」
「……菊丸を人身御供にするか」
「それが一番安全だね」
「なっ! 大石も手塚も酷いにゃ!」
あまりにもさらりと言われて必死の形相で抗議する菊丸。そんな彼の肩にぽんと手が置かれる。
まるで油を長い間注してない扉のような動きで首を後ろへ無理やり向ける。するとそこには案の定見事なま
での笑顔の不二。
「こーなったのはき・く・ま・る・のせいだしね」
ついに菊丸一人のせいになったようである。哀れ菊丸。
助けを求めるように首を神速の速さで元へ戻すも、そこは既にもぬけの殻。手塚も大石も安全圏と思われる
場所へ避難している。
「ふふふふふ」
綺麗な笑顔を張り付け笑う不二。はっきり言ってとてつもなく怖い。
菊丸は、自分の人生短かったなーと遠のく意識の片隅で考えていた。
日も傾きかけた頃。遠足も終わり、皆遊び疲れた体を引きずるように歩いていた。
だが現地解散の遠足で、珍しく部活もない日なので皆割とのんびりしている。
この二人も例外ではなく、ゆっくりのんびり歩いていた。
「ねえ乾君」
「何ですか、先生」
相変わらず手を繋いだままの二人。は律儀にその役目を果たしている。
「今日は本当にごめんね。ちゃんと眼鏡弁償するから、買いなおしたら請求していいわよ」
「そんな… わざわざいいですよ。それに一応スペアもありますし」
「子供が遠慮なんかするもんじゃないの。
それに、眼鏡って結構高いんでしょ? 親御さんへの負担も考えなさい」
不二君と菊丸君には先生のほうから言っておくから、と妙に先生らしい台詞を言う。
乾はちょっと考え込んでから、ふと立ち止まると、
「それじゃあ今週の土曜に眼鏡を見に行きますから、付いてきていただけますか?」
と、言った。
口調はさりげなくといった感じだったが目はじっとを見ている。
「かまわないけど… ひょっとしてデートのお誘いも含んでたりするのかな?」
「ええ。そのつもりですが」
「中坊の癖に生意気だぞ!」
ぷいっと顔を背けて、繋いだままの手を引っ張り先に歩く。
自分より背の低い、耳まで赤い年上の彼女の後ろ姿を見て妙におかしさがこみ上げてくる。
「それじゃ、先生。土曜日の朝錬の後で一緒に行きましょう」
乾は先を行くに大股で歩いて並び、そっとデートの約束を取り付けた。
「――どちらにせよ、答えられなかったからの負けだ。
彼にしては意外な答えに、少々呆れながらも何処か可笑しくって口元を僅かにはゆがめた。
END
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