092:マヨヒガ
時は平成、世は太平。不況や政治不信も何のその。人々は大方勝手気ままに生きている。
そんな国のある街、とある片隅。商店街からやや離れ路地を一つ入れば、そこにはどこかうらぶれた、そして懐かしくもある長屋がある。
そこに集うは陰陽師・神主・坊主など、集いも集ったアヤシサ大盛りの住人達。
いつから誰だか呼び出したか――ついた名前が『拝み屋横丁』
ドンとコイ超常現象、奇人変人オンパレード。そこには『何事も無い』日常などなく、常に何処かで何事か起こっている。
これはそんな横丁に住む、とある人物にスポットを置いたお話の一つである。
彼女の名前は。どこにでもいるかけだし陰陽師――ただし、このどこにでもいるという観点は横丁内に限定される――である。ボチボチの仕事が舞い込み、ボチボチの腕で相応の成果を上げている。
可もなく不可もなく、ではあるが経過は兎も角『普通にできることを普通に出来る』という、イレギュラー要素の少なさが売りといえばそうだろう。
「そんな貴女だからこそ、なんですけどね」
「…はぁ」
大家たる文世直々の指名で、一体どんな大仕事が自分に?! と、内心ドキドキしながら出向いてみれば、結局いつもとさほど変わらないような仕事内容だった。
「廃屋の幽霊の除去、ですか」
「何人かの方が挑戦はしてみたものの、上手く逃げられてしまいまして」
「別段強力なやつってわけでもないんでしょう?」
「逃げ足だけは一級だそうです」
なるほど、その辺が手を焼いている原因か。は脳内のメモ帳に赤ペンでその事を大きく記した。
「じゃあ速攻でカタをつければ問題ないですね」
「よろしくお願いしますね。あ、これ地図です」
「了解しました。んで、報酬は――」
「家賃三ヶ月分で」
「任せてください」
文世の提示した条件に、は一瞬の間すらなく即答した。
指定された某所の打ち捨てられた廃屋を前に、は今一度装備の確認をしていた。
懐中電灯に軍手にガムテープ(あると色々応用が利く)、咒符基本セットに、ザラ紙と筆ペン。動きやすいようGパンにズックという何とも色気の無い格好だが、家賃三ヶ月の為なのでそこは目を瞑ろう。
「んで。ほんとーに付いてきちゃうの?」
「ネタの為ならどこにでもッ!」
『ヒマだしね』
「…いやまあ、いいけどね」
チラ、と傍らに目線をやって、大きく溜息をつく。
ネタ帳片手にギラギラと目を凝らしている、同じ横丁住まいの友人である小説家、伏見東子。そして彼女の内に半ば居候中の幽霊平井太郎。
「とりあえず最初に言っておくけど、一応なるべく二人には害が及ばないようにはするけど、万が一不測の事態になったらゴメン」
「いきなりネガティブね」
「事態は常に最悪を想定してかかるべし! そうすりゃ多少のトラブルもヘじゃないもの!」
『前向きにやろうとして、前倒しになってる感じ?』
「おだまり平井。うちの式神に齧らせるわよ」
鋭くそう言い切ると、平井は「キャー」なんてワザとらしく悲鳴を上げながら東子の背に隠れた。
「さー、サクサク終わらせて、家賃三ヶ月無料! そして火の酒で祝杯ッ!」
「ネタになるよーな幽霊でありますようにッ!」
『…女性陣は逞しいね』
廃屋の扉を蹴倒さんばかりの勢いで開け、無遠慮に侵入してゆくたちに、平井も後ろからふわふわとついてゆく。
廃屋の中は、これぞ見本です! とばかりに荒れ果てていた。鴬張りでもないのにやたら軋む床、ボロボロの天井、ひび割れたガラス窓。そして隙間から入る風の影響なのか否か、どこか耳のそこに残る不気味な音が常に漂っていた。
廃屋に居座る存在は一体だけなのか、特に強い抵抗も感じることなく、地図に記された問題の部屋まで辿り着いた。そこは嘗て応接間か何かだったのか、ボロボロの内装の中に、比較的元来の形を保ったまま機能してそうなソファーが中央に鎮座している。手にしている懐中電灯で、それを照らし出しながら一言うめいた。
「…あっからさま」
「怪しいのはあのソファー、ね」
東子の意見に、も賛同する。今まで感じられなかった霊気も、そこから発生しているのかこの部屋に入った途端やや肌がひりつく様な感覚があった。
ふむ、と片手を顎にやりながら暫らくは考えていたようだが、ややあってポツリと、
「――とりあえず、燃やすとか」
「コラコラコラッ!!」
『ちゃん、それマズイよ流石に!!』
薄暗い中でもはっきりと判るほどの限りない真顔で真剣に言うに、同行者二人が即座に止めにはいる。
「だって霊体は火に弱い。そして依存物がなくなれば更に効果大。
となると燃やすのが最善。そして私は楽して濡れ手で家賃三か月分!」
「アンタ私らも一緒に巻き込んで火達磨にする気?!」
『というか、ついさっき『なるべく巻き込まないように』とか言ってた!!』
「私トリ頭だから、三歩歩くと割とよく前言撤回を」
『朝令暮改にも程がある!』
「とーにーかーくっ、普通に除霊なさい、普通にッ!」
何故だか必死に止められてしまったので、不承不承ながら仕方無しにはぺらりと一枚の札を取り出した。
「えーっと、ここにいる人ー。何か言いたい事があるなら十数えるうちにどうぞ。
なおカウントダウン内に出てこないと説得の余地なしと判断し、即座に小屋ごと燃やします。なお、その際は結界はるんであしからず」
出てこなかったら燃やすんかい、という突っ込みは二人の心の中だけで止めておいた。言葉としてそれを出すより早く、一体の幽霊が三人の眼前に出現したからだ。
『ちょ、ちょっと待てよお嬢さん!』
「あ、出てきた」
「……ちっ」
『今あからさまに舌打ちした!』
「もう完全に手段と目的入れ替わってるわね…」
『俺の話も聴かず、一方的にそりゃないだろ?!』
「だって、貴方逃げ足速いんでしょう? だったら出てこざるをえないような状況にするしかないじゃない」
『えっ、じゃぁ今のって…演技?』
「願望も4割ほどかな」
「コワッ!! 数字がリアルすぎるわよ!」
ひいぃ、と自分の身をかき抱くようにして声を上げる東子。おほん、とワザとらしく咳払いをすると、は今度はいたって真面目に幽霊に話の矛先を向けた。
「外野は置いておくとして…
結局、貴方何が原因でここに居座ってるわけ?」
『あ、いやぁ… 俺さ、心臓発作でこのソファーで死んだんだけど』
「ふむふむ」
『――その死んだ日の前日にさ、好きな子に告白して。返事待ちだったんだけど、聞けずにぽっくりと逝っちゃって』
「それが無念になって、ここに残っちゃった、と」
「…ありがち過ぎてネタにもならないわね」
『同感〜』
鋭い二名の突っ込みに、幽霊もその煤け方を増し、どんよりと肩を落とす。
「ここの荒れ様からいって、亡くなったのは結構前だと思うんだけど」
『あー、うん。多分二十年…位?』
「かれこれ二十年、返事待ち?」
『…そうなる』
「――バッカじゃない?」
はただ一言そういった。呆気に取られている幽霊の額に、べちっとザラ紙製咒符の素を貼り付けてやる。
「幽霊とはいえそんなに無駄に待ってどうする! 時間は有限、時は金なり! せめて一年くらいですぱぁっと諦めて成仏するところでしょう、ここはッ!!
グダグダクダ巻いたところで、自体が好転するわけでも生き返るわけでも無し。だったらさっさと輪廻の輪にでも入って新しいモン見つけて来いってのよ!!」
ザクザクと気持ちのいいくらいに言い切ると、そこでは言葉を区切った。後ろでは東子と平井がパチパチとの啖呵に拍手をしている。
「――んでっ! アンタはこれからどうしたいの?」
『ど、どうって…』
「あてどなく来る保証など無い返事を待つ、ざっくり清算してリスタートする。二つに一つだけど?」
『それだったら…後者、かな』
「おし、決定!! そうと決まればサクサクいくよー」
屈託なく大きく笑うと、は筆ペンで何もかかれていなかった咒符に、なにやら怪しげな図形と文字をスラスラと書き付けていく。数瞬の後、書き終わったのか筆ペンのキャップを閉めた。そしてその閉めた先で、コツンと幽霊の額をつついた。
――途端、そこからぱぁっと光が爆ぜ、幽霊はさらさらと砂状にその形が崩れていく。
「…良い来世を!」
ぐっと親指を突き出し、祝福の言葉をかけるに、崩れ行く幽霊は一瞬微笑みの形を浮かべ――そして跡形もなく――消えた。
――後日、横丁・大家宅。
「彼女の仕事振りを直に見るのは初めてだったけど、なかなかのモンだったわね」
『うんうん、終わってみればあれも面白かった』
「あれで無闇に燃やしたがらなければ、もっといいんですけどね」
「…何よ、知ってたの?」
「周囲の評価は普通、と言ったところのようですけど…ここの住人ですから」
詳しく知りませんが前の住居を追い出された原因がボヤ騒ぎらしいです、と苦笑いで答える文世に、あの場にいた二人は大いに納得した。
少し冷めてしまった日本茶を、ゆっくり啜りながら文世は独り言のように言う。
「それにねあの幽霊――男相手だと、本当にすぐ逃げ出して話にならなかったそうですよ。
さんのように、可愛らしい女性ならとりあえず姿だけは出してくるだろうなと」
「『……』」
「おや、どうしました二人共?」
ニコニコと、あいもかわらずの読めない表情のままの文世に、代表者東子がボソッと呟いた。
「――文世ちゃん、それ本人の前で言ってあげたら? 喜ぶわよー、絶対」
「報酬は家賃三か月分ですから」
その答えに呆れ顔の東子と平井だったが、そんなことなど意に反さず、文世はただいつものように笑っていた。
END
マヨヒガというのは山奥に打ち捨てられた廃屋の事だそうです
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