095:ビートルズ


 春もうららな昼下がり。塵埃などをザッザと竹箒で掃いていると、日差しの陽気さに誘われでもしたのか、店子の一人が鼻歌交じりに歩いている姿が眼に見えた。
 思わずくすり、と小さく口元を緩め、作業の手を休めて声をかけてみる。

「こんにちは、さん。どこかへお出かけでしたか」
「あ、はい。ちょっとレンタル屋へ」
「何を借りられたんですか?」
「えーっと…自分の趣味の音楽と、あとはこの間知り合いに薦められたこれを」

 ブルーのナイロンバッグの中から、はゴソゴソと一枚のCDを取り出し文世に示す。
 やや霞んだ記憶の片隅の中、そのジャケット写真と同じものを見た様な情報に行き当たった。

「――ビートルズとはまた懐かしいですね」
「知り合いがすごい大ファンで、一度聴いてみろって薦められて。じゃあ試しにベスト版でもと。
 結構昔のバンドですけど、まだまだ根強いファンがいるってすごいですよねー」
「僕が若い自分の流行曲ですからね。当時はもっとすごい人気でした」
「…大家さんの若い頃かあ。という事は現在大家さんは私と一回り以上――」
「――さん」

 指折るの台詞を遮るようにして文世の声がかぶさる。その音が少しばかり研ぎ澄まされていたことに気付き、はぎぎっと首を軋ませながら呼ばれた方へと顔を向けた。もしやよもや、何か地雷でも踏んづけてしまったのだろうか?

「…………な、何でしょう」
「年齢は例え女性相手でなくとも、みだりに訊いたり推測したりするものではないですよ?」

 ニッコリと笑っているはずなのに、どこか心の奥が薄ら寒くなるようなモノ――言うなれば、家賃を滞納した時のような危機感――を感じる。先刻に感じた彼女の第六感は見事にビンゴであったらしい。今の気分はブリザード吹き荒ぶ北極点だ。
 思わずブンブンと首を張子の虎の如く縦に動かしつつ、は一も二もなく頷いた。

「は、はいっ」
「結構。慎み深さは美徳ですから」
「そーですね。あ、あはははっ!」

 の答えに文世も満足気に微笑む。対面する彼女は、乾いた笑い声などをあげつつ――

 大家さんでも年齢とかって気にしてるんだ。…ちょっと意外かもしれない。

 そう考えると、何となくかわいいところもあるものだと思える。要は捕らえ方一つ何だなあとしみじみした気分になった。
 そんな結論に至っただったが、ふっと気付くと文世がなにやら神妙な顔でなにやら思案をしている。眉間に皺まで刻んで何を考えているのやら――と、察しようとして瞳を見ようと思うも、間の悪いことに丁度陽光が反射しており眼鏡の奥は窺い知ることが出来ない。

「…どうしたんです? 急に難しい顔しちゃって」

 おずおずと訊ねれば、彼はああ、と短く生返事を返す。それから暫しの間を置いてこう言った。

「いえ、たいした事じゃないんですよ」
「はあ」
「少々気にかかることがあったんですが…
 ここで訊くような事でもない気がしますし」
「??」

 少しばかり罰の悪そうな顔で言葉を紡ぐ文世。珍しいこともあるものだ。疑問符を浮かべながら、頭の片隅ではそう思う。
 そんな眼前の少女のいぶかしむような表情に、更に苦味を覚えながら、文世はそっと心中で自身の思いを口にした。

 ――薦められたという知り合いの性別だとか、そんな事気にしたってどうしようもないだろうに。

 ふっと自嘲するように肩を落とす。一瞬だけ言うべきか否か迷って、結局は自分の思考を誤魔化す様に言葉を続けた。

「先ほどああいった手前、こちらから詮索するのも野暮でしょうから」
「えっと…私なら気にしませんよ、自分の歳を訊かれても」
「…いえ、そういうことではありませんので」
「そうなんですか?」
「ええ」

 自分が考えあぐねているものとは随分と的外れな許可の言葉に、文世は思わず僅かに口角を歪めたが、幸いにもそれはに気付かれる事はなかった。

END


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