バゾーが旅先から帰ってきたという話を聞きつけ、は早速彼の家へと足を運んだ。
 手土産代わりにハイビスカスをベースにしたハーブティを携えて、通いなれた古びたドアを開け放つと。

 金髪怪獣が暴れていた。

 否、正確に描写するのであれば――王都の神父服を着た金髪の青年が、逃げ惑うバゾーを追い掛け回している。その手には煌々と灯る魔力の光。その手の知識に疎いではあるが、バゾーの怯えっぷり――ただし、彼は些細な出来事でも怯えるので、正確な判断材料とはなり難いが――からすると、恐らくは苦手とする聖属性、もしくは火炎系なのだろう。
 そしてそれを止めたいのだが、何となくタイミングを逃してしまって困惑している様子の黒髪の青年。金の髪の青年に比べ、こちらはまだ常識的な神父なのだが、それが災いしてかなにやら胃の辺りを押えている。きっと神経性胃炎の前兆が現れているに違いない。
 この状況に直面したに出来ることといえば、

「あ、あの――」

 少々控えめな声で、自分に注目を集めることぐらいであった。


 091:サイレン


 の登場により、一方的な追いかけっこは終焉を迎えた。
 これ幸いと、半泣きで自分の背に素早く隠れてガタガタと怯えるバゾーに苦笑しながらも、は自分の目の前で威嚇している金髪青年にニッコリと微笑む。

「ラースさんお久しぶりです。あんまりバゾーを苛めちゃ駄目ですよ?」
「苛めてるわけじゃねェよ。ただからかってるだけだ」
「それでもバゾーにとっては怖いことなんですから。ただでさえ蚤の心臓の夜魔族失格ノーライフキングだってのに」

 さり気無くひどいことをサラリという。口元には先ほどと変わらぬ笑みが張り付いているが、目が笑っていない。
 の態度に、ラースも同じような表情を浮かべた。ただ彼の方がより人が悪い感じである。

「成る程、この生きてる価値もない食物連鎖にも加われない生きる死体を庇いたてるわけか」
「庇いたてるだなんて… ただ私は真実を述べているだけですよ。
 大体限りなくヘタレで、根性無しで、そのくせマヌケにも炎天下の農作業中に太陽の光で気絶しちゃうような吸血鬼を庇うメリットなんて殆どないですし」
「そりゃそうか。それに長い間マトモな魔力補給も出来てない、しおしおパーな夜の王にたいした抵抗が出来るとは思えねェしな。
 いっそ浄化なり何なりして、夜の憂いを一つ消すってのはどーだ? 主に俺の為に」
「えー、そんなことしちゃったらうちの村の名物がなくなっちゃいますよ。目玉なのに、観光の」

 してるのか、見世物に。いくらダメダメ吸血鬼とはいえ。
 思わずそんなツッコミがブラッドレーの中に過ぎるが、それをいうより先にラースが更なる苛烈な台詞を紡いでタイミングを逃してしまう。
 行き場のない、二人を止めるべき手を一瞬彷徨わせていると、彼女の背の影でしくしくと乙女泣きをしているバゾーが視界に入ってしまった。それを見ると、なんだか何となく居た堪れない気持ちにすらなる。
 とラースの不毛な言い争いは、次第に脱線をし始め、今は何故かエルニーニョは何故多発するのかなどといった当初とはまったくかけ離れた話題に移行していた。
 ここらへんで止めねばその内更に関係のない話に逸れていくのが目に見えたため、ブラッドレーは大きく溜息をつきながら二人の不毛な会話の腰を折った。

「…二人共、原形を留めていない会話をそろそろ止める気はないか?」
「そうですね…ついつい熱くなってしまいました」
「でもよブラッド、小豆相場問題に付いてはまだまだいい足りない――」
「その辺は後日に回してくれ」

 今度こそラースのグダグダとした意見を頭痛混じりに封殺し、ブラッドレーは再び溜息にも似た呼気を大きく吐き出した。
 
「そういえば、お二人はどんなご用件で? ラースさんは兎も角、ブラッドレーさんまでわざわざバゾーをからかいにきたわけではないでしょうし」
「ああ、先だって此方に越してこられたイアン氏に、少し話が――」
「イアンさんでしたら、今日は畑に出ておられますよ。夕方には戻ってこられるんじゃないかしら?」

 ねぇ?と、背後にいるバゾーに同意を求めると、彼は張子の虎の如く首を上下に動かした。
 怯えに怯えまくっている――ラースとのどちらかは定かでは無いが――バゾーをよしよしと宥めつつ、は二人の神父にどうしますかと視線で尋ねる。

「では御仁が帰ってこられるまで、待たせてもらってもいいかな?」
ー、茶くらい出せよー」
「態度の悪いお客さんには出がらしで十分ですね」
「いや、その前にここ俺の家…いや、なんでもないです」

 自宅にあっても完全にイニシアチブを他者に奪われ、しおしおっぷりに拍車がかかる。
 しかしそんなバゾーは日常茶飯時なので、あまり気にかけてもらえないあたりも彼らしいといえば彼らしい。
 勝手知ったる何とやらなは手際よくお茶の準備をし始めるし、隙あらば家の中を引っ掻き回そうと狩人の目をラースはしているし、頼みの綱のブラッドはちょっぴり現実逃避気味に遠くを見ている。
 しょんぼり気分満載でバゾーはの手伝いをし始めた。棚に仕舞ってある適当なお茶菓子を見繕う。

「今日のお茶葉は酸味が強い種類だから、少し甘めの方があうと思うわよ」
「あの二人甘いモノ大丈夫かなあ?」
「ラースさんなら朝の起き抜けにチェーンバナナしたらしいから大丈夫じゃない?」
「…なに、それ」
「この間の電話で、彼の妹がそんなこと言ってたの。寝ぼけて家の中で歩きながら連続でバナナを貪り食っていたとか」
「どの辺りから突っ込みを入れればいいのかな、その話…」
「バナナじゃない?」

 いつのまに妹さんと仲良くなったのとかそのあたりも聞きたいし、の家って電話あるのかとかその辺りもこっそり疑問に思うバゾー。が、そこまで突っ込んで聞けるほどの根性があるわけでもなく。
 それでも二人の様子は端から見れば実に微笑ましい構図ではあった。例えて言うならば、長年連れ添った夫婦の会話的雰囲気であるというか何というか…まあそんな感じだ。
 粗末な椅子に行儀悪く座りギコギコと音を立てて、いかにも不機嫌そうな面構えでラースは呟く。
 
「…気にくわねェ」
「仲がいいのはいい事じゃないか」
「あのヘタレがぽややんと幸せオーラを出しているのが、特に気にくわねェ」
「100%言いがかりだろ」
「ブラッドはなんとも思わないのかよ」
「……バゾーがひたすら特殊例とはいえ、ああまで屈託なく接するには感心するとは思っている」
「素直じゃねェの」
「お前にだけは言われたくない」

 お互い全く目を合わせず、視線を方面に固定したままでちょっぴり不協和音を響かせている二人。気付いているのかいないのか、は呑気に笑っているが、バゾーは居心地の悪さに大層居た堪れない気分になってしまう。

「…なにやら、不穏な空気が漂ってる気がするのは気のせいかね?」
「お、教主いつのまに」
「君等が彼女に集中している間にだよ」
「……滅ぼしたろか、じーさん」
「やめんか、ラース!!」


 本気でそうしかねない男だということを身に染みて判っているブラッドレーが、かなり本気で彼の頭を叩く。
 その拍子に景気のいい音をたて、勢い余って顔面からテーブルとフルコンタクトをとるラース。あ、という二人の声が重なった。
 どうしたものか、とラースを地に沈めた己が手をワキワキと動かし、ブラッドレーが侘びを入れる。

「…スマン、ちょっと力加減を間違えた」
「ブラッド… いい度胸してるじゃねぇか!」
「ちょっと待て、こんな屋内で広範囲爆撃魔術の構成編むなっ!」
「ウルセェ! ヘタレ吸血鬼等共々丸焼きにして、毛皮剥ぎ取って売捌くッ!」
「焼けた毛皮になんか商品価値はないだろうが!」
「ブラッドレー君、ツッコミどころそこじゃなくて、巻き込まれる私らのほうが!」
「あーもーッ! やっぱり纏めて――」
「纏めて…なんです?」
『あ』

 ぽむ、とラースの肩に手など乗せ、微笑を携えている
 が、額の彼方此方には十字の印がいくつも浮き出ているし、軽く置いたかのように見えて、その実彼女の手にはギリギリと渾身の力も込められていた。皆の脳裏にけたたましいサイレンが鳴る。

「…怒ってる、のかい? 」 
「あらやだ、ブラッドレーさん。あたしちっとも怒ってないですよ」
「嘘付けー、めっちゃめちゃ怒ってるじゃねえか。つーか痛てェ」
「あたしは怒ってないですよ?」

 確かに、表面上はそう見える。だがしかし、鬼気迫るような気配は正しく怒りを表しているのだが。
 こんな場合は下手に物を言って刺激するのはマズイ、と年を経て身をもって経験しているイアンは、すすーっとさり気無く彼等の輪から外れた。
 お茶セット一式を携えて、オロオロとただ事態を見つめるだけのバゾーの側までくると、生温い目で言った。

「なあ、バゾー」
「な、何ですかイアン様」
「人間というのは恐ろしいなあ」

 特に誰を示したでもない台詞だが、前後の事情から考えれば指し示す人物は一人しかいないだろう。大きく溜息をついてバゾーは返答した。

「…それ、が聞いたらすごく怒りますから、絶対言わないでくださいね」
「わかっとるよ。ワシもそれなりに自分の身が可愛いからな」

 ははは、と乾いた笑いを上げて、吸血鬼二人組は尚も続く人間のギスギスとした小競り合いと、そのすぐ側でどちらに味方したものだかと天秤をぐらつかせている哀れな獣人を生温く見守った。

END


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